邪馬台国候補地の纒向遺跡の今年度の発掘成果がビミョ〜【卑弥呼への道、1歩進んで2歩さがる】
邪馬台国の候補地の奈良県桜井市の纒向遺跡の今年の発掘調査の内容がきのう(2013年2月1日)、桜井市が発表しました。
もちろん各紙報道しているのですが、一言で言うと
マスコミのみなさん
困惑・・・
という感じがありありです。
大きな内容は二つあって、
1) これまで卑弥呼の時代に合う(3世紀前半)の四つの建物が直線上にあったとされていたのですが、その一つはありませんでした、ごめんね。
四つ並びが三つ並びに「下方修正」されました。
それでも「祭殿」とちまたで呼ばれる一番大きい建物は「無事」です。
2) このエリアをぐるっと取り囲む堀が見つかりました
ただし、卑弥呼の時代ではありません。100年後の4世紀(古墳時代)です。もう完全にヤマトの時代です。
しかも、「卑弥呼の祭殿」という、もし邪馬台国がそこにあったら一番重要な施設をぶった切っているのですよね。
「卑弥呼の聖地」を囲んだなんて説を載せているところもありますが、いろいろ意味深ですよねぇ。
単純に「崇める」聖地ならぶった切ったりするかなぁ?
いずれにせよ、2つとも、纒向=邪馬台国説にとっては、決してポジティブなニュースではないのです。
そのため、在奈良の報道各紙は、困惑し、このニュースのどっちを取るか、様々なわけです。
ざっと見ると
1)の「建物じゃなかった、テヘ」をメーンにしているのは、
毎日新聞、共同通信
1)の建物じゃなかったテヘを、「邪馬台国=纒向説」へのポジティブニュースとするために大胆にも「卑弥呼の祭祀の跡か」と打っています。
まあ、結果的にそうかもしれませんけど、この段階では、暴走気味ではないでしょうかね。
現説は3日午前10時から午後3時までで雨天中止です。
恒例のコメント集です
兵庫県立考古博物館の石野博信館長は「考えられていた建物は無かったが、小さいけれども大事な建物を何度も建てた神聖な空間であった可能性がある」としている。(毎日新聞)
石野博信・兵庫県立考古博物館長の話「溝の規模から内側は特別な空間で、聖なる儀式が営まれていたとも考えられる。大和王権の宮殿との関係が、明らかになることを期待したい」(読売新聞)
古代祭祀に詳しい辰巳和弘・元同志社大教授(古代学)は「卑弥呼が年に数回、食物の収穫を感謝する祭祀のたびに建てられ、祭祀後に取り壊された複数の小型建物の痕跡ではないか」と推測している。(産経新聞)
同センターは「想定通りの建物はなかったが、何かの施設があった可能性が高い」と分析を続ける。(共同通信)
「4世紀の大きな溝があるとは予想もしなかった。『日本書紀』など文献の記述内容につながる可能性もある」。県立橿原考古学研究所の職員だった1970年代から調査に携わってきた石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)は驚きと期待を隠さない。(朝日新聞)
邪馬台国の候補地・纒向遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) | ||||
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