歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

原発に近い被災文化財の今【ルポ記事まとめ】

 長い目で見た時、もともと過疎化が続いていた東北の被災地では、文化財を守っていくことは、生命財産を守るの準じて重要視していく必要があると思います。
 というのも、たとえ、こぎれいな場所になっても、文化と歴史がすっかり消えて「故郷」らしさが見いだせなくなれば、若い世代が戻ってくる理由がなくなるからです。

 阪神大震災では、神戸というのは新しい町ではなく、ずっと昔からの歴史があることが、震災後の復興に伴う文化財調査によって、住民に知られ、より誇りをもてる町として蘇ったそうです。

 読売新聞できょう(2013年3月20日)「被災した文化財の今」を追うルポ連載がはじまりました。(ネットは、読売プレミアムのみ)
 以下、1回目の概略です。ただでさえ人間が戻れない状態ですから、福島の20キロ圏内は大変ですね。

 記事によって、大変さはわかったのですが、気になるのは、放射能の汚染との「戦い」についてあんまり触れられていない点です。
 大熊町の一部で漏水があったため基準をこえる放射能汚染となった文化財が搬出できなかったとは書かれていますが、搬出作業や、そのあとの博物館構想よりも、だれもが感じている「放射能問題」について、しっかり書いてほしかったなあと思いました。 

 放射能的に問題ないといわれても、みんなが「はい、そうですか」とならないのが現状です。

 20キロ圏内から文化財をうつすときに、搬出先の相馬女子高には、ちゃんとその旨を伝えているのか、反対はなかったのか。
 どうやって説得したのか、それとも黙っているのか。とか。
 「いい、悪い」ではなく、福島の生の声や現状をもっと読みたかったです。

 『いまだ手の付けられない文化財を抱える「福島」と、徐々に保存への取り組みが進む「宮城・岩手」の現状をそれぞれ追った』とあるので、たぶん全2回だとしたら、福島の話はもう終わりなのかな。

 警戒区域内の資料館などで初めて、本格的な文化財の避難活動が行われたのは、震災から1年半も経過した2012年9月のこと。現在も、自治体が所蔵する文化財のうち搬出されたのは、富岡町で4割、双葉町に至っては2割にとどまっている。
 文化財の除染方法は、まだ研究もされていないという問題も残されている。

 双葉町の搬出が2割と進んでいないのは、収蔵品の多さに加え、行政機能が約200キロ離れた埼玉県加須市に移っていることも影響する。

 搬出された文化財は現在、福島県相馬市の旧相馬女子高に一時保管されている。4月以降、同県白河市の県文化財センター白河館に建設中の仮収蔵施設に移される予定だ。だが、全ての文化財が入るスペースはない。

 旧相馬女子高もいつまで使えるか不明なうえ、廃校なので耐震性も気がかり。双葉町生涯学習課の吉野高光・専門学芸員は「故郷を離れた町民にとって、文化財は故郷との『つながり』を確認できる存在。最低でも6年は町に戻れない今、帰還まで確実に保護できる保証がなくては、町民から預かっている文化財を安易に運び出せない」と話す。

  菊地芳朗・福島大教授(日本考古学)は、被災文化財の収蔵、修復、除染、展示を総合的に行う国立施設の建設を提案する。

 「チェルノブイリや広島にも同様のメモリアル施設はある。除染研究や人材育成も行う必要があり、今後長くかかる修復作業の経験は、次の大震災にも生きるはず」

 
 下は直後の経験を、被災から半年のうちに、現地の学芸員らが語った貴重な講演会をまとめた本です。
 陸前高田の話とか、淡々としているけど、涙が出そうになりました。ぜひ図書館で見かけたら読んでみてください。(もちろん買うと印税が寄付されるのでなおOK)