息子の墓を見下ろすから蘇我稲目の墓ってないわ〜
お盆直前に突如発表された明日香村の稲目の墓。
もやもやしたけど、やっぱりないわ〜って感じなのでメモしておく。こんな文献ゼロで、個人の墓と特定って考古学界それでいいのでしょうかね?
古墳にこーふんする人なら、「ほかに例のない石段の古墳」というのも、うっそ〜?あるでしょってツッコミたくなりませんか?
4段分しか出ていないのに、「8段」まであってピラミッド型になるとか。うーん。
マニアの多い中世・近世の城郭なら総ツッコミが入るニュースですが、絶賛の嵐ばかりで、古墳・古代史マニアはやっぱり桁違いに少ないのだろうかと想像しています。
奈良県明日香村にある飛鳥時代初期(6世紀後半)の都塚(みやこづか)古墳が、一辺40メートル以上の巨大な方墳で、国内に例がない階段ピラミッド状と判明し13日、関西大と村教委が発表した。現場は蘇我氏の拠点地域で、古代朝廷の実力者・蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳に近いことなどから、専門家は「馬子の父で、蘇我氏の権勢の基礎を築いた蘇我稲目の墓の可能性が極めて高い」としている。(産経)
産経では、「高句麗の王陵「将軍塚古墳」(4〜5世紀、高さ約13メートル)は階段ピラミッド状で、百済の古墳にも似た形があることから、古代朝鮮がルーツとの見方もある。」とするように、石をつかってピラミッド型につくる古墳は渡来系の影響を受けたものとして、この時代に割りとあって、「初」なんてものではないです。
古墳にこーふんする人ならぱっと思うのは岡山県真庭市の大谷1号墳でしょう。
真庭観光協会HPから
あしもとの奈良県内にも有名な石のカラト古墳(木津川市・奈良市)があるじゃないですか。
木津川市観光協会HPより
そうそう、お墓じゃないですが奈良時代にお坊さんの行基がたてた土塔(大阪府)なんてのもありますね。
畿内国倭御魂ブログさんより
しかし、専門家のみなさんはそういう類例を知らないのか(知らないはずはない)
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館館長(考古学)は「こんな特殊な構造の方墳は国内で見たことがない。蘇我一族の有力者の墓だろう」と話す。(朝日)
特異な墳丘について、木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「類例がなく、日本の系譜では浮いてしまう」と首をひねる。(読売)
まじかよ〜
飛鳥の谷は王都と言われていますが、もともとは考古学的にも渡来人たちが入植した土地に、あとから大王家が「ここいいところやな」と都を置いた場所とみられていたはず。
そうした見地(下にそう主張されている人のコメント見つけました)を踏まえれば、この墓はまずその渡来系集団の長の墓というところから始めるべきじゃないでしょうか。
すべてすっとばして、いきなり、息子の馬子や天皇たちの陵墓と違って、文献(日本書紀など)に場所の記載が一切ない稲目を出してくるという。しかも、村と関西大学が発表したとなっているのに、村が「稲目の墓でしょう」という発表ではなく、関西大の人でもなく、専門家とする人たち(名のある人たちですが)がいっせいに「稲目」「稲目」といって、それが新聞の大きな見出しになっちゃうという、いったいなにがどうなっているんでしょう?
この日、西光慎治・村教委調整員と米田文孝・関西大教授(日本・南アジア考古学)が村内で記者会見して説明した。米田教授は「世界遺産登録を目指す『飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群』にとって追い風になる」と話した。(読売)
おっと、ちゃんと異論を言っている専門家もこっそりいっらしゃいましたね、ゼロではなかったです。
小沢毅・三重大教授(考古学)は「石舞台古墳周辺が蘇我氏の領域になるのは馬子の頃。稲目の時代は飛鳥のもっと北や西だった」と指摘。稲目が朝鮮半島の女性をめとって住ませた「軽の曲殿まがりどの」とされる地域のすぐ南側に位置する橿原市の五条野丸山古墳を稲目の墓と主張する。(読売)