シチューなどの煮込み料理は奴隷制の産物。日本にもあった奴隷時代の食
きょうのエントリー「意外に浅かった鍋の歴史は200年」の続きです。
西洋の伝統的な料理というと、シチュー、ボルシチなどがあります。
ところが、この煮込み料理というのは、実は、中世の奴隷制の中で生まれたものなのです。
中世の農奴制というやつで、各地の王や領主たちは、民を朝から晩まで使役し、酷使していました。
「朝から晩まで」というのがポイントで。ランチなんてありませんから、昼を食べに家に帰ったりはしません。
日の出とともに家を出て、日没とともに帰ってくる非常にブラックな仕事を、民衆はしていたのです。
もちろん、専業主婦なんていません。そのため、食事を用意する時間もありません。
そこで、朝、仕事に行く前に、かまどに火を入れて、野菜や塩漬けの肉をいれた鍋を置き、弱火でコトコト10時間くらい煮込むのです。で、帰ってきたときには、どんなに硬い肉でも食べられるくらい柔らかくなっているというわけです。
シチューには、こんな悲しい歴史があったのです。
日本はいいなぁ。江戸前の寿司食べられて・・・なんていうのは最近の話。
日本でも古代は、日の出とともに田畑へ行き、日没まで帰らせないように、地方の役人が農民を指導させるおふれがきなんていうのも石川県で発見されています。
重要文化財の「加賀郡牓示札(ぼうじふだ)」(平安時代)です。
日本では、考古学的にみると、かまどが一般家庭で使われたのは古墳時代から。
弥生時代までは、炉でした。
炉は機能としては、囲炉裏に近く、食事だけでなく、照明、暖房も兼ね、一家だんらんの場所でした。
ところがかまどは土間に固定され、調理専用の機具です。かまどには神様はいても、そこを囲んで一家だんらんはしませんよね。
古墳時代になって、ヤマトは軍事化していき、半島などへも進出しました。そして飛鳥、奈良、平安の律令国家は、民は国のものです。いってみれば、中世の農奴と同じ。
今、日本の伝統的な料理が、鍋であり、寿司であるというのは、こうした面から考えると、農奴制を乗り越えた結果と言えるのかもしれません。
そうすると、えらいのは律令国家を完全に粉砕して、武士の世の礎となった平清盛か。視聴率あがるといいですね。
グルメ王として持ち上げたらどうでしょうか。
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