歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

芦辺拓『ダブルミステリ 月琴亭の殺人 ノンシリアル・キラー』(東京創元社)のネタばれ分析

面白かった。表から読むストーリーは古典的な密室殺人事件。裏から読むストーリーはブログの形式。
ほとんどかみ合わない2つのストーリーが、袋とじの「解決編」で結びつく。
本格派推理を読み終えたあとに訪れる、映画のエンドロールを見たときの余韻にひたれた。

エンターテイメントとしての読書としては申し分ない体験だったと強調した上で、
ちょっとしてからふと 「これはそれほど謎のある殺人事件なのだろうか」
とも感じ
かつ、そうだとしても、こうして時系列や視点をかえることで面白い物語にする小説の技法を知りたくなったので、無粋であることを百も承知で、因数分解してみることにした。 批評や書評でなく、あくまで自分用のメモである。
極めてネタばれすぎるので、本当に本当に、少しでも本書を読む気があるならば、ここから先は読まないでほしい。 しつこいがハンパのないネタばれである。
登場人物
【月琴亭の殺人】
人物1 主人公 「探偵役」弁護士 森江春策(男)60前後か
人物2 被害者的主人公 「首吊り判事」元裁判官 千々岩征威(ちぢいわまさたけ)(男)70前後か

人物3 宇津木香也子 雑貨商を営む20代後半にみえる謎めいた美しい女性
人物4 青塚草太朗 理系の男子大学院生
人物5 堂ヶ芝昌平 中年男 骨董を集めるレストラン経営
人物6 門脇アズサ 婚活のサクラを業としているかわいらしい女性 20代

以上の6人で「密室」殺人が進む。

人物7 槇伊織 ホテルの受け付け 中性的で性別不明な感じだが男。事件が起きる前に島から消える。

人物8 獅子堂勘一 事件後に島にきて捜査をする主人公と顔なじみの刑事
人物9 月見里碧 事件後にホテルの受け付けの人物5とともに島にきて被害者の「首吊り判事」をすばらしい人と高評価する20代半ばの女性

【ノンシリアル・キラー】
人物1 主人公 ブルーワイルドペアのハンドル名のブログの書き手。フリーの女性ジャーナリスト「ヤマナっちゃん」「アオちゃん」で、元恋人が交通事故で死んだが過労死が伺えるために事故を調べたところ、元恋人がつとめていた番組制作会社「ファンタスコープ社」をめぐり、さらに2人が過労が原因の可能性がある謎の死をとげていたことがわかり、最初の死亡事件となった、妊娠していたシングルマザー(になる予定の)女性が電車で巻き込まれた事件を調べていく。
人物2 印南修 主人公が所属する「INA通信社」の先輩でやり手のジャーナリスト。30代だが顔も体もほっそりしてはるかにわかく見えて女にもてる。昔、バイオリニストを目指していたが、不幸な亡くなり方をした身内がいて、この道に入った。

人物3 美崎琴絵 ファンタスコープ社の外部スタッフで映像クリエーター。妊娠していたが、かさなる残業後の帰りの電車でマタハラをされている最中に変死
人物4 阿形淳之 ファンタスコープ社のチーフデスク 駅で足をすべらせて階段から落ちて死亡
人物5 磯島健太 ファンタスコープ社で働く主人公の元恋人で、主人公がはらんでいる子の父親。フィルムを配送中に居眠り運転で壁に激突して死亡


人物6 美崎にマタハラをした大手企業の中年男 
人物7 マタハラに毅然として立ち向かって中年男から美崎を守ろうとした老人
人物8 事件を証言した青年→「青塚草太朗」と名乗る  




一番古い登場人物は、「首吊り判事」の千々岩だ。
裁判というのは、人を裁くのだから、当然、裁判の場での結果、喜ぶ人がいれば同じように納得いかず悲しみ、怒る人がいる。
千々岩は、(読後から振り返ると)極めて平凡な裁判官であった。そこそこ正義感があるが、それ以上に長い間の裁判官生活で「官僚」としての裁判官が身に着き、新しい判決も、世間を驚かす判決もせずに、平凡な判決をしてきた。
現実の裁判官が冤罪を見抜けずにきたように、彼もまた普通の裁判官だった。
だが、裁判官であるということから人よりも倫理観や正義感も強いという面ももっているのも、現実の裁判官と同様だろう。

彼が行ってきた判決・事件で「月琴亭の殺人」で6人がからむのは、当然ながら5件となる。

被害者 「首吊り判事」元裁判官 千々岩征威(ちぢいわまさたけ)(男)70前後か

恨みを持つ人物1 主人公 「探偵役」弁護士 森江春策(男)60前後か
人物2 宇津木香也子 雑貨商を営む20代後半にみえる謎めいた美しい女性
人物3 青塚草太朗 理系の男子大学院生
人物4 堂ヶ芝昌平 中年男 骨董を集めるレストラン経営
人物5 門脇アズサ 婚活のサクラを業としているかわいらしい女性 20代



事件1
・のちに冤罪で再審となる殺人事件で無罪のものを検察の主張にのっかって裁判長として地裁で有罪にした。主人公の弁護士森江がこのときに弁護を担当していた。無罪を確信していたが、有罪となってショックを受ける。さらに、この裁判で陪審(若い判事がする)が「無罪とわかっているのに有罪との判決文案を書かせられたこと」からのちに首吊り自殺をする。
→だが、この判決が、高裁と最高裁でも有罪のまま通っているのだから、千々岩がずばぬけて節穴だったわけではないともいえる。

事件2
・過去も現在もまったくかかわらいもないのに一方的なストーカーにつきまとまわれて刃物で切りつけられた宇津木香也子に対して、「男女の痴情のもつれ」と判決を受けてストーカーの男は軽い刑期で出てきた。男は宇津木香也子を今度は鉄パイプで襲い、体を傷つけて、首をつって死んだ。
→最近に実際の判決でも問題となったアイドルに一方的に恋愛感情を持つ男がアイドルを刺傷した。男は裁判でも反省をみせなかった。アイドルの女性は無期懲役をもとめたが、判決は懲役14年6か月。この量刑については色々な意見がでている。「殺人未遂」という結果だけみれば、人が死んでいない罪としては比較的軽い。しかし、本人は明らかに反省していないし、刑期後にはアイドルが心配する通りに、うらんで襲う可能性がかなり高いのでは、とニュースに触れただれもが考えただろう。
とはいえ、「殺人未遂」で事情によって、無期懲役と判決をしてしまっていいものか、となると、また頭を悩ませる。たとえば、この被害者がしがない中年男で、ストーカー側が若い美しい女性だったら、どうなっていたか、などだ。

事件3
・人事交流で検事だったころに、選挙違反で無実の罪をでっちあげる。その調べで、母親に息子の写真を見せてそれをずたずたに切り裂くなど極めて非人道的な調べで自白させた。
→ところが、(これは核心的なネタばれだが)この「息子」は、実際には息子を殺して入れ替わった殺人者によるものなので、これほど狂気的な調べをしたのかどうかはあやしい。というか、この判事の異常性を示すエピソードは作者がたくみにこの入れ替わった殺人者に語らせているわけだが。

事件4
・とある会社に所属している技術者がすばらしい特許となる発明をしたが、会社に安く売られて、会社と対立。その後、死ぬが、裁判では会社との関係を認めず「痴情のもつれ」とした。技術者の兄・堂ヶ芝は、会社との関係を認定しなかった判決に恨みをもった。
→事件の詳細が不明だが、堂ヶ芝から糾弾された千々岩は激しく反論しようとしたが、のみこんでいる描写がある。
 なにしろ、最初に糾弾したときは、堂ヶ芝は「そんな寒々しい場所で首をつって果てた」といいながら、次の糾弾の機会では、廃ビルで死んでいたが、ナイフで刺されて、かなりの間、死にきれずのたうち回ったあげく失血死となった。犯人は間もなく捕まった、と言う。
 これは、はっきりと矛盾している。いったいどちらが正しいのか。作者の間違いではないかと私は読んでいて感じたが、千々岩が反論しようとしたけどぐっとこらえてやめたという描写からして、千々岩もこのことに気付いたが反論してもしかたないので我慢したということなのかもしれない。
 心理描写としては、千々岩がそんなに変な人ではないということでアリだと思うが、ただ、そうすると、ミステリーとしては作者が絶対に読者がわからない「ウソ」を入れているので、推理ミステリーとしてはマイナスとなるのではないだろうか。こういう「ずるい情報」を入れても、それに対する登場人物の心理描写によって「アリ」とすることはテクニックとしてはなるほどと思った。
 それはともかく、会社からみで男女のもつれで弟が殺されたとしても、その主因として特許の権利関係があったのか、それとも社内恋愛で、会社に抵抗する恋人に対してあきれて別れ話を持ちかけて弟が激高したことから恋人が誤って殺した、などなど、詳細が描かれていないためにわからないが、判決で、弟が会社関係者に殺されたことと特許のもつれが直結できるような事案ではなさそうにもみえる。

事件5
・原発を想定させるプラントの設置を認める判決を出した。その後、天変地異でそのプラントが大事故を起こし、ふるさとを追われた。ふるさとを追われた女性が恨みをもっている。
→まさに福島原発と同様に、ふるさとを追われた人たちが設置を認めた裁判官に怒りや不信感を持つのは理解できるが、たとえば「殺したい」とまで思うひとは少ないだろう。実際に、門脇アズサも、最初に判事に怒りをぶちまけたあとにはわりとすっきりしている。


さて、当然のごとく、千々岩判事は話の展開上、殺され、登場人物がそろったところで、ここにいる誰もが千々岩を殺せないというアリバイが確認されたところで終わる。。
読者は、次の裏から読むブログ風小説「ノンシリアル・キラー」を読んでいくことになる。
そしてそれを読み終えると、
1)ブログの筆者は、「月琴亭の殺人」で最後に出てきた女性月見里碧であること
2)青塚草太朗が殺されていて、「月琴亭の殺人」の青塚は偽物であることがわかる

そうして、綴じ込み付録的になっている解決編の封を切る(何度も何度も言ってますが、ここから先はホントに読んだらすべてネタばれです。ちょっとでもこの本に興味を持ったならば、読んでから続くを読んで、わたしと一緒にああだとこうだと考える機会にしてくださいませ)
時系列的に2つの小説で起きたことを並べてみる。たぶん、この作業を通じて、実際はそれほど魅力的なストーリーではないのだけれども、二つを分離することによって謎を作り出すというミステリー作家の妙技というものに近づけるかと思う。

美しく才能のある美崎琴絵は海外に父親がいるらしいがともかく妊娠してシングルマザーとして自立しようと働いていた。
美崎琴絵を遠くから一方的に恋したストーカーの男がいた。
男については、接触を一切しない「清い」ストーカーのため美崎琴絵はまったくその存在を気付かなかった。(*ここがポイントではあるが、謎ときとしてはヒントが全くないことになるので『そりゃないだろう』という読者もいるかもしれない。作者はそれに対する「いいわけ」も載せているが。。。)
大きなプロジェクトを抱えて過労気味だった美崎琴絵は深夜に帰宅する。本来は会社の車で送る予定だったが、磯島健太が元かのの月見里碧に会うために私用で使ったために電車で帰った。
美崎琴絵は混雑する電車でマタハラに偶然、逢う。(*偶然その1)
美崎琴絵を体を張って守ったのが退官した元判事の千々岩だった。
たまたま乗り合わせたのが青塚草太朗(入れ替わる前の)。
青塚草太朗は衝動的に恨みを持つ千々岩を見つけたことで、どさくさにまぎれ千々岩をなにかで殴打しようとする(*だが、冤罪事件の時点で子どもだった青塚がどうして検事だった千々岩の顔を知ったのかは謎だし、千々岩も自分の名前などを名乗っていないのでちょっとあり得ない)
そのタイミングで、マタハラサラリーマンが美崎に暴力をふろうとしたので、千々岩は自分の身体の後ろに彼女を隠す。
そのため、青塚はあやまって美崎の体を殴打してしまう。
美崎は倒れて、そのままショック死してしまう。
つまり青塚が美崎を「殺した」
それをいつも遠くから眺めていたストーカーは目撃した。
ストーカーは、美崎を殺した人物たちを復讐することを決意する。
まずは美崎を過労の状態に追い込んだチーフデスクの阿形淳之を同じ駅で麻酔薬をつかって突き落として殺す。さらに私用で社有車を使った磯島健太も車内に麻酔薬を置くことで運転途中に寝る状態にして事故死とみせかけて殺す。もちろん、マタハラをしたサラリーマンも殺す。
そして、直接手を下した青塚のことも殺すが、その際に、逃亡のために青塚と入れ替わることを思いつく。(*この逃亡のためにすり替わるという理由が全く理解できない)

一方で、同時並行で、千々岩の殺人計画も進んでいた。
犯人は、印南修。ノンシリアル・キラーの主人公でフリージャーナリストの月見里碧(やまなし・あおい)の憧れの先輩。
「身内がひどい死に方をした」というのは、印南修の兄が、もう一人の主人公の弁護士が手がけた冤罪裁判で、自殺した若い裁判官のことだった。
印南は兄が死んだのは、裁判長の千々岩のせいと恨んでいて、殺すことを計画し、離島に拉致までした。
ほかに千々岩に恨みをもつ5人を集めた。
しかし、実際に手を下したのは集められた5人ではない。というのも先に書いたが、5人は恨みには思っていても、裁判という理不尽さへの怒りであって、殺すまでの動機が基本的にないからだ。
つまり、拉致して、殺害したのはすべて印南修。
ただ、印南修ということを隠すために、ストーカー被害にあった宇津木香也子が協力していた。
女っぽい体系や顔付きの印南修は女装して、宇津木香也子のふりをして、島に入っていたのだ!
そして、アリバイつくりのために千々岩を殺したあとには千々岩のふりをしてホテル内で姿を見せている!

「月琴亭の殺人の」主人公である探偵役の森江は謎解きを披露していく。
2人が入れ替わったことに気付いたことについてだ。

森江
「あの時もう一つ不審なことがありました。移ろいやすい夕べの天気で、あの時、急に雨が降ってきて、あなたは傘をさした。奇妙だったのは、雨は右斜め上からパラパラと降ってきていたのに、あなたは傘を左肩にのっけるように傾けてさしていた。あれは、間近で顔を見られたくないという意図のほかに、何かに理由があったのではないでしょうか。そう・・・・・・たとえば、身体、特に頭部の左側をまじまじと見られたくない、というような・・・・・・」
宇津木
「へぇ、いったいどのような?前にお見せしたように、私は胸のところに傷が今でも残っていますが、頭や首の左側には、ほらこの通り、何の傷もついてはいませんよ」
(略)
森江
「(略)たとえば火傷やけがの跡、痣や黒子のたぐい・・・・・・そしてもう一つ、突飛な発想を許してもらえるなら、バイオリンの痕(略)一種のタコのようなものができたり、赤黒く変色してしまうことも少なくないのです」


ドン!大団円!

となるのですが。。。

作者、コンシラーって知らないのだろうか?(笑)
それよりもなによりも、バイオリンのあと以前に、冒頭で、森江は(女装した宇津木として島に向かう)印南と会話までしている。
女の音色にして話すだけでなく、さらにそれを別人である宇津木そっくりの声で話したうえに、見た目までもそっくりに変身できるとすれば、なぜ顔の一部のパーツだけは隠すことができないとなるのか。

島には6人(被害者+5人)しかいない密室状態ではなく、7人目となる印南がいたというのが、このストーリーのおもしろさになる。
7人目を隠すために、女装して宇津木と同一人物となったということが謎解きの肝だ。
しかし、そうなると、最初に千々岩を拉致して、食堂で縛りつけ、ドアに細工を施したのは、宇津木ということになる。
ただ、千々岩は宇津木を見ても、そうとは気付かない。ここも変だ。

これについては、男(老人ながら)を殺せるのは体力的に男しかいないという、なんとも不思議な論理が通用している。それならば、実際に(単なるもので殴り殺すよりもはるかに体力がいる)拉致監禁ということは、右手が使えない宇津木ではなく、印南がやったはずだ。

これだけ計画を緻密にしているのに、右手が使えないうえに女性である宇津木がこの島まで老人を運び、さらに重い鎖でがんじがらめにすることを任せるなんてありえないだろう。

なので印南が実行したこと以外に選択肢はない。
ではなぜわざわざ、一度、島の外に出て、さらに女装して人に見られるリスクを負ったのか。
印南はそのまま島のホテルの一室(宇津木が使う部屋)に隠れていて、宇津木はふつうに入島すればいいだけの話だ。
宇津木は共犯なので、ホテルの一室にはだれもいなかったと証言するばいいだけで、その後の夜のパーティ中に、千々岩を外で殺して、
もう一つの謎としている潮の満ち引きの時間を利用して、外に行けばいいだけである。

この人はフリーのジャーナリストであるために、会社員や家族持ちのように、島に行っている日が1日延びても、特に違和感はないだろう。

ということで、予想通り、分解してみると、大きな「謎」というか「矛盾」が現れてきた。
自分は、それほどミステリーを読まないし、読んでも映画を見るように、さっと見て、読後感さえよければ振り返ることは基本的にしてこなかった。

帯には「これぞ職人芸」とあるが、職人としてはあらが多いと感じた次第です。

冒頭に言っているように、このエントリーは、あら探しが目的ではなく、ミステリー小説の構造を分析したかったということが目的です。
読んだ直後の「おー!すっきり」という感じが味わえたことは間違いありません。
とりわけ表側から読んで、裏側から読んで、最後に袋とじをあけて読むという3回の「読書体験」ということでは、とても面白かったです。

メモ藤原定家明月記でオーロラ観測と国立極地研究所など

平安時代って、日本でオーロラは見えるは、海面上昇するは、地震も多発するは、天変地異的にはすごい時期だったんですね。

武士の時代になるのもさもなんという気がします。

以下、毎日新聞の報道です。

 

 

 平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。

 

 明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。

 オーロラは太陽から噴き出した高エネルギー粒子が、地球の大気を光らせる現象。北極や南極などで観測され、京都で連続して発生することは考えにくい。赤気の現象が何を指しているかは長年の謎で、彗星(すいせい)説もあった。

 片岡龍峰(りゅうほう)・極地研准教授らのチームが過去2000年の地磁気の軸の傾きを計算した結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が1200年ごろには日本列島側へ傾きオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。また、中国の歴史書「宋史」の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれているのに着目。太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。

 太陽の活動が活発化するとオーロラが発生しやすくなるといい、宋史にも900~1200年代に赤いオーロラの観測例が十数件記述されているという。屋久杉などの年輪に残る太陽活動の痕跡と照合した結果、オーロラが観測された年と太陽活動が活発だった年がほぼ一致したという。【阿部周一】

 

 

ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170322/k00/00e/040/274000c#csidx8216beba18c0281845b022332a19209
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山形庄内砂丘で見つかった30メートル超の平安時代の巨大津波か

NHKニュースで報じていた「平安時代に起きた巨大津波の痕跡か 山形庄内平野」というニュースに引き込まれました。

 

www3.nhk.or.jp

箇条書きにまとめると

・山形県に高さ30メートルを越える未知の地震津波が起きていた

・西暦1000年代から1100年代前半、平安時代後期(11~12世紀)か

・沖合20キロほどの海底が地震によって地滑りを起こしたことが原因か

となります。

 

詳報しますと、

山形大学の山野井徹名誉教授(地質学)らが海岸から1キロ内陸の庄内砂丘の標高25ー37.9メートルの4箇所で、砂丘内で泥の層を発見。

高潮などとは考えられないことから津波が押し寄せて海岸の沼の泥がまきあげられたのだろうと判断。泥の層から見つかった植物を調べたところ西暦1000年代から1100年代前半とわかったということです。

 

ふじのくに地球環境史ミュージアム(静岡市)の菅原大助准教授が、山形沖の海底地形で、地すべりのあとを見つけ、この海底地すべりが巨大津波を起こしたのではないかと説明します。

 

東日本大震災や南海トラフ地震のように海溝型の周期的に訪れる地震ならば対策も立てやすい(比較的)でしょうけども、こうした局地的な海底地すべりとなると、どうにも対処できないというのが現実ではないでしょうか。

沖合20キロ程度ならおそらく津波の到達時間はせいぜい数十分。そうなると避難は不可能ですよね。

海の近くに住むな、というのも無茶な話で。また難しい問題がでてきました。

 

さて、NHKのニュースでは、続きがあって、

実は考古学からも巨大地震の可能性がある痕跡が見つかっていたとします。

山形県教育委員会が提供している写真などで、役所のあった遺跡で、液状化現象や建物の柱が傾いた様子を紹介しています。

「平安後期まで役所があった遺跡です」とナレーションするだけで、遺跡名はでていません。庄内平野で役所があったところできちんと発掘されているというと、城輪柵跡(きのわのさくあと)が思い浮かびます。国指定の史跡なので有名な遺跡です。

 

『日本三代実録』という国の公式の歴史書のなかに

嘉祥3年(850年)に、この地域に津波が2度押し寄せたという記録があります。

実際に、城輪柵跡やその周辺の発掘では地震やそれによる津波とみられる現象が報告されています。

ただ、同じ平安時代でも、150年から200年も両者は離れています。

850年の嘉祥3年の地震津波につづいて、150年後にまた大きな津波が起きたのでしょうか。

 

海溝がないため大きな地震や津波が少ないと考えられがちですが、実際には1983年の日本海中部地震で津波などで100人も死亡しています。(ウィキペディアより)

 

 

 

 

美濃のマムシ斎藤道三の「国盗り物語二代記」

美濃の蝮・斎藤道三といえば、戦国時代の群雄割拠、下克上の象徴的な存在です。

司馬遼太郎の「国盗り物語」で、近江の油売りから一気に美濃一国の戦国大名にまでのし上がった栄達が描かれましたが、実は(同じような一代による国盗りとされる)北条早雲と同様に、一代で成し遂げた下克上ではありませんでした。

庶民の夢、一代での下克上は、平和ながらも身分が固定されて閉塞感が漂っていた江戸時代に、軍記ものというフィクションで広がっていったわけです。

ただ、同時代の史料で一代による美濃国盗りは否定されており、そのことについて武将ジャパンに寄稿しました。

ご関心あれば読んでいただければ幸いです。

bushoojapan.com

3月19日歴史本書評まとめ 武田勝頼はなぜ英雄になれなかったのか

フェイクニュースの時代だと実感させられる日々ですね。

フェイクニュースは海外のことと思っていたら、森友学園問題や築地市場のほうが大汚染されていた問題などで、教育者や知事など社会のリーダーと思われていた人がそのときそのときの情緒で、思い付きをポンポンと言って、それがそれなりに(本当であろうと、ウソであろうと)実際の社会や行政を動かしていくという現象を目の当たりにして、驚きおののくばかりです。

森本問題では、来週の証人喚問じたいも、あのキャラからしてとんでもなく盛り上がるライブになることでしょう。同じ日に、もしも進出したらWBCもあるので、酒場の話題には事欠かなそうです。

さて、世間では思ったよりも話題になっていないのが、村上春樹の『騎士団長殺し』ではないでしょうか。
これだけ、リアルな世界が面白い事噴出していれば、フィクションの世界にひたる必要もないってことですかね。

3月19日の読売新聞の書評では2人の方が書評していますが、「不思議だ」「やっぱり面白い」などの評でのありきたりな表現を見ると、タイトル通りたんなる軽い読み物なのかなという印象です。

歴史本では、2冊が書評されています。

750ページの厚さで、いま私も読んでいますが、その厚さに圧倒される
平山優『武田氏滅亡』(角川選書)

 

 

武田氏滅亡 (角川選書)

武田氏滅亡 (角川選書)

 

 

まだ読み切っていませんが、信長に滅ぼされたために、父の信玄に比べると愚将と評価される武田勝頼のイメージを排して、その実像を描こうというもののようです。

いずれわたしも書評を書く予定です。

もう1冊は、イタリア統一の英雄、ガリバルディについて
藤澤房俊『ガリバルディ』(中公新書)

 

ガリバルディ - イタリア建国の英雄 (中公新書)

ガリバルディ - イタリア建国の英雄 (中公新書)

 

 

「明治維新の直前に赤シャツを着てイタリア統一に導いた自由と平等の申し子であり、世紀の英雄である」(評者の出口治明氏)

戦後のゲバラのようにイタリアのみならず世界中で戦った名司令官の一生を追います。
こういう人は往々にして政治には長けてないようですが、どうやらそのようで、女性問題を起こしたりと、おもしろい人生だったようです。

武田勝頼は、信玄よりも版図を拡大しており、名将といえる部分もありました。
もう少しで英雄となれた人物です。
ガリバルディとの違いはどこにあったのでしょうね。
勝頼は、むしろ信玄が同盟国であった信長を一方的に裏切ったのが始まりですから、英雄の父親のしりぬぐいをさせられたというかわいそうな面もありそうです。

 

1/144 Zゼータガンダム ガルバルディβ

1/144 Zゼータガンダム ガルバルディβ

 

 

 

3・11の翌日の新聞書評面と歴史本

 6回目の「3・11」。これまでは11日に近い日曜日の書評欄も震災にまつわる本の紹介が多かったように感じていたが、今年は全国紙3紙では、宮城・気仙沼の養殖業でコラムニストの畠山重篤さんによる「空想書店」を特集した読売新聞以外、ほとんど震災関連のものがなかった。

 これには二つ理由があるだろう。

 一つは、「売れないから本を出さない」。震災ものの本の売れ行きの悪さは出版業界のなかでも広く浸透している。暗い話は基本的に、多くの人にとっては知りたくない話というのが大きいのではないだろうか。そのうえ震災報道でおなかいっぱいになって、一般の人にとても知識の満腹感もある。

 もう一つは、評者にとっても書評しにくいのだろう。各新聞の書評の担当者は当代一流の人たちである。こうした人たちは過去を振り返らない、前に進む力の強い人たちだ。特に学者などはそうでないと、とても最先端の成果をあげられないだろう。遅々として進まない復興への関心が一番に薄れていくのは、そうした社会のトップ知識層なのではないかと思う。それが一概に悪いとはいえないのだが。

 さて、知識人としてまつりあげられながらも、気仙沼で黙々と漁業を続ける畠山さんが、空想書店で1番に取り上げたのが、松永勝彦『森が消えれば海も死ぬ』(講談社ブルーバックス、800円)だ。

 畠山さんは「森は海の恋人」のキャッチコピーで、森を守ることで適切な養分が海に流れ、かきが育つという構図を広めた第一人者だ。その原点となるのが、この本とはしらなかった。しかも、何千円する専門書ではなく、800円の新書である。

 良書が値段が安く出版され、安いがために広く読まれて社会を変える。これは日本社会の誇りだ。

 この知識と社会を動かす本を通した仕組みがスマホによっって揺るいでいる。

 いまこそ「本は○○の恋人」とのフレーズが必要なのではないか。○○にふさわしい言葉がすぐにうかばないけれども。

 

 3月12日の書評でとりあげられた歴史関連の本を紹介していく。

 読売新聞

 平山裕人『シャクシャインの戦い』(寿郎社、2500円)

 最近、ヤングジャンプのアイヌの少女と旧日本軍兵士の物語「ゴールデン・カムイ」にはまっているので興味あり。

 純朴なアイヌを和人が抑圧するとされている見方から、アイヌの国際性についても描いているとのことだ。まさにゴールデン・カムイの世界観に通じるので購入決定。

すんごい表紙

 朝日新聞

 笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房、3780円)

 評者の原武史放送大学教授によれば、「本書の説が正しければ、家康が最も恐れたのは自らの死後、淀殿が北条政子のような存在になることではなかったか」とのこと。面白そう。こちらも購入決定。

 毎日新聞

 恒例の「この3冊」に、おんな城主直虎を時代考証する小和田哲男・静岡大名誉教授が登場して、直虎についての3冊をあげている。

 大石泰史『井伊氏サバイバル五〇〇年』(星海新書)

 夏目琢史『井伊直虎 女領主・山の民・悪党』(講談社現代新書)

 川口素生『井伊直虎と戦国の女100人』(PHP文庫)

 どれも新書と文庫なので、いずれ手に取ってみたい。けど、来年になったらよまなくなりそうだけど。



飛鳥で未知の最大級の方墳小山田古墳が発見されたことから謎の亀石の存在意義を考えてみた

飛鳥で石舞台古墳(50メートル)よりも大きな一辺70メートルの方墳(もしくは上は円墳になっている上円下方墳)が見つかりました。2017年3月1日に奈良県立橿原考古学研究所が発表しました。古墳の名前は小山田古墳と名付けられました。

これだけ大きな未知の古墳が破壊されているとはいえ、見つかるのは珍しいことです。(正確には後述するように2015年1月にこの古墳の存在は同研究所によって発表されています)

場所としてはグーグルマップに黄色い丸で書いたように、大きな古墳が並んでいるエリアです。

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被葬者については、聖徳太子らの次の世代である舒明天皇(じょめい)が有力視されています。

石舞台古墳(上の地図の右恥)の被葬者として有力候補の蘇我馬子の息子の蘇我蝦夷(えみし)との説もあがっているそうです。

この古墳はいまは毎日新聞のキャプチャー(↓)にあるように養護学校の下にあり完全に壊れているのですが、そもそも古墳が造られてからすぐに壊された様子がわかるとのこと。

そのことから舒明天皇の最初のお墓で、それが壊されて改葬されて、現在のお墓とされている八角形墳の段ノ塚古墳(桜井市)へ移ったという説です。

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朝日新聞ではこんな感じです。

 

 飛鳥時代で最大級の方形の古墳(方墳)の可能性が高まった奈良県明日香村の小山田(こやまだ)古墳。そこに眠っていたのは、新しい国づくりを目指した舒明(じょめい)天皇(593~641)だったのか。天皇をしのぐ権勢を誇ったとされる豪族の蘇我蝦夷(そがのえみし)だったのか。なぜ、古墳は短期間で壊されたのか。古代史の謎が深まってきた。

 近畿の天皇や豪族の墓の形は、飛鳥時代を通じて変化する。3世紀中ごろの古墳時代初めから続いた前方後円墳は6世紀末に終わりを告げ、方墳に。7世紀中ごろからは天皇墓に八角形墳が採用される。その八角形墳の始まりが最古の国家寺院、百済大寺(くだらのおおでら)を建て、遣唐使を初めて派遣した舒明天皇の陵墓とされる段ノ塚古墳(奈良県桜井市)だ。

 舒明天皇は629年、7世紀前半に厩戸王(うまやとおう=聖徳太子)や蘇我馬子(うまこ)と政治を進めた推古(すいこ)天皇の死後に即位。馬子の子、蝦夷ら蘇我氏が権力を握るなか、飛鳥の中心から離れた地に百済宮(くだらのみや)や百済大寺を築く。蘇我氏とは距離を置き、天皇中心の中央集権国家づくりを目指したとの見方もある。

 近畿で最大級の方墳は聖徳太子の父、用明(ようめい)天皇の陵墓とされる大阪府太子町の春日向山古墳(東西66メートル、南北60メートル)や、推古天皇陵とされる山田高塚古墳(東西66メートル、南北58メートル)だが、一辺70メートルの小山田古墳の規模はこれらを上回る。木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「これだけの規模は天皇の墓としか考えられない」と述べ、舒明天皇の墓との見方を示す。

 

この頃の大王(天皇)の権力というのはまだ絶対的ではありませんでした。

有力な豪族にまつりあげられた邪馬台国の卑弥呼以来の祭祀王から、中国の皇帝制度(律令制)を導入した奈良時代の「天皇制」への移行期です。

墓の大きさだけで、誰と断定するのはなかなか難しいのです。

実際、天皇の権力は大きくなる一方で墓の大きさは小さくなります。

朝日新聞がわかりやすく図にしていますが、まさに見たとおりです。

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じゃあ、蘇我蝦夷の墓なの?

というと、大化の改新で敗者となったから壊されたということになるのでしょうか。なんとなく物語的にはピッタリする気がします。

蝦夷はたしかに生前に墓を造っているので、ありといえばありなのですが、下の地図にあるように小山田古墳の右上の緑の部分に、蘇我蝦夷や入鹿の館があったことが最近の発掘で判明しています。

当然ながらお墓というのは、ケガレの地です。ハレの地である自分の住居のすぐ隣に墓を作るかなぁ~というのが大きな違和感です。

むしろ、もともとお墓の場所だった飛鳥が、いつの間にか、だんだんと政治の場(ハレ)になってきてしまって、ハレの場所の用地が少なくなったので、ちょっとはみ出ていた場所にあった小山田古墳を改葬して、とおくの桜井市の段ノ塚古墳におしゃれで最新で(でも小さい)お墓を作り直したのかなと思っています。

つまり、舒明天皇の最初の墓説ですね。

そうすると、謎の石造物である亀石なんかも、小山田古墳の破壊(改葬)後に、ハレの地とケガレの地を南北に線引するための境界線として、置いたということになって、亀石の境界線説にも矛盾しなくて、よいのではないかなぁとつらつらと考えています。

 

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なお、小山田古墳が舒明天皇の墓と言われたのは、今回が初めてではありません。

2015年1月のことでした。

そのときに、こののちに小山田古墳と呼ばれる墓と、舒明天皇とその後の大化の改新について3回にわたって、武将ジャパンに寄稿していますので、ご参考までに。

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