週刊「歴史ニュースアラカルト」第4号。よろい男、ミイラの死因……
週刊「歴史ニュースアラカルト」(第四号)さっそく、いってみましょう!
だんだんと寒くなると、国内では遺跡発掘の発表ものが少なくなっていきます。
今週はいよいよ久しぶりの自民党政権の発足。なんだかんだいっても、公共工事が増えると、それに伴い発掘も増えます。
今月最大の考古学ニュースとなった群馬の「よろい男」もバイパス工事に伴う発掘で、学術的な研究のための発掘ではないのです。
この1週間(2012/12/16〜2012/12/23)書いたエントリーを分野別に紹介します。
【古墳時代】
- よろい男の近くに別の人物。団体行動中の被災か?
「よろい男」こと、群馬県の金井東裏遺跡から出土した6世紀前半の人骨は、日本で初めて「甲(よろい)」を着たままの状態で発掘されました。その後も、続報が相次いでいますが、このエントリーでは、これまでのよろい男+乳児に加えて3番目の人がみつかりました。団体で行動していた可能性が高まってきました。
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- 12/21【日本版ポンペイ続報】また火砕流の火山灰から人骨が出た【群馬・金井東裏遺跡】(金井東裏遺跡関連まとめのリンクもあります)
- 大阪大が半世紀前に発掘した古墳時代の「よろい」の動画を公開中
大阪大が1964年に発掘した大阪府藤井寺市にある野中古墳の当時の様子を写したカラー動画が見つかり、2012年12月23日から同大学の考古学研究室のホームページで公開しています。
古墳時代の鉄製のよろいなどたくさんの出土品が見つかった古墳です。
このタイプのよろいは、群馬の「よろい男」のタイプ(くさびかたびら風)よりも、一世代古い「短甲」と呼ばれ、大きめの鉄の板を張り合わせたものです。
=考古学研究室HPをキャプチャー。ピンクの加筆が大きめの鉄板を横に張り合わせたもの
ちなみに同HPの閲覧者は1415人(2012年12月24日午後10時44分)でした。少なくてもったいないですね。Youtubeにアップすれば、もっと見られるのに、なんか色々あるんでしょう、理由が。。
【戦国時代】
- 聚楽の遺構初発見で、いろんな意味で盛り上がる
ホテル聚楽グループのいくつかのホテルが今も健在なことを、このエントリーを書くときに知りました。きっと、ショーなどはだいぶ変わっていると思いますが、いずれも秀吉の聚楽第のように、ホテル聚楽も「歴史」となっていくことでしょう。
なんとその後、ツイッターを舞台に、「聚楽第だ」「いや聚楽城だ!」「いや聚楽よ〜ん!しかないでしょ」などと大いに盛り上がっていました。
togetter『秀吉の「聚楽」の接尾語は、「第(だい)」か「城」か「よ〜ん」かの大論争』してみましたのでよければどうぞ。
恵美的な結論としては、「よ〜ん」でなければ、第でも城でもいい、ですね。
現説にいった人のツイートをみると、やはり破壊されていて基部が残っていたと見えるという感じみたいですね。
写真は朝の竹田城
photo by norio.nakayama
【地震】
- 南海トラフについて未来予想と過去の歴史
先週は、これからの震度6弱以上の大地震が30年以内に起こる確率が発表されましたが、やはり高いのは南海トラフ沿い。そうした中で、最大の被災地になることが予想される高知県の高知大の示唆に富む研究です。
【ミイラ】
- ミイラはなぜ死んだのか?
なぜか今週はミイラネタが2連発でした。ミイラ画像を求めて、多くの人が当ブログを訪れてくれました笑
単独のエントリーにはしませんでしたが、下のようなニュースもありました。
エジプト学といえば、一般的には元早稲田大の吉村作次さんが有名ですが、じつは考古学の世界では、日本の様々な調査隊が活躍しているのです。
今回は、あのツタンカーメンの次ぎのファラオで、彼を暗殺したという説もあるファラオ「アイ」の名を刻んだ指輪を日本隊が発見したそうです。
ツタンカーメン=有名
指輪=映画「ホビット」(指輪物語の作者)を連想する
など、世の中にアピールする要素のある内容ですが、話題になっていません。つまるところ、「マーケティング」がうまくないということです(歴史・考古学界はがいしてその傾向ありますけど)
うーん、もったいない発見。
エジプト中部のアコリス遺跡から、紀元前1320年ごろに、ツタンカーメンの次に第18王朝の王(ファラオ)だったアイの名を刻んだ指輪が出土したことが22日分かった。
(略)日本のアコリス調査団(団長・川西宏幸筑波大名誉教授)が発掘、7月に紀元前800年〜同700年の住居跡から見つかった。調査団の内田杉彦明倫短大准教授(エジプト学)は「高価な素材でなく、儀式などで記念品として大量に作られ、臣下に配られたものではないか」としている。
【日本史ネタ】
- 難波京がどんどん立派になる
橋下市長も国政はあきらめて、もう勝手に遷都するしかないですね、難波京へ(笑)。
発掘で想定外の意外な姿が分かるというのはよくありますが、この難波宮も、使った時期が飛鳥時代と奈良時代のそれぞれごく一時期だったので、たいした都市ではないと思われてきました
が、発掘してみると、次々と出てくる出てくる。
なかでも、難波に都を置いたものの、飛鳥時代の「敗者」と思われてきた大化の改新のあとに天皇になった孝徳天皇が、じつは「すげ〜」ってなってきたののも、大きい成果です。
【海外ネタ】
そのほか、個別のエントリー取り上げなかった歴史・考古学ニュースも随時、更新していきますので、またのぞきにきてください。
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