歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

「洪水」その無慈悲な威力が後世に歴史を残した「真空パック保存効果」#弥生時代 #歴史

 国内有数の弥生時代の水田跡がある奈良県の中西・秋津遺跡で、弥生時代の水田や稲作の生産性などが徐々に判明している、という産経新聞がきょう(2013年5月6日)ネットに配信されています。
 こういう分析記事はいいですね。理解度がアップします。

 


 弥生時代前期(約2400年前)の水田跡としては、国内最大規模を誇る奈良県御所市の中西・秋津遺跡。県立橿原考古学研究所(橿考研)の発掘調査で、洪水の土で“真空パック”された状態で水田跡の一部が見つかるなど、「弥生当時の水田」を知るうえで貴重な調査成果をあげている。京都大大学院も共同研究で土壌分析に協力しており、日本に稲作が伝わった頃の田園風景の様子が明らかになりつつある。今年度の調査も始まり、専門家や考古学ファンの注目を集めている。

 (略)
 弥生時代前期前半には水田の底面に段差があったが、前期後半になるにつれて次第に平面になっており、約200年かけて当時の水田が改良されていたことも確認された。

 この遺跡は、洪水で厚さの土砂が堆積したことで、水田や林が「真空パック」された場所です。
 埋没林については、エノキの木の根元が見つかって話題になりました。

 産経の記事を読むと、弥生時代における水田稲作がけっして「狩猟生活(縄文時代)に比べて楽でうまみがある」というものではないことがわかります。

 数百年かけて、ちょっとずつ改良に改良を加えていったのです。
 そして、200年かけて「良質な水田」になったところで、大洪水であぼーん、という無慈悲さ・・・。
 まあ、そのおかげで我々は考古学の成果によって、当時の歴史の実像を知ることができるのですが。


 洪水や土石流で、弥生時代の水田が埋まってしまったケースで有名なのは、青森県田舎館村の「垂柳遺跡」(たれやなぎ)があります。


 垂柳遺跡は、洪水によって埋もれた遺跡です。過去の噴火で八甲田山の山麓には、たくさんの噴石物が降り積もりました。
 その噴石物が雨によって川に集められ、洪水となって垂柳遺跡を襲(おそ)ったのです。 
田舎館村HPより

 ここも洪水で埋まったために現代まで「真空パック」されました。
 写真を見れば分かりますが、現代の1区画と比べて、各区画が非常に小さいことがわかります。いまなら棚田みたいな感じです。
 大規模にすれば、効率はいいですが、それだけ当時は、水温調整や水量の確保などが大変で、小さくして、一つ一つを手間暇かけて維持することを選んだのでしょうね。

 この本にある弥生時代が500年早まったというのも衝撃ですが、ほかにも徐々に色々なことが分かってきているのが弥生時代ですね