歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

芦辺拓『ダブルミステリ 月琴亭の殺人 ノンシリアル・キラー』(東京創元社)のネタばれ分析

面白かった。表から読むストーリーは古典的な密室殺人事件。裏から読むストーリーはブログの形式。
ほとんどかみ合わない2つのストーリーが、袋とじの「解決編」で結びつく。
本格派推理を読み終えたあとに訪れる、映画のエンドロールを見たときの余韻にひたれた。

エンターテイメントとしての読書としては申し分ない体験だったと強調した上で、
ちょっとしてからふと 「これはそれほど謎のある殺人事件なのだろうか」
とも感じ
かつ、そうだとしても、こうして時系列や視点をかえることで面白い物語にする小説の技法を知りたくなったので、無粋であることを百も承知で、因数分解してみることにした。 批評や書評でなく、あくまで自分用のメモである。
極めてネタばれすぎるので、本当に本当に、少しでも本書を読む気があるならば、ここから先は読まないでほしい。 しつこいがハンパのないネタばれである。
登場人物
【月琴亭の殺人】
人物1 主人公 「探偵役」弁護士 森江春策(男)60前後か
人物2 被害者的主人公 「首吊り判事」元裁判官 千々岩征威(ちぢいわまさたけ)(男)70前後か

人物3 宇津木香也子 雑貨商を営む20代後半にみえる謎めいた美しい女性
人物4 青塚草太朗 理系の男子大学院生
人物5 堂ヶ芝昌平 中年男 骨董を集めるレストラン経営
人物6 門脇アズサ 婚活のサクラを業としているかわいらしい女性 20代

以上の6人で「密室」殺人が進む。

人物7 槇伊織 ホテルの受け付け 中性的で性別不明な感じだが男。事件が起きる前に島から消える。

人物8 獅子堂勘一 事件後に島にきて捜査をする主人公と顔なじみの刑事
人物9 月見里碧 事件後にホテルの受け付けの人物5とともに島にきて被害者の「首吊り判事」をすばらしい人と高評価する20代半ばの女性

【ノンシリアル・キラー】
人物1 主人公 ブルーワイルドペアのハンドル名のブログの書き手。フリーの女性ジャーナリスト「ヤマナっちゃん」「アオちゃん」で、元恋人が交通事故で死んだが過労死が伺えるために事故を調べたところ、元恋人がつとめていた番組制作会社「ファンタスコープ社」をめぐり、さらに2人が過労が原因の可能性がある謎の死をとげていたことがわかり、最初の死亡事件となった、妊娠していたシングルマザー(になる予定の)女性が電車で巻き込まれた事件を調べていく。
人物2 印南修 主人公が所属する「INA通信社」の先輩でやり手のジャーナリスト。30代だが顔も体もほっそりしてはるかにわかく見えて女にもてる。昔、バイオリニストを目指していたが、不幸な亡くなり方をした身内がいて、この道に入った。

人物3 美崎琴絵 ファンタスコープ社の外部スタッフで映像クリエーター。妊娠していたが、かさなる残業後の帰りの電車でマタハラをされている最中に変死
人物4 阿形淳之 ファンタスコープ社のチーフデスク 駅で足をすべらせて階段から落ちて死亡
人物5 磯島健太 ファンタスコープ社で働く主人公の元恋人で、主人公がはらんでいる子の父親。フィルムを配送中に居眠り運転で壁に激突して死亡


人物6 美崎にマタハラをした大手企業の中年男 
人物7 マタハラに毅然として立ち向かって中年男から美崎を守ろうとした老人
人物8 事件を証言した青年→「青塚草太朗」と名乗る  




一番古い登場人物は、「首吊り判事」の千々岩だ。
裁判というのは、人を裁くのだから、当然、裁判の場での結果、喜ぶ人がいれば同じように納得いかず悲しみ、怒る人がいる。
千々岩は、(読後から振り返ると)極めて平凡な裁判官であった。そこそこ正義感があるが、それ以上に長い間の裁判官生活で「官僚」としての裁判官が身に着き、新しい判決も、世間を驚かす判決もせずに、平凡な判決をしてきた。
現実の裁判官が冤罪を見抜けずにきたように、彼もまた普通の裁判官だった。
だが、裁判官であるということから人よりも倫理観や正義感も強いという面ももっているのも、現実の裁判官と同様だろう。

彼が行ってきた判決・事件で「月琴亭の殺人」で6人がからむのは、当然ながら5件となる。

被害者 「首吊り判事」元裁判官 千々岩征威(ちぢいわまさたけ)(男)70前後か

恨みを持つ人物1 主人公 「探偵役」弁護士 森江春策(男)60前後か
人物2 宇津木香也子 雑貨商を営む20代後半にみえる謎めいた美しい女性
人物3 青塚草太朗 理系の男子大学院生
人物4 堂ヶ芝昌平 中年男 骨董を集めるレストラン経営
人物5 門脇アズサ 婚活のサクラを業としているかわいらしい女性 20代



事件1
・のちに冤罪で再審となる殺人事件で無罪のものを検察の主張にのっかって裁判長として地裁で有罪にした。主人公の弁護士森江がこのときに弁護を担当していた。無罪を確信していたが、有罪となってショックを受ける。さらに、この裁判で陪審(若い判事がする)が「無罪とわかっているのに有罪との判決文案を書かせられたこと」からのちに首吊り自殺をする。
→だが、この判決が、高裁と最高裁でも有罪のまま通っているのだから、千々岩がずばぬけて節穴だったわけではないともいえる。

事件2
・過去も現在もまったくかかわらいもないのに一方的なストーカーにつきまとまわれて刃物で切りつけられた宇津木香也子に対して、「男女の痴情のもつれ」と判決を受けてストーカーの男は軽い刑期で出てきた。男は宇津木香也子を今度は鉄パイプで襲い、体を傷つけて、首をつって死んだ。
→最近に実際の判決でも問題となったアイドルに一方的に恋愛感情を持つ男がアイドルを刺傷した。男は裁判でも反省をみせなかった。アイドルの女性は無期懲役をもとめたが、判決は懲役14年6か月。この量刑については色々な意見がでている。「殺人未遂」という結果だけみれば、人が死んでいない罪としては比較的軽い。しかし、本人は明らかに反省していないし、刑期後にはアイドルが心配する通りに、うらんで襲う可能性がかなり高いのでは、とニュースに触れただれもが考えただろう。
とはいえ、「殺人未遂」で事情によって、無期懲役と判決をしてしまっていいものか、となると、また頭を悩ませる。たとえば、この被害者がしがない中年男で、ストーカー側が若い美しい女性だったら、どうなっていたか、などだ。

事件3
・人事交流で検事だったころに、選挙違反で無実の罪をでっちあげる。その調べで、母親に息子の写真を見せてそれをずたずたに切り裂くなど極めて非人道的な調べで自白させた。
→ところが、(これは核心的なネタばれだが)この「息子」は、実際には息子を殺して入れ替わった殺人者によるものなので、これほど狂気的な調べをしたのかどうかはあやしい。というか、この判事の異常性を示すエピソードは作者がたくみにこの入れ替わった殺人者に語らせているわけだが。

事件4
・とある会社に所属している技術者がすばらしい特許となる発明をしたが、会社に安く売られて、会社と対立。その後、死ぬが、裁判では会社との関係を認めず「痴情のもつれ」とした。技術者の兄・堂ヶ芝は、会社との関係を認定しなかった判決に恨みをもった。
→事件の詳細が不明だが、堂ヶ芝から糾弾された千々岩は激しく反論しようとしたが、のみこんでいる描写がある。
 なにしろ、最初に糾弾したときは、堂ヶ芝は「そんな寒々しい場所で首をつって果てた」といいながら、次の糾弾の機会では、廃ビルで死んでいたが、ナイフで刺されて、かなりの間、死にきれずのたうち回ったあげく失血死となった。犯人は間もなく捕まった、と言う。
 これは、はっきりと矛盾している。いったいどちらが正しいのか。作者の間違いではないかと私は読んでいて感じたが、千々岩が反論しようとしたけどぐっとこらえてやめたという描写からして、千々岩もこのことに気付いたが反論してもしかたないので我慢したということなのかもしれない。
 心理描写としては、千々岩がそんなに変な人ではないということでアリだと思うが、ただ、そうすると、ミステリーとしては作者が絶対に読者がわからない「ウソ」を入れているので、推理ミステリーとしてはマイナスとなるのではないだろうか。こういう「ずるい情報」を入れても、それに対する登場人物の心理描写によって「アリ」とすることはテクニックとしてはなるほどと思った。
 それはともかく、会社からみで男女のもつれで弟が殺されたとしても、その主因として特許の権利関係があったのか、それとも社内恋愛で、会社に抵抗する恋人に対してあきれて別れ話を持ちかけて弟が激高したことから恋人が誤って殺した、などなど、詳細が描かれていないためにわからないが、判決で、弟が会社関係者に殺されたことと特許のもつれが直結できるような事案ではなさそうにもみえる。

事件5
・原発を想定させるプラントの設置を認める判決を出した。その後、天変地異でそのプラントが大事故を起こし、ふるさとを追われた。ふるさとを追われた女性が恨みをもっている。
→まさに福島原発と同様に、ふるさとを追われた人たちが設置を認めた裁判官に怒りや不信感を持つのは理解できるが、たとえば「殺したい」とまで思うひとは少ないだろう。実際に、門脇アズサも、最初に判事に怒りをぶちまけたあとにはわりとすっきりしている。


さて、当然のごとく、千々岩判事は話の展開上、殺され、登場人物がそろったところで、ここにいる誰もが千々岩を殺せないというアリバイが確認されたところで終わる。。
読者は、次の裏から読むブログ風小説「ノンシリアル・キラー」を読んでいくことになる。
そしてそれを読み終えると、
1)ブログの筆者は、「月琴亭の殺人」で最後に出てきた女性月見里碧であること
2)青塚草太朗が殺されていて、「月琴亭の殺人」の青塚は偽物であることがわかる

そうして、綴じ込み付録的になっている解決編の封を切る(何度も何度も言ってますが、ここから先はホントに読んだらすべてネタばれです。ちょっとでもこの本に興味を持ったならば、読んでから続くを読んで、わたしと一緒にああだとこうだと考える機会にしてくださいませ)
時系列的に2つの小説で起きたことを並べてみる。たぶん、この作業を通じて、実際はそれほど魅力的なストーリーではないのだけれども、二つを分離することによって謎を作り出すというミステリー作家の妙技というものに近づけるかと思う。

美しく才能のある美崎琴絵は海外に父親がいるらしいがともかく妊娠してシングルマザーとして自立しようと働いていた。
美崎琴絵を遠くから一方的に恋したストーカーの男がいた。
男については、接触を一切しない「清い」ストーカーのため美崎琴絵はまったくその存在を気付かなかった。(*ここがポイントではあるが、謎ときとしてはヒントが全くないことになるので『そりゃないだろう』という読者もいるかもしれない。作者はそれに対する「いいわけ」も載せているが。。。)
大きなプロジェクトを抱えて過労気味だった美崎琴絵は深夜に帰宅する。本来は会社の車で送る予定だったが、磯島健太が元かのの月見里碧に会うために私用で使ったために電車で帰った。
美崎琴絵は混雑する電車でマタハラに偶然、逢う。(*偶然その1)
美崎琴絵を体を張って守ったのが退官した元判事の千々岩だった。
たまたま乗り合わせたのが青塚草太朗(入れ替わる前の)。
青塚草太朗は衝動的に恨みを持つ千々岩を見つけたことで、どさくさにまぎれ千々岩をなにかで殴打しようとする(*だが、冤罪事件の時点で子どもだった青塚がどうして検事だった千々岩の顔を知ったのかは謎だし、千々岩も自分の名前などを名乗っていないのでちょっとあり得ない)
そのタイミングで、マタハラサラリーマンが美崎に暴力をふろうとしたので、千々岩は自分の身体の後ろに彼女を隠す。
そのため、青塚はあやまって美崎の体を殴打してしまう。
美崎は倒れて、そのままショック死してしまう。
つまり青塚が美崎を「殺した」
それをいつも遠くから眺めていたストーカーは目撃した。
ストーカーは、美崎を殺した人物たちを復讐することを決意する。
まずは美崎を過労の状態に追い込んだチーフデスクの阿形淳之を同じ駅で麻酔薬をつかって突き落として殺す。さらに私用で社有車を使った磯島健太も車内に麻酔薬を置くことで運転途中に寝る状態にして事故死とみせかけて殺す。もちろん、マタハラをしたサラリーマンも殺す。
そして、直接手を下した青塚のことも殺すが、その際に、逃亡のために青塚と入れ替わることを思いつく。(*この逃亡のためにすり替わるという理由が全く理解できない)

一方で、同時並行で、千々岩の殺人計画も進んでいた。
犯人は、印南修。ノンシリアル・キラーの主人公でフリージャーナリストの月見里碧(やまなし・あおい)の憧れの先輩。
「身内がひどい死に方をした」というのは、印南修の兄が、もう一人の主人公の弁護士が手がけた冤罪裁判で、自殺した若い裁判官のことだった。
印南は兄が死んだのは、裁判長の千々岩のせいと恨んでいて、殺すことを計画し、離島に拉致までした。
ほかに千々岩に恨みをもつ5人を集めた。
しかし、実際に手を下したのは集められた5人ではない。というのも先に書いたが、5人は恨みには思っていても、裁判という理不尽さへの怒りであって、殺すまでの動機が基本的にないからだ。
つまり、拉致して、殺害したのはすべて印南修。
ただ、印南修ということを隠すために、ストーカー被害にあった宇津木香也子が協力していた。
女っぽい体系や顔付きの印南修は女装して、宇津木香也子のふりをして、島に入っていたのだ!
そして、アリバイつくりのために千々岩を殺したあとには千々岩のふりをしてホテル内で姿を見せている!

「月琴亭の殺人の」主人公である探偵役の森江は謎解きを披露していく。
2人が入れ替わったことに気付いたことについてだ。

森江
「あの時もう一つ不審なことがありました。移ろいやすい夕べの天気で、あの時、急に雨が降ってきて、あなたは傘をさした。奇妙だったのは、雨は右斜め上からパラパラと降ってきていたのに、あなたは傘を左肩にのっけるように傾けてさしていた。あれは、間近で顔を見られたくないという意図のほかに、何かに理由があったのではないでしょうか。そう・・・・・・たとえば、身体、特に頭部の左側をまじまじと見られたくない、というような・・・・・・」
宇津木
「へぇ、いったいどのような?前にお見せしたように、私は胸のところに傷が今でも残っていますが、頭や首の左側には、ほらこの通り、何の傷もついてはいませんよ」
(略)
森江
「(略)たとえば火傷やけがの跡、痣や黒子のたぐい・・・・・・そしてもう一つ、突飛な発想を許してもらえるなら、バイオリンの痕(略)一種のタコのようなものができたり、赤黒く変色してしまうことも少なくないのです」


ドン!大団円!

となるのですが。。。

作者、コンシラーって知らないのだろうか?(笑)
それよりもなによりも、バイオリンのあと以前に、冒頭で、森江は(女装した宇津木として島に向かう)印南と会話までしている。
女の音色にして話すだけでなく、さらにそれを別人である宇津木そっくりの声で話したうえに、見た目までもそっくりに変身できるとすれば、なぜ顔の一部のパーツだけは隠すことができないとなるのか。

島には6人(被害者+5人)しかいない密室状態ではなく、7人目となる印南がいたというのが、このストーリーのおもしろさになる。
7人目を隠すために、女装して宇津木と同一人物となったということが謎解きの肝だ。
しかし、そうなると、最初に千々岩を拉致して、食堂で縛りつけ、ドアに細工を施したのは、宇津木ということになる。
ただ、千々岩は宇津木を見ても、そうとは気付かない。ここも変だ。

これについては、男(老人ながら)を殺せるのは体力的に男しかいないという、なんとも不思議な論理が通用している。それならば、実際に(単なるもので殴り殺すよりもはるかに体力がいる)拉致監禁ということは、右手が使えない宇津木ではなく、印南がやったはずだ。

これだけ計画を緻密にしているのに、右手が使えないうえに女性である宇津木がこの島まで老人を運び、さらに重い鎖でがんじがらめにすることを任せるなんてありえないだろう。

なので印南が実行したこと以外に選択肢はない。
ではなぜわざわざ、一度、島の外に出て、さらに女装して人に見られるリスクを負ったのか。
印南はそのまま島のホテルの一室(宇津木が使う部屋)に隠れていて、宇津木はふつうに入島すればいいだけの話だ。
宇津木は共犯なので、ホテルの一室にはだれもいなかったと証言するばいいだけで、その後の夜のパーティ中に、千々岩を外で殺して、
もう一つの謎としている潮の満ち引きの時間を利用して、外に行けばいいだけである。

この人はフリーのジャーナリストであるために、会社員や家族持ちのように、島に行っている日が1日延びても、特に違和感はないだろう。

ということで、予想通り、分解してみると、大きな「謎」というか「矛盾」が現れてきた。
自分は、それほどミステリーを読まないし、読んでも映画を見るように、さっと見て、読後感さえよければ振り返ることは基本的にしてこなかった。

帯には「これぞ職人芸」とあるが、職人としてはあらが多いと感じた次第です。

冒頭に言っているように、このエントリーは、あら探しが目的ではなく、ミステリー小説の構造を分析したかったということが目的です。
読んだ直後の「おー!すっきり」という感じが味わえたことは間違いありません。
とりわけ表側から読んで、裏側から読んで、最後に袋とじをあけて読むという3回の「読書体験」ということでは、とても面白かったです。