歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

武田信玄の妙技ひかる三増峠の戦いについてφ(..)メモメモ

信玄の戦上手といえば、No1は家康を破った三方ヶ原の戦いでしょう。

しかし、三増峠の戦いもおもしろい。

なにしろ、後ろを見せた武田軍と追撃する北条軍という三方ヶ原の戦いと同じ構図だからです、

と思っていたら、

三増峠の戦い~武田信玄が小田原北条氏を返り討ちにした山岳戦で見せた「侵掠すること火の如く」の機動力 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

現地を歩いた人のルポが載っていました。

これを読むと、北条軍の追撃戦だと思ったら、むしろ戦場では北条軍は待ち伏せしていたんですね。

追撃戦かつ有利な高所に布陣した北条軍は圧倒的に優位なのですが、信玄軍のまさに電撃によって、オセロのように一気に有利不利が変わってしまうのです。

鮮やかとしかいいようがありません。

地理の知識の少ない敵地であっても、優位なポジションを確保するというのは三方ヶ原の戦いでも見せた信玄の驚愕のスキル。

マンガ「黒子のバスケ」でも出て来るような鷹の目(俯瞰できる目)を持っていたのでしょうかね。

また、定説ではこの戦いで北条軍は大量の戦死者を出した大敗だったとされていますが、いっぽうでたいした被害はなかったという説もあります。

この戦いの実際の地形での各軍の動きを見る限り、北条氏は「大きな魚を逃したが、負けてはいない」というくらいにも思えました。

 

門田隆将さんの新刊『汝、ふたつの故国に殉ず』を書評しました

大好きなノンフィクション作家、門田隆将さんの新刊『汝、ふたつの故国に殉ず』を読みました。

けっして戦前の日本がすばらしい、戻るべきだ、と賛美するわけではないのです

ほかのアジア諸国に比べると、当時としては比較的ましだったというだけかもしれません。

「他利と義」

いまも日本人の多くのひとには共有している価値観だと思います。

もちろん、行き過ぎると、電通の女性をはじめとする過労死問題などにもつながっているのですが。

主人公が叫んだ最期の言葉はなぜ日本語だったのか?

あきらかに中国本土が台湾はもちろん、沖縄までも触手を伸ばしている今、

トランプ新大統領が台湾との関係をタブーから現実の問題へ浮かばせた今、

日本人が台湾について振り返る必要がある今、

いろいろ考えさせられる作品です。

簡単な書評を武将ジャパンに寄稿しましたのでよろしければどうぞ。

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真珠湾陰謀説の真相に迫る良記事。壮絶な国際スパイ戦争の実態がすごい

安倍首相が12月26、27日、ハワイの真珠湾オバマ大統領とともに訪れます。

真珠湾攻撃といえば、「陰謀論」。

ルーズベルト大統領が日本が攻撃することを知っていたのに、あえて「奇襲」させることで、米国世論を第二次世界大戦への参戦へと誘導したというものです。

陰謀論というと、本能寺の変の黒幕は誰々と限定!や東日本大震災はアメリカの超強力兵器によるものなど、わたしは「陰謀論」と聞くだけで眉唾と基本的に構えます。

歴史というのは、(地震はともかく)複雑な事象が折り重なっておきるので、簡単に「○○の陰謀で歴史が動いた」とはならないからです。

真珠湾陰謀説も、同じように、たいして調べもせずに、頭から疑いを持っていましたが、武将ジャパンでのジャーナリスト南如水氏の2つの記事を読んで、「ここまでやる」という国際スパイ組織の具体的な行動について、知りました。

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参戦したいルーズベルトと、アメリカ議会のライバルで参戦反対派(アメリカの場合参戦反対=平和主義ではなく、孤立主義となるんですね。トランプ氏もそうですが)とのリーク合戦。

参戦反対派を追い落とすためにイギリス(イギリスとしてはアメリカに参戦してもらわないと困る)の諜報機関がやった情報収集のすさまじさと、それを使ってなんとヒトラーまで動かしてしまった罠。。。

うーん、こいつらすごい。

日本でも開戦直前に、イギリス大使館の情報担当部長が逮捕されるまでの空白の5日間など、記録に残らないすごいことがあったんだろうと思いました。

などなど、を読んでいくと、陰謀論はあったのか、なかったのかという私の中での結論は、

少なくとも「なかった」と言い切るのは、あまりにも呑気すぎるのではないかということでしょうか。

ただ、単純に「あった」というのもまた憚れて、多数の情報が飛び交う中で、少なくともアメリカのルーズベルトとドイツのヒトラーは「自分で決めた」。

一方で、どうやら日本は同じくらいのレベルの情報を持っていながら、天皇ではもちろんなく、東条英機首相がトップダウンで決めたとはおもえないというところでしょうか。

この記事では、ずばりの答えはまだ出ていないので、それぞれがあらためて「戦争のはじまりかた」を考えるいい機会になるのではないでしょうか。

 

 

薬師寺東塔は奈良時代の新築か?それとも藤原京からの移築か

http://www.nara-yakushiji.com/img/top_photo_toto.jpg

国宝の薬師寺東塔の修理中に、心柱と天井板2枚の木材を調べたところ、伐採年として710年の平城京遷都を遡ることはなく、奈良時代の730年頃に建てられたという報道が12月19日に各紙でありました。

 

 

www.asahi.com

 

 

 「凍れる音楽」と称される奈良・薬師寺の東塔(国宝、高さ約34メートル)が、奈良時代の730年ごろに建てられたことが分かった。寺と奈良文化財研究所(奈文研)が19日、年輪年代測定の中間結果を発表した。東塔をめぐっては、飛鳥時代藤原京(694~710年)からの「移築説」と平城京遷都後の現在地での「新築説」があったが、新築説が確定的となる。

 東塔では、2009年から約110年ぶりの解体修理が進行中。奈文研は取り外された初層(1階)の天井板2点に対し年輪年代測定を実施し、伐採年が729年と730年と判明。塔中央の心柱についても測定し、最も外側の年輪が719年を示し、720年代に伐採された可能性が高まった。伐採年が710年の平城遷都前の飛鳥時代までさかのぼる結果は、確認されていない。

 

薬師寺そのものは、女帝の持統天皇(当時は天武天皇の后)がもっとも南にある藤原京奈良県橿原市)に創建したもので、いまは「本薬師寺」となっています。

藤原京平城京の西の現・薬師寺はそんなに離れていないので、移築説と新築説が論争となってきましたが、この調査の結果、新築説が優勢になったというわけです。

ただ、彦根城はじめ、薬師寺などに比べれば「新しい」お城を見てもわかるように、木材を建築当初のものをすべてそのまま使っているということはほとんどないわけです。

もしかしたら、心柱は中心なので新しい建材を使おう、でもまわりはもとの柱を使おうってこともあるかもしれませんね。

とにかく昔は、そして今だって巨木は貴重品です。

ましてかんなもない時代ですから材木の加工は大変な作業です。平城京という大きな工事に伴い、材木不足になっていたことは言うまでもありません。

元・薬師寺にあった建材が、そのまま新・薬師寺に移築されたかはわかりませんが、その建材はほとんど平城京周辺のどこかにはリサイクルされたことでしょう。

 

奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

 

 

ひとときの連載「パノラマ日本史」28回で完結!

お久しぶりです。

恵美嘉樹です。

はてなダイアリーをしばらく放置していましたが、このたびはてなブログへ移行してみました。

簡単ですね。ぽちっと押すだけです。

ただ、はてブの移行はしばらく待ってみようと思います。

さて、東海道新幹線グリーン車にのるともらえる雑誌「ひととき」(ふつうに購入もできます。税込み500円です)で2年半ちかく連載させていただいた「パノラマ日本史」ですが、2016年12月号をもって連載終了となりました。

長い間、ありがとうございました。

さて、最後のテーマは、長野県茅野市の「縄文のビーナス」です。

イントロです

「国宝の土偶『縄文のヴィーナス』が発見された長野県の八ヶ岳西南麓は、縄文時代中期に、日本で最も人口が集中していた地域といわれる。この縄文王国が栄えた理由は、地形にあったーー。」

 

そして

最後の一文は

「日本の多様性に満ちた地形や自然環境は、はるか昔から恵みとともに時に大きな試練を与え続けてきた。しかし、それでもなおわたしたちはこの自然と共に生きていくのだ。」

です。

縄文人が優品であるヴィーナスを見て、「おれも家に帰って作ろう」と少し離れた村に帰って、つくってみたけど、へたくそな劣化コピペ土偶が出土している話など、今のわたしたち(Denaで働く人達も)にも響くエピソードを紹介しています。ぜひ、新幹線に乗ったら、グリーン車とはいいませんから、キオスクで買ってくださいませ。

 

さて、この連載は、担当編集さまの地理と歴史がミックスしたらおもしろいのではないかという熱い思いで始まり、その後、ブラタモ人気により、この切り口の正しさは証明されたと思います。

 歴史+地理のブームの中で、ではなぜ最終回なのか。

前にも「ひととき」で長期連載させていただいた古代史紀行「アキツシマの夢」も一時、連載終了後に充電期間をおきつつ、「パノラマ日本史」を始めさせていただきました。

 

みんな大好きブラタモさまが、地理と地図を組み合わせたわれわれの連載「パノラマ日本史」のコンセプトをあっという間に抜き去ったという事実は甘んじて受けないといけないと思います。

なので一度、ここは箸を置き、台所にまわって、あらたな企画を仕込んでおります。

 

また、さらにおもしろく、読者のみなさんを「歴史旅」に誘う連載をはじめたいと思っておりますので、そのおりはよろしくお願いします。

 

ひととき2016年11月号の「日本史パノラマ」27回は井伊直虎について書きました

東海道新幹線のグリーン車の車内雑誌「ひととき」で連載している「日本史パノラマ」

2016年11月号(10月20日刊行)では、17年の大河ドラマ井伊直虎について「尼僧の領主、直虎」として書きました。

 

ひととき2016年10月号の「日本史パノラマ」26回は「蒙古襲来の実態」

東海道新幹線のグリーン車の車内雑誌「ひととき」で連載している「日本史パノラマ」

2016年10月号(9月20日刊行)では、「蒙古襲来の実態」をテーマに書きました。