中国で4500年前に「都市」の芽生え?
中国のネットニュースサイト「人民網日本版」が、「湖北省で4500年前の遺跡が発掘 初歩的な都市機能備える」と報じています。
4500年前だと日本は縄文時代で、中期のおわりです。
中期には、青森の三内丸山遺跡が隆盛した時期で、そのおわりという意味は、寒冷化が進んだことで、大規模な縄文の村(三内丸山は都市ではありません)が解体したことを意味します。
この時期の寒冷化は地球規模の可能性があるので、中国でもなんらかの変化を求められ、それがこの遺跡の「都市化」だったのかもしれません。
一方、日本は村を解体して、「核家族化」が進み、しかし、血族の証明のために北日本では、共通の「多磨霊園」であるストーンサークル(環状列石)をつくります。
中国社会科学院考古研究所と湖北省文物考古研究所が結成した調査隊は、湖北省?門市沙洋県後港鎮双村村の城河遺跡(新石器時代の遺跡)で発掘調査を行った。同遺跡の規模は約70万平方メートルに達し、湖北省で現在まで発見されている石家河文化時代の遺跡としては2番目の規模を誇り、少なくとも4500年の歴史を持つ。現在すでにかまど、住宅、土の壁、陶器の欠片が出土している。人民日報が伝えた。
(略)
考古学者の現在までの調査によると、城河遺跡は生活区と作業区に分かれる。遺跡の南東の角から北西の角までは城内河が掘られており、住民に生活・生産用水を提供していた。同遺跡は都市の初歩的な機能を備えていたと言える。(編集YF)
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