日本史上最大の土建国家が古代にしかできなかったたった一つの理由
昔、内戦が終わったカンボジアで日本が道路を造るお手伝いをするということがありました。
アスファルトを敷くだけの材料はないので、基本的に土で盛るだけ。
しかし、数か月後にくると、雨でほとんどが崩れてしまっている。
道路とは、作ることより維持しつづけることが難しく、それゆえに、古代から国家権力は道にこだわるわけです。
道そのもののレベルの高さは、奈良・平安時代のほうが鎌倉以降を凌駕しているともいわれます。
あれだけの古墳をつくってしまうくらいですから、昔から日本は土木、工兵隊としての能力が高かったのです。
なんで奈良、平安時代のほうがすごいというと、国家の動員力が大きかったからです。
武士が強いといっても、あくまで地域政権ですから、日本列島全体から人を集められた古代国家には、動員力としては及ばないのです。
それが武士でできたのが、秀吉、家康まで待たないとなりませんでした。
(2012 11/25 17:20)
姶良市春花の奈良・平安時代遺跡の発掘調査結果がまとまった。同市教育委員会によると、国道が通り、役所や付随する集落跡が見つかった。国道は平城京を中心に全国に張り巡らされた駅路とみられ、確認されたのは県内で初めて。一帯は交通の要所だった可能性が高いという。
春花では2005〜08年、県営ほ場整備に先立ち、城ケ崎・柳ガ迫・外園の3遺跡を発掘。城ケ崎は現在の市道沿いに幅6メートル前後の細長い帯状の水田が残り、奈良時代の大隅と薩摩の両国府をつなぐ古代駅路跡の可能性が以前から指摘されていた。
調査で側溝を備えた路面幅3.7〜4.7メートルの道路遺構を確認。9世紀初頭に付近は相当の交通量があったとする日本後紀の記述もあり、駅路跡が裏付けられた。遺跡は埋められ、調査結果は市歴史民俗資料館に展示中。12月2日まで。
城ケ崎遺跡で検出された駅路跡とみられる道路遺構(姶良市歴史民俗資料館提供)
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