歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

稲荷なのに仏教寺院の豊川稲荷

お稲荷さまといえば、伏見神社(京都)。そのつぎに有名なのは 豊川稲荷(愛知県豊川市)ではないでしょうか。

豊川稲荷は妙厳寺という曹洞宗の寺院で、稲荷神社ではないのです。

なぜお寺が稲荷なのか、その歴史について寄稿しました。

 

 

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なお、三大稲荷の3番目は、ほかの「三大」ものと同様に、たくさんあるみたいです。

佐賀県の祐徳稲荷神社、青森県の高山稲荷、茨城県の笠間稲荷など。みなさんのご近所で「第三の三大稲荷」があったら教えてください。

 

 

古事記はなぜ出雲神話を隠蔽したのか?【オオクニヌシ 最強の日本の神様エントリーNo4】

オオクニヌシ 臥薪嘗胆で地上初の支配者となった苦労人 

最強の日本の神様のエントリーNo4です。

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コメントいただいた分はこれで一応終了ですが、ゆっくりほかの神様の分も続けていきます。

古事記を読むと、オオクニヌシのスター性に衝撃を受けるよね。イザナギとかってジョジョでいうジョナサンで、オオクニヌシでついに承太郎出てきた感がある。

我が故郷の氷川神社は出雲の流れをくむのでやはりオオクニヌシは贔屓してしまうな

の、お二人さまがあげてくれたオオクニヌシ(大国主)です。

 

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いくつもの名前を持つ男


 天の世界でアマテラス(天照)とスサノオ(須佐之男)の姉弟が争い、やぶれたスサノオが出雲に降臨してから長い時間がたち、ようやく地上に「王」が誕生します。

 最初に地上世界を支配したのは、アマテラスの子孫ではなく、スサノオから数えて6代目のオオクニヌシでした。
 オオクニヌシは出雲大社にまつられる偉大な神で、日本神話の中でも特に知名度が高いでしょう。兄たちのいじめなど数々の困難を乗り越えて成り上がっていく物語には、読む人を奮い立たせる力があるとともに、たくさんの古代史の謎を解き明かす鍵がちりばめられているのです。

 オオクニヌシには、オオナムヂ、ヤチホコ、アシハラシコノオなどたくさんの別名があります。成り上がるたびに名前が増えていくのですが、名前をたくさんもっている神ということは、それだけ力が強いことも意味します。

 日本人が子供の頃の名前を後生大事に使い続けるようになったのは明治の文明開化からと比較的新しいのです。室町時代や江戸時代から続く能、狂言、落語など古典芸能で頻繁に行われる襲名の原点は、オオクニヌシら神話の時代にまでさかのぼれるといえます。

 さて、出雲神話の舞台は日本海側の山陰地方であることはいうまでもありません。では、いつの時代の歴史が反映されているのでしょうか。

 歴史研究家は本来、神話と歴史的事実を結びつけることに極めて慎重です。しかし、出雲については、これまでの定説を覆すような弥生時代の遺跡の発見が相次いでおり、そのため、出雲神話には弥生時代や古墳時代などの史実が反映されていると考える意見が専門家からも多いのです。

 

日本書紀はなぜ出雲神話を「隠した」?

 出雲最大の謎は、オオクニヌシの天下統一までのプロセスについて、『古事記』では詳述されているのに、ヤマト公認の歴史書である『日本書紀』は一切触れられていないことです。

 ヤマト王権の支配の正統性を主張することが『日本書紀』の目的だったから、ヤマトよりも先に日本を統一した英雄が地方にいたことを、公式の歴史として盛り込みたくなかったためと考えられています。

 『日本書紀』が必死に隠蔽工作を行った一方で、記紀以上に地元の「言い分」が盛り込まれている歴史書も残っています。
 712年にできた『古事記』から約20年後の733年に完成した『出雲国風土記』です。この中でオオクニヌシは「天(あめ)の下つくりましし大神オホナモチ」と、天下統一をした神との称号を与えられています。
 日本初の天下人(神)だったオオクニヌシの道のりは、後世の天下人である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らと同様、苦難の道でした。

オオクニヌシの兄弟たちはライバルの小国家?


 オオクニヌシにはたくさんの兄弟神がいた。その数、八十柱と『古事記』は伝える。
 「八十」は実数ではなく「非常に多い」ことを意味する場合が多いですが、弥生時代の日本の姿も近い数字のクニがあったようです。
 この兄弟神はオオクニヌシが戦わねばならなかったクニたちを現しています。中国の歴史書『漢書地理志』では、邪馬台国より前の日本(倭)について「倭人の国は百余国あった」と明記しています。考古学からも現代の市や県規模の領域をもつクニが多数あったことがわかっています。

試験官・白ウサギの難問を突破

 オオクニヌシと兄弟神は、因幡(出雲の国の東、鳥取県東部)の美女ヤガミ姫に求婚するために旅立ちます。このとき、オオクニヌシだけが兄弟の間で差別されており、荷物持ちにさせられていました。この後もオオクニヌシVS.そのほかの兄弟という構図が続くのですが、彼の実力を妬んだのか大勢で「いじめ」ていたのです。

 手ぶらで先を行く兄弟神は、海辺の岬で皮をはがされ赤い肌がむき出しになって倒れているウサギを見つけました。神々は「海で塩水につかってから、風の当たる場所で休むといいぞ」と嘘の忠告を与えました。少しでも苦しみを軽くしようとウサギはこの妄言を真に受けてしまうのです。

 当然ながら、乾燥した塩分はむき出しの肌をさらに傷めてしまいます。悶絶しそうなウサギを、あとから大きな荷物を背負ってやってきたオオクニヌシが見つけると、真水で体を洗い、薬草を塗るよう正しく指示します。するとウサギは回復し、もとの白い毛が生えてきました。

 ウサギはお礼に「先にいった神々はヤガミ姫を手に入れることはできないでしょう。選ばれるのはあなたです」と予言をしました。

 実際には予言ではなく、結論でした。このウサギも実は神であり、だれが姫の夫にふさわしいかを試す試験官の役割をもっていたというわけです。

 かくしてヤガミ姫は兄弟神に対して「私はあなたたちとは結婚しません。私にふさわしいのはオオクニヌシ様です」と一蹴。屈辱を受けた兄弟神はあわてて引き返し、遅れてやってきたオオクニヌシをヤガミ姫に会わせないように山へと拉致しました。

 そして、「この山には真っ赤な猪がいる。俺たちが山の上からイノシシを追うから、お前は下で受け止めるんだぞ」と命じるのです。

 兄弟神は猪に似た巨石を用意すると、それをカンカンに熱して灼熱で真っ赤にすると、オオクニヌシめがけて突き落としました。焼けた石はオオクニヌシを直撃、その命を奪いました。

木の国(吉備)へ脱出


 しかし、オオクニヌシは母の祈りで蘇生します。しかし、兄弟神はすかさず生き返ったオオクニヌシを木の間にはさみ殺してしまいます。そしてまた母の祈りで、再び命を取り戻すということを繰り返しました。

 あまりに兄弟神の嫉妬が激しいため、オオクニヌシは木の国へと脱出します。木の国は、古墳時代まで「キ(木)の国」と呼ばれていた近畿地方の紀伊国(和歌山県)との説が有力です。しかし、この神話がなんらかの史実を反映しているという前提で考えれば、出雲と紀伊ではあまりに離れすぎています。

 出雲の近辺で「木の国」の候補をあげれば、音の近い瀬戸内海側の吉備(岡山県)があげられます。

 中国山地は標高が低いので、南北の往来は比較的楽です。さらに弥生時代後期、出雲と吉備の一部で土器の様式などが共通していたことも考古学の成果で最近になってわかってきました。
 山陰と山陽で人の行き来があったことはまちがいなく、同盟関係が結ばれていた可能性も十分にあるでしょう。

 神話に話を戻します。
 木の国の神、オオヤヒコにかくまわれたオオクニヌシを、兄弟神はさらに追いかけてきました。オオヤヒコはオオクニヌシを巨木の洞に隠しました。

ご先祖、スサノオとの出会い

 実はこの洞は、黄泉の国と並ぶ異界「根(ね)の堅洲(かたす)の国(根の国)」につながるトンネルでした。根の国は時空を超えた異界です。なにしろ、ここを支配しているのが、6代前の先祖であるスサノオだったのですから。

 6代も前となると、お互いに先祖、子孫という感覚もなかったのでしょう。オオクニヌシはスサノオの娘、スセリ姫と結ばれることになります。

 しかし、舅(しゅうと)となったスサノオは婿と認めず、蛇の部屋に押し込めたり、草原に置いて周りから火を付けたりと、かつてアマテラスを難儀させたことを思い出させる暴れぶりで、何度もオオクニヌシを窮地に追い込みました。

三種の神宝で天下統一


 スセリ姫の助けで危機をなんとか乗り越えたオオクニヌシは、寝ているスサノオの髪を建物の柱に縛り付けました。そして、スサノオの三種の神宝、太刀と弓と琴を奪うと、妻を背負い根の国を脱出しました。

 スサノオは追うのをあきらめ、「その太刀と弓で兄弟たちを倒し、葦原中津国(あしはらなかつくに)(地上世界)を統治せよ」と、ようやく婿にエールをおくったのでした。

 地上世界に戻ったオオクニヌシはスサノオの武器で次々と兄弟を倒しました。こうして、地上世界は初めてひとりの神によって統一されたのです。

 考古学的には、3~4世紀のヤマト王権よりも前に列島を統一した勢力があった証拠はありません。弥生時代の各地の有力な勢力はせいぜい今の県か市レベルの支配域しかもっていませんでした。

 しかし出雲だけは例外で、ヤマトよりもはるかに早い1~2世紀頃、富山県を東端とする日本海沿岸のかなり広範囲に、ヒトデのような形をした「四隅突出型墳丘墓(しすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)」という出雲文化を広げていたことが考古学からわかっています。

 実際、オオクニヌシが結婚した女性の出身地を見ると、西は玄界灘の孤島・沖ノ島の宗像大社沖津宮(おきつみや)にまつられるタギツ姫(福岡県)、東は新潟県のヌナカワ姫までと、考古学上で確認される出雲の勢力圏とかなり重なっています。

 「日本海側だけでは到底、天下を統一したとはいえない」と、弥生時代の出雲を軽く見る人もいるかもしれません。しかし、ヤマト以前の日本で、これほど広範囲に独自の墓文化を広めたケースはほかになかったことも事実。

 ヤマト王権は、前方後円墳という共通の形をした墓を広めることで全国支配を行ったことから「前方後円墳国家」と呼ぶ研究者もいるくらいです。
 その先駆者である出雲、つまりオオクニヌシが『古事記』で「はじめて国を作った神」と紹介されたのは、こうした偉業があったからといえます。

 オオクニヌシはまさしく日本初の「天下人」なのでした。

オオクニヌシをまつる主な神社

出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東 電話:0853・53・3100

弥生時代までは大社や斐伊川がある西部が出雲の中心でしたが、実は古墳時代においては東部(松江市周辺)のほうに国府が置かれ発展していました。オオクニヌシら神話の神々は一体どちらを拠点としていたのでしょうか。

 

 

日本の神様と神社 神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

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出雲と大和――古代国家の原像をたずねて (岩波新書)

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日本初の神様「天御中主大神」(アメノミナカヌシ)は地球創生の物語?【日本最強神様選手権エントリーNo3】

日本最強の神は誰か?
つづきましては、

id:hesocha さん「現れるなり隠れる超絶照れ屋「天御中主神」は名前だけは強そう」

とのコメントにお答えしたところですが、コメントにあるように天御中主神(アメノミナカヌシ)はほとんどエピソードなし。

しかし、古事記ではもっとも早く登場する神様なのです。

三浦佑之さんの「口語訳古事記」から引用させていただきますと

天と地がはじめて姿を見せた。その時にの、高天の原に成り出た神の御名(みな)は、アメノミナカヌシじゃ。次にタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出たのじゃ。この三柱のお方はみな独り神での、いつのまにやら、その身を隠してしまわれた。

漢字にするとこのようになります。

天御中主神(1)

高御産巣日神(2)

神産巣日神(3)

独り神というのは、このあとのイザナギ・イザナミのように男女にわかれる前の状態の神様です。結婚相手がいないので、うまれてもただ消えていくのみです。

その後も名前だけの神様がわいてでます。「湧いて」というのは失礼ですが、そうした登場と消滅を繰り返すのです。

泥から生まれたウマシアシカビヒコヂ(4)

天で生まれたアメニトコタチ(5)

ここまでの5柱を「別天つ神(ことあまつがみ)」と古事記は呼びます。

続いて、

クニノトコタチ(6)、トヨクモノ(7)

ここまでが独り神です。

そしてとうとう男女の神が登場します。

ウヒヂニ・スヒヂニ(8)は、兄と妹です。

ツノグヒ・イクグヒ(9)、これも兄と妹(以下同文)

オホトノヂ・オホトノベ(10)

オモダル・アヤカシコネ(11)

そしてそしてついに生まれますのが我らがカップル!

イザナギ・イザナミ(12)です。

兄と妹をひとまとめにするのか!と、シスコンサイドからはおしかりを受けそうですが、古事記がそうカウントしているのでお許しください。

古事記では、さきの5柱を「別天つ神」そして、クニノトコタチ(6)からイザナギ・イザナミ(12)までを、カップルは一つとして数えて「神世七代」(かみよななよ)と呼んでいるのです。

古事記の世界観のすごさは、人間的な物語がはじまる以前のこの部分かもしれません。

ビッグバン前を思わせるようななにもない世界からビッグバン、太陽系、地球が生まれる様子を表現する、別天つ神。

地球が冷えて海や地面が生まれていく様子を表現するクニノトコタチ(国之常立神)や豊雲野神。

そして性別のない単細胞生物がうまれ、性別のある恐竜(ウヒヂニ兄妹あたり?)や哺乳類(オホトノヂ兄妹あたり?)へと進化していき、イザナギ・イザナミという人間(もしかしたら類人猿くらいの年代?)が登場するという、科学的な生物の進化を表現している(ようにもみえる)のです。

 

 

 

口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫)

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日本の神様と神社-神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

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【日本最強神様選手権エントリーNo2】存在を否定された日本女性史上最強のオトコ神功皇后オキナガタラシ姫

ヤマトタケルにつづいては、

id:kangiren さんオススメ2人目の神功皇后です。

男の娘なヤマトタケルか戦闘美熟女神功皇后の2トップだと思う。

 

影の薄い夫の天皇から主役を奪った皇后

 ヤマトタケルは日本列島のかなりの部分を従わせましたが、遣り残した仕事は次の世代に託されました。それはヤマトの威光を海外にまで広げることでした。
 天皇になれずに客死したヤマトタケルだが、遺児は即位して第14代の仲哀天皇となります。しかし、この仲哀天皇時代の事実上の主人公は、妻の神功皇后(オキナガタラシ姫)です。西暦400年頃の人物とされています。

 父のヤマトタケルによって一度は服従させた南九州のクマソ(熊襲)が再び反乱したため、仲哀天皇は自ら赴き、陣頭に立ちました。遠征中に、妻の神功皇后が神懸かり、「西方にある新羅国(朝鮮半島東部)を征討せよ」という神のお告げを受けました。しかし、仲哀はこの神託を無視しました。


 朝鮮半島との間では、人や文化が絶えず往来していましたが、神話でも歴史上でも日本から半島へと軍勢で攻め入った例はそれ以前にはありません。仲哀が「荒唐無稽(むけい)」と判断したのも理解できます。


 だが、仲哀には神罰が下りました。真っ暗の部屋で仲哀が響かせていた琴の音が突然すっとやむという異変に、あわてて明かりがつけられましたが、仲哀はすでに息絶えていました。父のヤマトタケルがそうだったように、子の仲哀もまた神の怒りを買ってしまった、ということです。

 表舞台からあっけなく退場した仲哀の後を引き継いだのは、神功皇后です。神のお告げに従い、おなかに子を宿しながらも朝鮮半島にわたるという過激な行動にうつします。

政教分離だった古代の日本の「まつりごと」


 古代の政治は男女ペアが基本でした。倭国の女王・卑弥呼と男弟、ヤマトトトヒモモソ姫と崇神天皇など。祭祀を女性が、政治は男性といった分権体制だったとみられます。
 今でも日本語で「まつりごと」は、「祀り」でもあり、「政(まつりごと)」でもあるように、両者は表裏一体。神功皇后は即位こそしませんでしたが、裏方で祭祀を支えた経験ある皇后が、夫の亡き後に天皇となったケースは、飛鳥時代から奈良時代にかけて頻発しています。

住吉神社は朝鮮進出の足跡

 神功皇后の朝鮮出兵の様子を物語るのが『日本書紀』にも登場する住吉の神です。
 神功皇后は、朝鮮へ向かう途中の関門海峡の中国地方側(山口県)で、「住吉の神の魂が御身と船を守るだろう」というお告げを受けました。そのとおりに、海上を平穏に渡ることができたお礼の気持ちを込めて、「この場所に住友の神の荒魂(あらたま)をまつりなさい」と長門国一の宮の住吉神社を建てたと伝わります。

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By ChiefHira - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

 

 神は平和をもたらす和魂と、勇猛果敢に活動する荒魂の二つの魂(性質)をもつと考えられていました。長門の住吉神社に、荒魂が鎮められたのは、普段の航海の神としてではなく、戦争にかかわる御利益を期待した結果からでしょう。

 1370年に建てられた現在の社殿(国宝)は、一般的な神社同様に南を向いているにもかかわらず、かつては入り江が西から入り込んでいた地形から古代には西に面していたのではないか、という説があります。

 西は出兵先の朝鮮半島があります。まさしく神功皇后が見据えた方向というわけです。
 境内には「船楠(ふねくす)」という巨樹があります。古代の船の材料はクスノキ(楠)や杉でしたから、神功皇后の水軍がこの地の木材で船を造ったと想像したくなります。

 住吉の神とは海を守るウワツツノオ(表)、ナカツツノオ(中)、ソコツツノオ(底)の三柱の兄弟神です。「ツツノオ」という名の由来は、諸説あるが、「津ツ之男」つまり津(港)を守る男という説が魅力的です。

現れた神功皇后の侵攻ルート

 この住吉三神や神功皇后をまつる住吉信仰の神社は全国に2000社あるといわれ、海辺に鎮座することが多いのです。
 数ある住吉神社のなかから、平安時代の法律書『延喜式(えんぎしき)』に載る住吉神社の所在地を手がかりに、神功皇后の通り道を復元してみましょう。

 『延喜式』には「神名帳」という神社名簿がある。いわば「神社ランキング表」で、このランクに応じて国家からの手当が配当されます。

 神名帳に載る住吉神社六社(大阪府、兵庫県、山口県、福岡県、長崎県・壱岐、同県・対馬)を地図上に点でおとし、それを線で結んでみるとどうなるでしょうか。

 ヤマトの主要港だった大阪の住吉から瀬戸内海、壱岐、対馬を経由して朝鮮半島に向かう神功皇后のたどった「海の道」が現れるのです。兵庫県の一社をのぞいて、すべてが最高ランクの「名神大社」に指定されているのも、神功皇后の足跡がいかに重要とされてきたのかがわかります。

存在を否定された神功皇后

 ところが、実は歴史学においては、神功皇后は実在せず、日本による朝鮮出兵(三韓征伐)は歴史的事実ではないとする考えが、むしろ定説に近いのです。
 これは戦後に定着した説で、明治時代以降の日本が朝鮮半島を植民地にした反省から生まれています。
 「近代日本が朝鮮を支配したのは悪いこと」と、「古代の日本が朝鮮へ出兵した」ことは無関係なはずですが、この「神功皇后はなかった」説を覆すのは学問的にはなかなか難しいのです。「ない」ことを証明することは不可能だからです。

 しかし、日本側の資料ではなく、朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)に残る石碑「好太王碑文」では、はっきりと391年にヤマトが半島へ進出して高句麗と戦ったと記しています。

 当時の日本人は行ったと言い、朝鮮の人たちも来たと言っている。神功皇后の伝承は、歴史的な事実が背景にあったと考えるのが自然でしょう。

神功皇后を祀る主な神社

住吉神社 住所:山口県下関市一の宮住吉 電話:083・256・2656

海の神といえば住吉三兄弟と宗像三姉妹。平安末期の源平合戦では、海の神も参戦したようです。平清盛が厳島神社(祭神は宗像神)を造営したのに対して、源氏には住吉系神社がついたらしく、山口の住吉神社にほど近い壇ノ浦で決着がつきました。

 

 

日本の神様と神社-神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

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【日本最強神様選手権エントリーNo1】刀剣で乱舞する男の娘ヤマトタケル

数年ぶりにはてなに戻ってきて、はてなダイアリーからはてなブログへ移りました。

そこで書かせていただいた下の記事にはてブいただきました!
ありがとうございます。

emiyosiki.hatenablog.com

しかも、はてブで面白いコメントがもらえるのが、やっぱりブログの中でも「はてな」のすごいところだと思いますね。村や!!!

それではせっかくいただいたコメントを最強の日本の神様選手権への出馬と(勝手に)みなさせていただいて、リストにのっている神様をコメント順に、拙著(の更生前の第1稿)を使って紹介していきたいと思います。

よろしくおつきあいくださいませ。

 

日本の神様と神社 神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

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まずはエントリーNo1

id:kangiren さんのコメント

男の娘なヤマトタケルか戦闘美熟女神功皇后の2トップだと思う。

おっといきなり2人ではないですか!笑

エントリーNo1 ヤマトタケル(日本武)

 

http://www.diamondblog.jp/contents/official/sites/743/2015/09/20150930182201296_side_prof.jpg

大島薫ブログより

「空白の4世紀」に何があったのか?

 日本の古代史において、3世紀の邪馬台国の時代には『魏志倭人伝』という手がかりがあり、5世紀にも断片的ながら中国に使節を送った天皇(大王)の記録が残っています。ところが、その間にすっぽりと空いた4世紀の100年間は確かな文献史料がなく謎に包まれています。そのため、この100年は「空白の4世紀」と呼ばれています。

 4世紀にいったい何があったのか。この問いに対する答えを、『古事記』のヤマトタケル伝承から探ってみましょう。そこにあるのは見捨てられてもなお父の命令に従う悲劇の英雄物語です。

 第12代・景行天皇の第3子だったヤマトタケルは、名前「タケル」が勇猛な性格であることを示すように、猛々しい人物でした。ちなみに子供の頃の名は「オウス」です。

 あるとき、食事に同席しなくなった兄を連れてくるようにと父に言われた彼は、なんと兄の手足をもいで殺してから「連れてきた」のです。

 その残酷なまでの勇猛さをおそれた父は、九州のクマソ(熊襲)を討つよう命じました。まさかやっかい払いされたとは気づかずに、当の本人は忠実に命令にしたがいます。

目的のためなら女装もする それとも女装が目的だったのか

 結果のためには手段を選ばない男です。女性と見間違えるほどの美貌を備えていたのでしょう、女装してクマソタケルに近づき、暗殺。このとき、敗れたクマソタケルから「ヤマトタケル」の名を与えられたのでした。

 次の出雲征伐でも真っ向勝負は挑まず、策略に頼ります。対戦相手のイズモタケルと仲良くなり、隙を見て相手の刀を木刀とすり替えて、討ち取ったのです。ぶっちゃけあからさまなだまし討ちです。

 ヤマトタケルは武力で真っ向勝負するタイプではなく、権謀術数を張り巡らす知力の将だった像が浮かび上がります。卑怯と言えば卑怯だが、犠牲を最小限にしたとすれば名将とも評価できるでしょう。

 熊襲と出雲を倒したヤマトタケルは意気揚々と都に戻りますが、天皇は休む間もなく東方の蝦夷征伐へと送り込みます。ここにきて、ヤマトタケルは自分がやっかい者扱いされていることにようやく気がついたのです。

 「帰ってすぐに出陣しろとは、私に死ねと言っているのだろう」

 おばのヤマト姫に、こんな愚痴が出てしまう始末。

リア充すぎて父親に嫉妬されたのかも

 それでも根はまじめだったのでしょう。命じられた東方平定を着実にこなしていきます。ただ、成功の影には、ヤマト姫が名刀・草薙剣を授けてくれたり、妻のオトタチバナ姫が荒れた海に飛び込み人身御供となったりと、身内の女性からの手厚い援助がありました。父以外の家族からは愛されたのは救いだったことでしょう。

 無敵を誇ったヤマトタケルにも、最後のときがやってきます。実力を過信し、神を侮ってしまったのです。

「伊吹山(岐阜県と滋賀県の県境)の神を素手で倒してやる」

 つけあがるヤマトタケルに神は怒の鉄拳ならぬ雹(ひょう)を降らせました。大けがをしたヤマトタケルは、杖で身体を支えながらなんとか都に帰ろうとしますが、途中の伊勢国の能褒野(のぼの、三重県亀山市付近)で力尽きてしまったのです。

 漂泊の旅に幕を閉じたヤマトタケルは、白鳥となって都のある大和を通り越して河内の志幾(大阪府)に降り立ちます。そこに墓「白鳥陵」が建てられました。

白鳥伝説と太陽の道

 白鳥伝説には興味深い説があります。ヤマトタケルの魂である白鳥が飛んだと『日本書紀』が記録する3地点を線で結ぶと、北緯34度32分の直線となるのです。このラインは「太陽の道」でもありました。太陽の道とは、昼と夜の長さが同じになる春分(秋分)の日に太陽がのぼる場所と沈む場所を結ぶものです。

 オカルト的と思う人もいるかもしれませんが、現代人と比べても古代人の天体知識は非常に豊富でした。むろん季節を知ることが目的で、UFOを呼ぶためではありません。

 なにしろ、古墳時代のヤマトタケルどころか、約4000年前の縄文人でさえも、太陽の道(こちらは昼が一番長い夏至の太陽の軌道)をストーンサークルで描いていたことが、秋田県の大湯環状列石遺跡から判明しているくらいです。

 

古事記、日本書紀、風土記で描かれ方が異なるヤマトタケルは複数いた?

 一方、『古事記』とは別に、ヤマトタケルの伝承が各地に残っています。ところが、悲劇の英雄とは違う姿で描かれているのです。どういうことでしょうか。

 『古事記』では「親子の愛情のずれ」が主題ですが、『日本書紀』では天皇の命令をひたすら忠実にまもる一組織人であり、しかも父から愛される息子として描かれています。都に戻れないことは同じだが、親孝行の鏡としての美しい死なのです。

 もっと違ったイメージなのは、常陸国(茨城県)の伝承をのせる『常陸国風土記』です。そこでは、はるばる常陸までやってきたヤマトタケルが治水事業や視察などをしてくれたとあります。そこには、どう猛さ、荒々しさがほとんど見られません。

 それだけでなく、風土記は皇子のまま生涯を終えたはずのヤマトタケルを「倭武天皇」と表記しているのです。なぜヤマトタケルは東国で天皇とされたのでしょうか。

 

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 さまざまな解釈が考えられます。たとえば、『古事記』でも天皇に準じる扱いをされているから「ほとんど天皇」と考えられていたという説。あるいは、権威付けのために「天皇」という称号をあえて名乗って地方を巡ったという説、などです。

 「天皇は万世一系」というタブーを破るという点で注目される学説もあります。神武天皇を初代とする天皇の系譜は、さも一種類しか存在してこなかったように思われがちですが、歴史的に見ると実はそうではありません。

 ほぼ奈良時代にまとめられた記紀では、天皇の家系は一つにまとめられています。しかし、それより前の飛鳥時代には、ヤマトタケルのように天皇になれなかった人物が天皇になっている、もしくはその逆の系譜も複数あったと考えられているのです。

 風土記をさらに詳しく読むと、単純にヤマトタケルの名前の後ろに「天皇」と付けたのではなく、本当の天皇にしか使われない語法がみられます。記紀が隠した実在する誰かの情報を、風土記がくみ取った可能性は十分にあるでしょう。

 ヤマトタケルは実在したのか。難しい問題ですが、ヤマト王権が拡大を始めた4世紀、大王(天皇)の名代として各地を巡り歩いた皇族や臣下がいたことはまず間違いありません。それぞれの苦難の道程がヤマトタケル伝承として一つの壮大な物語になったのでしょう。

結論 ヤマトタケルは全国にヤマトイズム(前方後円墳)普及のために散った複数の皇族らの苦難の旅路の集合体

 古墳時代には、ヤマト王権が広がります。いまに残らないいろいろな「ヤマトイズム」があったでしょうが、なかでも大きかったのは前方後円墳です。前方後円墳はお墓ですから、造ればOKという代物ではありません。そこに魂をいれるために「祭祀」が必要です。その祭祀をやる人間はそれなりの人物であったはずで、多くの若い皇族らが全国に派遣されたことでしょう。かれらは、すんなり受け入れられるところもあれば、近畿から離れれば離れるほど強い抵抗にあったことでしょう。なかには目的を果たせず命を散らした男たちがたくさんいたはずです。そうした故郷にかえれなかったたくさんの魂がヤマトタケルという一人の人物になり、そして白鳥として昇天していったのではないでしょうか。複数の皇族たちの苦難の旅路の集合体が「ヤマトタケル」という悲劇の英雄を作り上げていったのです。

【祀られている主な神社】

大鳥大社 大阪府堺市西区鳳北町 電話:072・262・0040

 

 古代の大鳥大社の周辺は、死と生産の地だった。仁徳陵古墳をはじめ、日本五大古墳がこのエリアに集中する。また、三千基もの須恵器(陶器)窯跡が見つかり、陶器の一大生産拠点だったこともわかっている。

 

*あしたは、神功皇后(オキナガタラシ姫)を紹介します。

 

日本の神様と神社 神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

日本の神様と神社 神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

 

 

日本の神様の中で誰が最強なのか!? 36柱にキャッチフレーズをつけてみて 専門家の意見を待つことにした

日本の神様で最強って誰だろう?
オモコロの「結局「神話の神々」の中で誰が最強なの!? 専門家に聞いた 」

omocoro.jp

を読んで笑わせてもらいながら、ふと思いました。

というわけで、古事記や日本書紀など日本神話に出る主な神様をほぼ網羅して、36柱(ペアやグループは1柱にカウント)それぞれキャッチフレーズをつけて、さらにまつられている主な神社を載せてリストにしてみました。

だいたい時代順に3つにわけました。

「創世記の神々」(記紀の神話時代の前半)
「国譲りと天孫降臨の神々」(神話時代の後半)
「ヤマト建国、戦場を駆ける神々」(歴史時代)

よかったらはてブなどで、「この神様が最強」というコメントを寄せていただけると幸いです。

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【創世記の神々】

1 日本列島を創った健介北斗夫妻   イザナギ・イザナミ

主な神社(以下同) 伊弉諾神宮・兵庫(淡路)

コラッ!健之介

 

emiyosiki.hatenablog.com

 

2  皆既日食と卑弥呼から生まれた太陽神  アマテラス


伊勢神宮・三重

http://im33a.estar.mbga.jp/0/727/421575727.jpg

 

小説投稿サイト「エブリスタ」のおおかさんの作品「邪馬台国の女王様」より

3 天上界で大暴れの勇者、地上で改心したピュアボーイ 須佐之男


須我神社・島根

GTO(1) (週刊少年マガジンコミックス)

4  語られない月の秘密を抱いた男の娘? ツクヨミ

出羽三山神社・山形

ツクヨミ 秘された神 (河出文庫)

5 祭りのプロ!神様界の北島三郎 アメノコヤネ

枚岡神社・大阪

風雪ながれ旅/北の漁場/まつり

6 臥薪嘗胆で地上初の支配者となった苦労人 オオクニヌシ

出雲大社・島根

オオクニヌシ 青雲編 (マンガで親しむ出雲神話 2)

emiyosiki.hatenablog.com

7 国際港の職人だった白ウサギ 因幡の白兎

白兎神社・鳥取

ガブリエラ戦記I 白兎騎士団の窮地<ガブリエラ戦記> (ファミ通文庫)

8 オオクニヌシの名参謀 スクナヒコ

古事記巻之一  完全版 ナムジ   大國主 弐 (カドカワコミックス・エース)

 

生石神社・兵庫

【国譲りと天孫降臨の神々】

9 倭大王になりそこねたチキン神 オシホミミ


西寒多神社・大分

SHOUTING CHICKEN

 

 

10 出雲の軍門に下った優しき天つ神 アメノホヒ


出雲大社・島根

日本の神様に出会う旅?出雲・島根編? (コミックエッセイの森)

 

11 国譲りの最後の切り札 タケミカヅチ


鹿島神宮・茨城

コトブキヤ マブラヴ オルタネイティヴ 武御雷 Type-00R ノンスケール プラスチックキット

12 天孫系のニホンをつくった最大功労神 フツヌシ


香取神宮・千葉

[異界見聞録7]地震と神社、フツヌシ神からの啓示 ――阿蘇から香取・鹿島への龍脈と要石の秘密

 

13  日本海を往還する海の民 タケミナカタ


諏訪大社・長野

ピーエムオフィスエー 1/150スケール プラモデル 信濃國一宮 諏訪大社 下社秋宮

14 全知全能にはなりきれなかった知恵の神 オモイカネ


秩父神社・埼玉

あの『忘れえぬ日々』

15 The天孫とはこのお方 ニニギ


新田神社・鹿児島

神楽酒造 天孫降臨 芋 25度 瓶 300ml

16 天皇に寿命を与えた厳父 オオヤマツミ


大山祇神社・愛媛

SRシリーズ ファイティングコレクション 巨人の星編 Part3 星一徹 単品 フィギュア ガシャポン ガチャガチャ ユージン Yujin

17  可憐さと激情を併せ持つ美少女 コノハナノサクヤ姫


富士山本宮浅間大社・静岡

富士山噴火

18 海を味方に兄を倒すジャパニーズポセイドン ホホデミ(山幸彦)


青島神社・宮崎

聖闘士聖衣皇級 海皇ポセイドン

19 兄だって辛いよ ホデリ(海幸彦)


潮嶽神社・宮崎

【Amazon.co.jp限定】おそ松さん かくれエピソードドラマCD「松野家のなんでもない感じ」 第1巻(メーカー特典:「描き下ろし全3巻収納BOX」引換シリアルコード付)(ジャケット絵柄 缶バッジ75mm付)

 

20  海をいく男たちに指針を示す シオツチ


塩竈神社・宮城

塩竈みなと桟橋から/いつもこころに

 

21 サメに変化する海の女神 トヨタマ姫


和多都美神社・長崎

小顔にみえマスク ふつうサイズ 7枚入

22 育ての母親と結婚しちゃう肉食系 ウガヤフキアエズ

鵜戸神宮・宮崎

インドのお義母さん(マー)



【ヤマト建国、戦場を駆ける神々】

 

 

23 逃げながら東征した カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)


橿原神宮・奈良

神武―古事記巻之二 (1) (中公文庫―コミック版)

24 本当は天皇だったかもしれない物部氏の神 ニギハヤヒ


磐船神社・大阪

孔雀王 第3巻

 

25 天皇もおびえる三輪山の祟り神 オオモノヌシ


大神神社・奈良

もののけ姫 [DVD]

26 戦艦大和の守護神だぜ! ヤマトオオクニタマ


大和神社・奈良

タミヤ 1/350 艦船シリーズ No.25 日本海軍 戦艦 大和 プラモデル 78025

27 列島を縦断して旅する演説の神 オオヒコ


伊佐須美神社・福島

ドナルド・トランプ演説集 (The Speeches of Donald Trump)

28 魂になっても太陽の道を飛ぶ英雄 ヤマトタケル


大鳥大社・大阪

 

http://www.diamondblog.jp/contents/official/sites/743/2015/09/20150930182201296_side_prof.jpg

大島薫ブログより

emiyosiki.hatenablog.com

 

 

29 妊娠中に海を渡って戦った女傑 オキナガタラシ姫(神功皇后)


住吉神社・山口

emiyosiki.hatenablog.com

 

 

 

30 長い瀬戸内海航路のターミナルを守る3姉妹 住吉三神


住吉大社・大阪

三姉妹

31 女神に助けられた中興の祖 八幡神(応神天皇)


宇佐神宮・大分

少年(ショタ)の描き方 (KOSAIDOマンガ工房)

32 朝鮮から渡来した神 アメノヒボコ


出雲大社・島根

Try IT(トライイット) 観てわかる 中学歴史

33 専制君主に奪われた幻の天皇 ヒトコトヌシ


葛城一言主神社・奈良

たった一言で人生が変わるほめ言葉の魔法

34 日本を牛耳った藤原氏の氏神 春日大社四神


春日大社・奈良

藤原さんちの大人気ごはん (別冊すてきな奥さん)

35 古代官僚の手抜きテクニックが作った神 オオクニタマ


大国魂神社・東京

官僚たちの夏 (新潮文庫)

36 蝦夷の怒りを噴火で表した神の山 オオモノイミ


鳥海山大物忌神社・山形

 

 

 

ゴールデンカムイ 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 

日本の神様と神社 神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

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春日大社の天井裏から名刀「延寿國吉」鎌倉北条氏が奉納か

奈良の春日大社で昭和14年に宝庫の天井裏から見つかっていた刀が鎌倉時代北条氏が奉納した太刀である可能性が高いことがわかったそうです。春日大社が12月29日に発表しました。

春日大社は現在、20年に一度の社殿の式年造替(ぞうたい)の最中で、これに伴い人間国宝の本阿弥光洲刀をみがき、平成28年(2016年)12月には東京国立博物館に鑑定してもらったところ、うち3本が平安時代末から鎌倉時代後期の黒漆でさやが装飾された「黒漆太刀」と判明。

1本(106・8センチ)は、銘から鎌倉後期の延寿國吉(えんじゅくによし)、2本が平安末~鎌倉初期頃の「古備前」でした

さらに歴史を調べてみると、北条氏が「黒漆太刀」を奉納していたことから、両者が同一ではとみられるようになったとのことです。

なぜ、天井裏にあったのか?

鎌倉幕府滅亡に際して、関係を隠すために隠した、なんていうのがドラマチックですが、春日大社ほどの有名寺社になればときの有力者との関係がない、なんてことはありえないですから、わざわざものを隠す意味もない気がします。

信長が奈良東大寺正倉院で大切な蘭奢待を切り取ろうとした時に、この刀のことを聞きつけて、取られそうになった神社が隠したなんていうのはどうでしょう?

それとも単に盗みに入った泥棒がとりあえず天井裏に隠してあとで取りに来ようとしたけどなんらかの理由でそのままになってしまったとか。

 

想像はいろいろ膨らみますが、この刀は2017年3月まで、今年10月に開館した春日大社国宝殿で展示されているとのことです。

 

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奈良の春日大社で発見の刀 北条氏が奉納の太刀か

 

 

12月29日 18時09分

奈良市春日大社で見つかった古い刀が、平安時代から鎌倉時代にかけて作られた「黒漆太刀」と呼ばれる名刀であることがわかり、神社は鎌倉時代に権勢を振るった北条氏が納めたと伝えられる太刀の可能性が高いとしています。

奈良市にある春日大社によりますと、昭和14年に宝庫の天井裏から見つかった3つの太刀について、社殿などを修復する「式年造替」に合わせて磨き、今月東京国立博物館に委託して鑑定を行いました。

 

その結果、さやなどが黒い漆で装飾された「黒漆太刀」と呼ばれる刀で、刃の部分の模様やそりの特徴から、平安時代の末期から鎌倉時代の後期にかけて作られた名刀とわかったということです。

 

春日大社によりますと、鎌倉時代に権勢を振るった北条氏が「黒漆太刀」を奉納したという記述が文献にあることから、これらのいずれかである可能性が高いということです。

 

東京国立博物館の酒井元樹主任研究員は「当時の大刀がこれほどいい状態で残っていることは珍しく、国宝に指定されている太刀と比べても遜色ない。日本の刀剣史を考えるうえで非常に興味深い発見だ」と話しています。

 

これらの太刀は、春日大社の国宝殿で来年3月まで展示されています。

 

 

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春日大社の天井裏の太刀3本、「国宝・重文級」

  • 「國吉」と刻まれた銘文。延寿国吉の作とわかった(29日、奈良市の春日大社で)=里見研撮影
    「國吉」と刻まれた銘文。延寿国吉の作とわかった(29日、奈良市春日大社で)=里見研撮影

 春日大社奈良市)は29日、約80年前に宝庫の天井裏から見つかった黒漆太刀こくしつのたち3本を研いだところ、1本が鎌倉時代後期の刀工・延寿国吉えんじゅくによし作、2本が平安末~鎌倉初期頃の「古備前」とわかったと発表した。

 専門家は「3本とも国宝・重文級の名刀だ」と評価している。

 黒漆太刀は装飾のない黒漆塗りのさやを持つもので、武士が日常的に使ったため現存例が少ないという。1939年、宝庫の解体修理時に9本が見つかったが、さびていて詳細は不明だった。うち3本を20年に1度の大改修・式年造替しきねんぞうたいに合わせて人間国宝の本阿弥光洲氏に研ぎを依頼、同大社などの調査で判明した。

 延寿国吉作の太刀は全長106・8センチで、「國吉」という銘文の書体などからわかった。同作の刀は室町幕府の6代将軍、足利義教よしのりも愛用したという。