歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

古事記はなぜ出雲神話を隠蔽したのか?【オオクニヌシ 最強の日本の神様エントリーNo4】

オオクニヌシ 臥薪嘗胆で地上初の支配者となった苦労人 

最強の日本の神様のエントリーNo4です。

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コメントいただいた分はこれで一応終了ですが、ゆっくりほかの神様の分も続けていきます。

古事記を読むと、オオクニヌシのスター性に衝撃を受けるよね。イザナギとかってジョジョでいうジョナサンで、オオクニヌシでついに承太郎出てきた感がある。

我が故郷の氷川神社は出雲の流れをくむのでやはりオオクニヌシは贔屓してしまうな

の、お二人さまがあげてくれたオオクニヌシ(大国主)です。

 

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いくつもの名前を持つ男


 天の世界でアマテラス(天照)とスサノオ(須佐之男)の姉弟が争い、やぶれたスサノオが出雲に降臨してから長い時間がたち、ようやく地上に「王」が誕生します。

 最初に地上世界を支配したのは、アマテラスの子孫ではなく、スサノオから数えて6代目のオオクニヌシでした。
 オオクニヌシは出雲大社にまつられる偉大な神で、日本神話の中でも特に知名度が高いでしょう。兄たちのいじめなど数々の困難を乗り越えて成り上がっていく物語には、読む人を奮い立たせる力があるとともに、たくさんの古代史の謎を解き明かす鍵がちりばめられているのです。

 オオクニヌシには、オオナムヂ、ヤチホコ、アシハラシコノオなどたくさんの別名があります。成り上がるたびに名前が増えていくのですが、名前をたくさんもっている神ということは、それだけ力が強いことも意味します。

 日本人が子供の頃の名前を後生大事に使い続けるようになったのは明治の文明開化からと比較的新しいのです。室町時代や江戸時代から続く能、狂言、落語など古典芸能で頻繁に行われる襲名の原点は、オオクニヌシら神話の時代にまでさかのぼれるといえます。

 さて、出雲神話の舞台は日本海側の山陰地方であることはいうまでもありません。では、いつの時代の歴史が反映されているのでしょうか。

 歴史研究家は本来、神話と歴史的事実を結びつけることに極めて慎重です。しかし、出雲については、これまでの定説を覆すような弥生時代の遺跡の発見が相次いでおり、そのため、出雲神話には弥生時代や古墳時代などの史実が反映されていると考える意見が専門家からも多いのです。

 

日本書紀はなぜ出雲神話を「隠した」?

 出雲最大の謎は、オオクニヌシの天下統一までのプロセスについて、『古事記』では詳述されているのに、ヤマト公認の歴史書である『日本書紀』は一切触れられていないことです。

 ヤマト王権の支配の正統性を主張することが『日本書紀』の目的だったから、ヤマトよりも先に日本を統一した英雄が地方にいたことを、公式の歴史として盛り込みたくなかったためと考えられています。

 『日本書紀』が必死に隠蔽工作を行った一方で、記紀以上に地元の「言い分」が盛り込まれている歴史書も残っています。
 712年にできた『古事記』から約20年後の733年に完成した『出雲国風土記』です。この中でオオクニヌシは「天(あめ)の下つくりましし大神オホナモチ」と、天下統一をした神との称号を与えられています。
 日本初の天下人(神)だったオオクニヌシの道のりは、後世の天下人である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らと同様、苦難の道でした。

オオクニヌシの兄弟たちはライバルの小国家?


 オオクニヌシにはたくさんの兄弟神がいた。その数、八十柱と『古事記』は伝える。
 「八十」は実数ではなく「非常に多い」ことを意味する場合が多いですが、弥生時代の日本の姿も近い数字のクニがあったようです。
 この兄弟神はオオクニヌシが戦わねばならなかったクニたちを現しています。中国の歴史書『漢書地理志』では、邪馬台国より前の日本(倭)について「倭人の国は百余国あった」と明記しています。考古学からも現代の市や県規模の領域をもつクニが多数あったことがわかっています。

試験官・白ウサギの難問を突破

 オオクニヌシと兄弟神は、因幡(出雲の国の東、鳥取県東部)の美女ヤガミ姫に求婚するために旅立ちます。このとき、オオクニヌシだけが兄弟の間で差別されており、荷物持ちにさせられていました。この後もオオクニヌシVS.そのほかの兄弟という構図が続くのですが、彼の実力を妬んだのか大勢で「いじめ」ていたのです。

 手ぶらで先を行く兄弟神は、海辺の岬で皮をはがされ赤い肌がむき出しになって倒れているウサギを見つけました。神々は「海で塩水につかってから、風の当たる場所で休むといいぞ」と嘘の忠告を与えました。少しでも苦しみを軽くしようとウサギはこの妄言を真に受けてしまうのです。

 当然ながら、乾燥した塩分はむき出しの肌をさらに傷めてしまいます。悶絶しそうなウサギを、あとから大きな荷物を背負ってやってきたオオクニヌシが見つけると、真水で体を洗い、薬草を塗るよう正しく指示します。するとウサギは回復し、もとの白い毛が生えてきました。

 ウサギはお礼に「先にいった神々はヤガミ姫を手に入れることはできないでしょう。選ばれるのはあなたです」と予言をしました。

 実際には予言ではなく、結論でした。このウサギも実は神であり、だれが姫の夫にふさわしいかを試す試験官の役割をもっていたというわけです。

 かくしてヤガミ姫は兄弟神に対して「私はあなたたちとは結婚しません。私にふさわしいのはオオクニヌシ様です」と一蹴。屈辱を受けた兄弟神はあわてて引き返し、遅れてやってきたオオクニヌシをヤガミ姫に会わせないように山へと拉致しました。

 そして、「この山には真っ赤な猪がいる。俺たちが山の上からイノシシを追うから、お前は下で受け止めるんだぞ」と命じるのです。

 兄弟神は猪に似た巨石を用意すると、それをカンカンに熱して灼熱で真っ赤にすると、オオクニヌシめがけて突き落としました。焼けた石はオオクニヌシを直撃、その命を奪いました。

木の国(吉備)へ脱出


 しかし、オオクニヌシは母の祈りで蘇生します。しかし、兄弟神はすかさず生き返ったオオクニヌシを木の間にはさみ殺してしまいます。そしてまた母の祈りで、再び命を取り戻すということを繰り返しました。

 あまりに兄弟神の嫉妬が激しいため、オオクニヌシは木の国へと脱出します。木の国は、古墳時代まで「キ(木)の国」と呼ばれていた近畿地方の紀伊国(和歌山県)との説が有力です。しかし、この神話がなんらかの史実を反映しているという前提で考えれば、出雲と紀伊ではあまりに離れすぎています。

 出雲の近辺で「木の国」の候補をあげれば、音の近い瀬戸内海側の吉備(岡山県)があげられます。

 中国山地は標高が低いので、南北の往来は比較的楽です。さらに弥生時代後期、出雲と吉備の一部で土器の様式などが共通していたことも考古学の成果で最近になってわかってきました。
 山陰と山陽で人の行き来があったことはまちがいなく、同盟関係が結ばれていた可能性も十分にあるでしょう。

 神話に話を戻します。
 木の国の神、オオヤヒコにかくまわれたオオクニヌシを、兄弟神はさらに追いかけてきました。オオヤヒコはオオクニヌシを巨木の洞に隠しました。

ご先祖、スサノオとの出会い

 実はこの洞は、黄泉の国と並ぶ異界「根(ね)の堅洲(かたす)の国(根の国)」につながるトンネルでした。根の国は時空を超えた異界です。なにしろ、ここを支配しているのが、6代前の先祖であるスサノオだったのですから。

 6代も前となると、お互いに先祖、子孫という感覚もなかったのでしょう。オオクニヌシはスサノオの娘、スセリ姫と結ばれることになります。

 しかし、舅(しゅうと)となったスサノオは婿と認めず、蛇の部屋に押し込めたり、草原に置いて周りから火を付けたりと、かつてアマテラスを難儀させたことを思い出させる暴れぶりで、何度もオオクニヌシを窮地に追い込みました。

三種の神宝で天下統一


 スセリ姫の助けで危機をなんとか乗り越えたオオクニヌシは、寝ているスサノオの髪を建物の柱に縛り付けました。そして、スサノオの三種の神宝、太刀と弓と琴を奪うと、妻を背負い根の国を脱出しました。

 スサノオは追うのをあきらめ、「その太刀と弓で兄弟たちを倒し、葦原中津国(あしはらなかつくに)(地上世界)を統治せよ」と、ようやく婿にエールをおくったのでした。

 地上世界に戻ったオオクニヌシはスサノオの武器で次々と兄弟を倒しました。こうして、地上世界は初めてひとりの神によって統一されたのです。

 考古学的には、3~4世紀のヤマト王権よりも前に列島を統一した勢力があった証拠はありません。弥生時代の各地の有力な勢力はせいぜい今の県か市レベルの支配域しかもっていませんでした。

 しかし出雲だけは例外で、ヤマトよりもはるかに早い1~2世紀頃、富山県を東端とする日本海沿岸のかなり広範囲に、ヒトデのような形をした「四隅突出型墳丘墓(しすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)」という出雲文化を広げていたことが考古学からわかっています。

 実際、オオクニヌシが結婚した女性の出身地を見ると、西は玄界灘の孤島・沖ノ島の宗像大社沖津宮(おきつみや)にまつられるタギツ姫(福岡県)、東は新潟県のヌナカワ姫までと、考古学上で確認される出雲の勢力圏とかなり重なっています。

 「日本海側だけでは到底、天下を統一したとはいえない」と、弥生時代の出雲を軽く見る人もいるかもしれません。しかし、ヤマト以前の日本で、これほど広範囲に独自の墓文化を広めたケースはほかになかったことも事実。

 ヤマト王権は、前方後円墳という共通の形をした墓を広めることで全国支配を行ったことから「前方後円墳国家」と呼ぶ研究者もいるくらいです。
 その先駆者である出雲、つまりオオクニヌシが『古事記』で「はじめて国を作った神」と紹介されたのは、こうした偉業があったからといえます。

 オオクニヌシはまさしく日本初の「天下人」なのでした。

オオクニヌシをまつる主な神社

出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東 電話:0853・53・3100

弥生時代までは大社や斐伊川がある西部が出雲の中心でしたが、実は古墳時代においては東部(松江市周辺)のほうに国府が置かれ発展していました。オオクニヌシら神話の神々は一体どちらを拠点としていたのでしょうか。

 

 

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