歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

仇討ちとしての#Metoo運動

著名な女性ブロガーはあちゅうさんが、電通勤務時代に先輩から受けたパワハラ・セクハラについて、Buzzfeedの取材陣、著名ライターよっぴー氏の応援を得て、実名で告発。

電通をやめて独立したばかりのその先輩氏はそれを認め、会社を事実上たたみ、現代版の仇討ちは、大団円で幕を閉じました。

 

勇気のある告発に対して恵美も、はあちゅうさんへ拍手を送り、深い感銘を覚えました。それで、この話は基本的には終わっていたのかと思っていました。

www.buzzfeed.com

と簡単にめでたしめでたしにならないのが、現実の「仇討ち」だったわけです。

 

忠臣蔵だって、赤穂浪士たちはみんな腹を切って死んでいるわけですから、それが名誉の死であろうとなかろうとも。

 

恵美は、日頃、歴史に対して、「人間の歴史は技術や仕組みなどを右肩上がりで進化させていっている。単純に『歴史は繰り返す』なんてことはない。しかし、人の心の進化の歩みはそれらに比べてかなりギャップがあり、『人間は同じことを繰り返す』」と考えています。

 

それで、ブログでも、衆院選と関ヶ原の戦いを比較したりしているのですが、今回は江戸前期の赤穂浪士討ち入り事件(忠臣蔵)となぞらえてみました。(以下、引用は時系列でないものもあります。いろいろな流れはこちらのまとめを参考にしました)

 

忠臣蔵討ち入り後の凱旋中に

 

見事に、討ち入りに成功し、侮辱(セクハラ)した吉良上野介(先輩K氏)の首を手に、師走のイルミネーションの下、民衆たちの喝采を浴びながら表参道を闊歩していた大石内蔵助(はあちゃう氏)を包丁で切りつけようとするものが次々に街頭から現れました。

kyoumoe.hatenablog.com

 

「すわ、吉良の仲間か!」とざわつきますが、

彼らは吉良とは関係なく、大石内蔵助が潜伏中に、遊郭をはじめ女遊びが激しすぎて女を寝取られた町人たち(童貞いじり被害者やそれに怒りを持つ賛同者)だったのです。

 

「大石内蔵助!お前が言うな!!!!」と口々に包丁(ブログやツイッター)を手に押し寄せる町人たちの前に、

赤穂浪士の一人、堀部安兵衛(よっぴー氏)が立ちはだかります。

「大義の前の小事じゃ!少しは黙れんのか!」

yoppymodel.hatenablog.com

 

赤穂浪士の参謀・原惣右衛門(BuzzFeedJapan編集長古田大輔氏)も一喝します。

「町人ふぜいが物事の善悪の大きさを判断するんでない!」

 

www.buzzfeed.com

 

正義の味方は謝れない

 

それに対して、町人たちも「なにお~!」とさらにいきり立ちます。

大石内蔵助は度量を見せて、「まあ落ち着きなさい。わたしが謝ればよかろう。すまん」と一度は頭を下げます。

 

が、町人が投げつけた卵が蔵之介の頭にバシッとあたると、蔵之介もキレて

「あやまるわけねぇだろ!武士の仇討ち(電通でのセクハラ)と、町人の寝取られ(不特定多数への童貞いじりツイート)のどっちが重いと思っているんだ。武士には仇討ちの権利があってお前たちにはないんだよ(表現の自由)。ばーか、ばーか」

 

 

と、さらに煽るものだから、クリスマスの江戸の街は大騒ぎ、となってしまいました。

 

赤穂浪士も、町人も、ほとほと言い争いに疲れたので、どうしたらいいかと、町奉行を呼ぶことにしました。

時空を越えてやってきたのが、大岡裁きで有名な大岡越前守(アメリカ在住の作家・渡辺由佳里氏)です。

 

cakes.mu

結論は、喧嘩両成敗。どっちもセクハラはダメだよ。

見事な大岡裁きです。

この名裁きに、赤穂浪士も町人も、握手をして抱き合って、大団円!

 

仇討ち連環の輪

 

とは、現実社会ではなりませんでした。

なにしろ、赤穂浪士(江戸前半)と大岡越前守(江戸中期)で時代が違うから、ではなく、

やっぱり仇討ちという私的リンチというものは、同じような仇討ちの連鎖にはまる宿命にあるのです。

 

なので、明治維新以降、私的な報復は禁止して、法治国家になり、すべての仇討ちの権利をとりあげて、裁判官が罪の重さを判断し、国が罰するものとしたわけです。

 

筋から言えば、はあちゅうさんは強制わいせつなどで警察などに刑事告発すべきでした。でも、今しても時効ですし、たしかにそもそもちゃんと捜査してくれるかといえば怪しいでしょう。

 

しかし、仇討ちという方法を捨てた社会を選んだ以上、BuzzFeedというマスコミであろうが、著名人であろうが、仇討ちの連鎖からは逃れられないという覚悟が必要だったのではないでしょか。

 

もちろん、赤穂浪士も仇討ち返しが来るであろうと覚悟はして、吉良家(電通方面)から襲撃された際の対策はとっていたかもしれません。

が、まさか凱旋のパレード中に、町人たちから攻撃が来るとは思ってもいなかったのかもしれません。

 

町人たちが武器(ブログやツイッター)を持ったというのが、江戸時代(20世紀)と現代(21世紀のSNS時代)との大きな違いなのかもしれません。

 

紙メディアが主流だった20世紀は、メディアがこうした個人の仇討ちを取り上げることはあまりありませんでしたが、21世紀になって、メディアがファクトを疑惑として取り上げるだけでなく、その善悪についてジャッジまでするようになっているように、感じます。

 

モリカケ疑惑なども疑惑として問題提示するだけでなく、有罪認定もメディアが勝手にしてしまうという。

 

セクハラやパワハラ、ブラック企業などの社会の問題に対して、法治国家が対応できていないというのは事実でしょう。裁判員制度の導入などで、変化をしようともしています。

 

しかし、人を(社会的に)ころしかねない法律の罰則を新たに設けるためには、慎重の上にも慎重にしないといけないことは、言うまでもありません。密室での事件は、被害者の告発に重きを起きすぎると冤罪が発生しかねない。難しい問題です。

 

 

弥勒菩薩の降臨が待たれる*ただし56億年後

 

「人を呪わば穴二つ」の教え通りの展開に、当初の勧善懲悪の時代劇を見終えてスッキリという感覚が吹っ飛びましたが、下のブログを見て、非常に納得しました。超ブラック企業勤務経験がウリのフミコフミオ氏です。

 

delete-all.hatenablog.com

 

告発そのものとその告発者は別に評価すべきという意見は確かに仰るとおりだが理想論すぎて全く意味がない。人間は過去の言動によって成立している。つまり人とその人の言動を完全に切り離すことは出来ないからだ。求められるのは寛容さじゃないか。過去の言動についての謝罪を受け入れる寛容さ。まあ、その謝罪そのものが「お前が言うな」になってしまうのも人の世の常なのだけどね。この世はまさに地獄だ。ちなみに僕は嫌いな人間しかいない地獄で働いていたので「人間的にはスゲエ嫌いだけど言ってることは評価する」処世術が身に付いてしまった。サンキュー地獄。

 

はあちゅうさんのような言動を「お前が言うな」ではなく、いいところはいいところとして、きちんと受け止められるには、フミコフミオ氏のように地獄を見ないと悟れないという現実。

 

社会をよくするためには、みんながもっと地獄をみないといけないとは、絶望的ですけど、真理かもしれません。

 

お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の次に現世におりてきてわたしたちを救ってくれる弥勒菩薩が来るまであと、56億7千万年。 それよりも、はやい人間の心の進化が待たれます。

 

弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。(

弥勒菩薩 - Wikipedia より)