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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

陵墓 天皇の墓ではない天皇の墓のなぞに迫る

陵墓。天皇やその皇族の墓を指定し、今日では宮内庁が管理しているものです。
その陵墓についての一線の研究者があつまったシンポジウムが本日開かれました。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/seminars.html#Japan_kodai

演題で興味深いのは、考古学研究者の今尾文昭さんの報告す。
今尾さんは奈良県橿原考古学研究所に勤務し奈良県内の発掘調査に従事されています。
重厚な研究書を最近出版し、注目されています。

律令期陵墓の成立と都城 (古代日本の陵墓と古墳)

律令期陵墓の成立と都城 (古代日本の陵墓と古墳)


これまでの古墳研究では、ヤマト政権は前方後円墳を最高首長墓とし、一代にひとつの墳墓を像家することを前提として古墳の編年がなされました(広瀬説)。
さらに、古墳の移り変わりは大王の盟主権の移動を意味するとします(白石説)。すなわち、盟主権は、奈良盆地東南部の磯城(山辺・磯城古墳群)から北部の佐紀(佐紀古墳群)、ついで「河内」(百舌鳥・古市古墳群)、へと移動したとするのです。

こうした有力な学説に対して、今尾さんは以下のような疑問を提示します。

1)大王墓(盟主権)は古墳時代を通じて連続しているのか?
2)なぜ「佐紀」に移動したのか?
3)五大古墳(大和、馬見、佐紀、古市、百舌鳥)の考古学の成果を盟主権の移動と評価してよいのか?
4)大王墓(盟主権)の移動がなぜおこるのか?
5)そもそも移動があるのか?
6)「大王墓」は存在するのか?

などなど。どれも興味深い提言です。残念ながら、今回の報告では答えが提示されませんでしたが、最後の6)「大王墓」が存在したのか?という問いかけに対して、今尾さんの近く刊行される書物(『古墳文化の成立と社会』青木書店)で「大王墓」は存在しない!という衝撃的な学説が発表されるとのこと。詳細はわかりませんが楽しみです。

さて、今回の報告では、上記のような古墳時代の問題意識の中で、1)の問題点「大王墓の連続性」について報告がなされました。

6世紀前半に今城塚古墳が攝津に作られました。真の継体天皇陵とする説が有力なこの古墳ですが、古墳時代の歴史の中で「画期的な」古墳でした。
その変換の点は以下になります。
・横穴式石室がはじめてつくられたこと
・陪塚(ばいちょう。主たる古墳の周りに小さな古墳が付帯すること)を持たないこと
・墳丘を囲む埴輪列がないこと

この今城塚古墳には上記変化にくわえて、それまでの古墳と大きな違いがあるといいます。
五大古墳において「引き継がれた」以下の4つの特徴です。
1)集中性
2)階層性
3)継続性
4)兄弟の「累積」において目に見える形とすること

これらの要素は今城塚古墳によってことごとく断絶しました。唯一、「前方後円墳」という要素だけが引き継がれたのです。


この連続性に関して、箸墓古墳のある山辺・磯城古墳群を題材に具体的に検討されました。ちなみに、宮内庁では山辺・磯城古墳群の墳墓を次のように指定されています。
箸墓(→ヤマトトトヒモモソヒメ)
渋谷向山(→景行陵)
行燈山(→崇神陵)
西殿塚(→手白香皇女、継体の后)

すでに指摘されてきましたが、西殿塚古墳が継体の后の墓であることはありえません。かりに手白香皇女の陵墓だとすると、6世紀前半ごろになりますが、考古学の編年では3世紀末。200年以上も年代差があるのです。宮内庁の指定は間違っていることは明白です。
しかし今尾さんは、「西殿塚古墳の存在が「記紀」に見えないことは、ある意味「深刻」」と別の観点から注目します。

どういうことか次に説明しましょう。上記古墳を編年にならべると以下のようになります。

箸墓→西殿塚→(桜井茶臼山)→行燈山→渋谷向山

この編年に並べられた古墳を「一代に一つの大王墓が作られる」と通説にそって考えると、どうも記紀にみえる天皇の系譜とまったくあわないといいます。
この齟齬は何を意味するのでしょうか。今尾さんは、次のように語ります。
「古墳編年と「記紀」による王統譜の不整合は、古墳時代政権と「記紀」編纂の王権との間において、「不整合」ということになる。」

このことは、古事記日本書紀が作成された奈良時代には、だれがどの古墳に眠っているのか、その順番(ここで王統譜といわれていますが)すらわからなくなっていたことを意味します。今尾さんが指摘するのは、古墳が盟主権をあらわすということが自明なのか、改めて問題を投げかけているわけです。

非常に壮大な問題設定もあり大変刺激的な内容でした。ただ欲を言えば、「王統譜が継承されていない齟齬をどう理解するのか」「記紀の王統譜と古墳との齟齬はそんなに珍しいのか。ほかにも指定漏れの陵墓など多数あるのでは?」といった素朴な疑問に対して説明がほしかったのですが、それは今後の研究を待ちましょう。

なお、今回の報告は文献史学の方が集まる場での発表だったため、考古学専門の今尾さんは考古学の専門外の人たち向けに大変丁寧にわかりやすくお話をされており、大変面白く勉強になる内容でした。

恵美としては、こうした研究者の間の情報をよりわかりやすく発信していこうと強く決心しましたわけです。