【現代語訳】八重の桜従軍記@戊辰戦争・会津の決戦【第2回・籠城編】
NHK大河「八重の桜」対抗(笑)連載の、山本八重の従軍記の2回目です。
1回目はこちら
前回は、城に入城するまで、今回は籠城し、兵站などの後方での女性たちの戦いです。
64歳の新島八重が明治42年(1909年)11月の「婦人世界」という雑紙に載せたインタビュー「男装して會津城に入りたる当時の苦心」の現代語訳です。
- 火傷しながらおむすびを握る
若松城に入城した女たちの役目は、兵士たちの食料を作ること、鉄砲の弾(鉛からつくる)を作ること、負傷者の看護をするの3つでした。
大きなお釜をいくつも並べて、順番に炊けるそばから、おにぎりを握りますが、炊きたてのご飯ですから、熱くて熱くて手の皮がむけそうになります。
一つむすんでは、水に手をつけ、また一つむすんでは水に手をつけて、
しかし、それではなかなか追いつかないのです。
この水にご飯つぶが落ちますが、捨てることはしません。あとでお粥にして負傷者に食べさせました。
黒く焦げたところや、地面に落ちてしまったところは、私たち女たちがいただきましたが、汚いとか気持ち悪いなんてことは、この時はまったく考える暇もありませんでした。
- 一番心配だったのはトイレでの「戦死」
ただ、こうして働いているので一番心配だったのは、トイレ(厠)に入っている時でした。
武家の女として、敵に一矢も報いずに犬死にするようなことがあって殿様に対しても、家名に対しても、誠に恥ずかしいわけです。
たとえ、流れ弾に当たって死んでも、戦えるだけ戦って立派な最期を遂げたい一心でした。
そういうことですから、もしトイレに入っているときに大砲でも破裂してそのまま最後となったときに、女として最も恥ずかしい醜態をさらすことになるからです。
弾丸をつくる話は、山川操子さん(東京帝大総長の山川健次郎の妹)のお話にあるとおりですが(=番外編でまた載せます)のお話のとおりですが、百発ぐらいずつちゃんと箱に入れて、それぞれ分配しました。
それがなかなか重いので、普通のときなら一箱でもとても持てそうにないのですが、気が立っている時ですので、2箱も3箱も肩にかついで、弾丸担当に渡しました。
男装をしていただけでなく、まったく男と同じ働きをしたのです。
負傷者はどんどん増えていきましたが、なにぶん籠城中のことで、医薬品が十分ではありませんでしたから、助けられる惜しい命をなくした人もたくさんいました。
ある晩、私が廊下を通りますと、長い廊下に武士たちが一面に寝ていました。
「ああ、長い激しい戦いで疲れて寝ているのだろう。気の毒だ」と思い、
しかし、「大切な身を風邪でもひいてしまったら大変だ」とあかりを付けてみますと、どうでしょう。
寝ていると思ったのは、死んでいる戦死者だったのです。
死体の置き場がないのですから、とりあえず廊下に置いたのでした。
(続く)