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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

日本最大のお墓「仁徳天皇陵古墳」は過去の大地震で崩壊

 東日本大震災以来、過去に日本の各地で大地震が起きていたという当たり前のことがようやく認識されるようになりました。
 日本最大のお墓「仁徳陵古墳」(大仙古墳、大山古墳、だいせん)も古墳の「山裾」が崩れていて、今なら「そりゃ地震のせいでしょう」と一番に思うのですが、これまで地震説のほか、山城改修説や台風直撃説などもあったわけです。それがやっぱり地震だったねということが、確認されたニュースです。

 地震考古学のオンリー1、ナンバー1研究者の寒川旭さんの結論です。
 天皇陵が地震で破壊したケースで有名なのは、真の継体天皇陵(別の絶対に継体天皇じゃない時代のものが継体陵になっているので、こういう言い方をする)の今城塚古墳も、直下型活断層タイプの地震で大きく崩壊しています。

仁徳陵に無数の地割れ 地震で繰り返し被災か
2012/10/25 11:28
 宮内庁仁徳天皇陵として管理する堺市の大山古墳(5世紀中ごろ、前方後円墳)に、巨大地震でできた無数の地割れや地滑り跡があることが、墳丘の航空レーザー測量図を調べた産業技術総合研究所の寒川旭客員研究員(地震考古学)の指摘で25日、分かった。東海・東南海・南海地震がほぼ同時に発生したとされる684年の白鳳地震をはじめ、巨大地震の被害を繰り返し受けた可能性があるという。

 墳丘が崩れていることは1995年の宮内庁の調査で判明しており、学界には未完成説、中世の山城改変説、暴風雨説などもあったが、地震説が決定的になった。
 測量図は、大阪府堺市などから成る百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議が作り、今年9月に公表。等高線が10〜20センチ間隔と宮内庁が公表している1メートル(一部25センチ)間隔の図より精密で、これまで判別できなかった地割れの痕跡などが次々見つかった。
 寒川客員研究員は「地割れの向きや形状から、墳丘がほぼ東西の方向にすさまじい力で揺れたことが分かる。マグニチュード(M)8級の巨大地震でしか説明がつかない」と指摘。
 地割れ跡が複雑に入り組み、重なっていることから「築造間もなく起きたM8級の白鳳地震や、豊臣秀吉伏見城を崩壊させた慶長伏見地震(1596年、推定M7.5以上)などで何度も被害を受け、拡大したのだろう。古墳は通常、丘陵などを土台に築くため崩れにくいが、大山古墳は大半が盛り土かもしれない。次の南海地震でも崩れるだろう」と話す。
 地滑り跡も多く、後円部の2カ所では盛り土が大きくえぐれて崩落していた。〔共同〕

大山古墳の航空レーザー測量図。前方部(下)の縦筋が地割れの跡(百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議提供)=共同

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