歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

沖縄で1万5000年前頃の人骨と石器がセットで見つかる


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 1万年を越える古い人骨は、日本列島ではほとんど沖縄からしか出ていません。
 縄文時代の人骨は、全国でも非常にたくさん見つかっているのですが、それは貝塚に遺体が残飯(貝殻)とともに捨てられていたから。貝殻はアルカリ性なので、骨が残るのです。一方、日本の土壌は酸性なので、土に埋められたりするとすぐに「腐葉土」と化して、森の栄養となります。
 沖縄で見つかっている人骨というのも洞窟からです。鍾乳洞がアルカリ性なのと同じことで、人骨が今に残っているのです。
 本土では1万年オーバーの人間の痕跡は、主に土器という道具が、逆に沖縄の場合は道具は見あたらずに人骨で、セットではこれまでなかったのが、今回、セットで出てきたというお話です。
 縄文時代は、世界史的には土器を使う文明度の高い「新石器時代」で、1万5000年頃から青森で始まりました。この沖縄の人骨と石器も1万5000年頃のようですが、東北北部から日本中に広がるのはまだまだ先なので、沖縄諸島では旧石器時代でした。

縄文はいつから!?―地球環境の変動と縄文文化 (歴博フォーラム)

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朝日新聞2012年10月20日0時29分

編集委員中村俊介沖縄県立博物館・美術館は19日、同県南城(なんじょう)市のサキタリ洞遺跡で、1万2千年以上前の人骨と石器が同じ地点からそろって見つかったと発表した。両者がセットで確認された国内最古の例だ。本土に残らない古い人骨が密集する沖縄だが、なぜかこれまで明確な道具類はなかった。やっと見つかった人類学と考古学との接点は、日本人のルーツを探るうえでも重要な手掛かりになりそうだ。

 発見されたのは2センチ前後の石器3点と、子供の歯。約1.5〜2.5メートル四方の狭い範囲から見つかった。3点はいずれも石英製で、同館は(1)割れ方には自然にできない人工的な規則性がある(2)石英は同遺跡付近になく、人間が外から持ち込んだと考えられる、などを根拠に石器である可能性が高いと判断した。近くにない海の貝や食べかすとみられるイノシシの骨もあった。

 沖縄ではこれまでに約6千年前の石器が見つかっている。今回発見されたのは、同じ層の木炭の炭素年代測定によると、1万2千年以上前の更新世末期(旧石器時代から縄文時代への過渡期ごろ)のもの。実年代に直すと1万5千年ほど前になるという。出土層を鍾乳石が覆い、内部が乱れた痕跡もないため、別の時期の石器と人骨が紛れ込んだ可能性はないとみている。ただ、この時期に本土や海外で見られる石器との関連について「つながりがあるのか、分析はこれから」という。

沖縄タイムス

[サキタリ洞人]起源論に新風吹き込め

2012年10月22日 09時46分
(30時間4分前に更新)
 南城市にある観光施設「おきなわワールド」(玉泉洞)の西側、県道17号の道向かいに、「ガンガラーの谷」と呼ばれる洞窟がある。

 洞窟の開口部を下りたところに設けられた観光客向けのカフェの、その一角にあるのがサキタリ洞遺跡である。

 この遺跡から、約1万2千年前のものとみられる人骨化石と石英製の石器がみつかった、と県立博物館・美術館が発表した。旧石器時代の人骨と石器が同じ遺跡から出土したのは国内でも初めてだ。

 旧石器時代の人骨と言えば、約1万8千年前の港川人がすぐに思い浮かぶ。だが、無文土器や南島爪形文土器などの沖縄最古の土器文化が出現するのは約7000〜約6000年前のことである。

 港川人との間に横たわる約1万年余りの空白期間−このミッシング・リンク(途中が欠けてつながらない部分)をどう理解するかが、学会の課題だった。

 県立博物館・美術館は2009年からサキタリ洞遺跡で発掘調査を続けてきた。約1万2千年前の地層から見つかったのは、長さ約2センチの子供の犬歯1点と剥片石器(石英片)3点など。石英片について慎重に調査を進めた結果、人為的石器と見なしうる特徴が認められたという。

 今回の発見は旧石器時代縄文時代のギャップを埋める重要な証拠だと言える。

 サキタリ洞遺跡には、約1万2千年前の地層よりもさらに古い地層が保存されているという。発掘調査を継続し、さらなる発見をめざしてほしい。

 那覇市の実業家・大山盛保さん(故人)は、1967年から1970年にかけて、八重瀬町にあった採石場のフィッシャー(石灰岩の裂け目)から、5〜9体分の化石人骨を発見。放射性炭素年代測定法によって年代を測定した結果、約1万8千年前の人骨であることが分かった。これが港川人である。学会を揺るがす画期的な発見だった。

 学会では長い間、「港川人は縄文人の祖先」だという説が有力だった。だが今では、この学説は次第に力を失い、港川人と九州以北の縄文人とはつながらないという見方が主流になりつつある。

 だとすれば、港川人は、どこから来てどうなったのだろうか。約1万年の空白期間を説明するため「港川人絶滅説」を主張する研究者もいる。港川人とサキタリ洞人は、祖先・子孫といわれるような関係にあるのだろうか。

 旧石器時代研究の特徴は、かっての定説に疑問符がついたり、不明な点が一挙に解き明かされたり、一つの新発見によって学説が激しく変動することだ。プロの研究者でなくても、考古遺物などの発見によって学会に貢献することは可能である。大山盛保さんもその1人だ。今年は港川人を発見した大山さんの生誕100年にあたる。

 港川人が発見された場所とサキタリ洞人が発見された場所は、近い。本島南部のこの一帯に、起源論のナゾを解くカギが埋もれているかもしれない。