幕末のジャンヌ・ダルク山本八重はなぜ鉄砲を使えたのか?その原点はおそロシアの南下にあった?【八重の桜秘話】
歴史秘話ヒストリー「白虎隊」編どうでした?
すっかり忘れていましたよ涙
まぁ、大河ドラマ押しで、何回も何回も再放送するでしょうけどね。
「さて、今回はそんな八重の、もう一つの知らざるエピソードをお伝えしましょう〜」
八重の家、山本家が砲術指南役というのは有名なのですが、果たしてそれはいつまでさかのぼるのでしょうか。
戦国時代において、鉄砲隊というのは、足軽、つまり下っ端のお仕事でした。
その流れが江戸時代も続いていて、基本的には身分の低いのが現状です。
しかし、山本家はそうではなさそうです。
山本家が砲術師範となったきっかけは、八重のおじいさんの山本権八良郄が
1805年に、会津藩が任せられた北海道の警備で、利尻島における大砲の担当したことでした。
つまり、南下するロシアの脅威にそなえるためだったのです。
そんな史料を見つけたのが、札幌の歴史作家で会津藩士を祖先にもつ
好川之範さんです。
その新著『幕末のジャンヌ・ダルク 新島八重』を新人物文庫から出しました。
数ある八重本では、異色の切り口ですし、文庫でおやすいのでぜひ読んでください。
幕末のジャンヌ・ダルク 新島八重 (新人物往来社文庫) 好川 之範 新人物往来社 2012-11-07 売り上げランキング : 11513
|
【八重の桜エントリー集】