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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

聖徳太子も、大化の改新も、天武天皇もいなかった!?

東アジアの古代文化 134号 特集:弥生稲作の開始年代
 前回に続いて季刊雑誌「東アジアの古代文化」(2008年)からです。

 聖徳太子はいなかった!で有名な中部大学教授の大山誠一氏が、同じく(?)「大化の改新はなかった」説の山尾幸久・立命館大学名誉教授の『「大化改新」の史料批判』(塙書房)をめったぎりにします。

「大化改新」の史料批判

「大化改新」の史料批判

 日本書紀の内容を信用しないという点では、両巨頭ともいえるかもしれない二人ですので、「どっちもどっち」と突っ込みたくなりたくもなります。が、大化の改新は、悲劇の人で乙巳の変のクーデターの真の首謀者との説もある孝徳天皇が始めた、という現在の定説に至るまでの研究史という点で勉強になります。

 山尾氏は有名人で去年秋もNHKの「そのとき歴史が動いた」の継体天皇の回にも出ていました。
 しかし、大山氏が
 「山尾氏の研究の特徴として次の二点を指摘できる(中略)木簡を無視し、前期難波宮の遺構さえ孝徳朝の造営を認めず、これを天武朝のものとしていることである。学問の進歩という観点から見て、山尾氏の姿勢は完全に逆行している」
 と厳しく批判するように、旅が大嫌い、現場にはいかない、と公言することで知られている方です。

 戦後のアカデミズムでは通用したかもしれませんが、さすがに現在、机上の空論だけでは・・・。この点では、大山氏の批判に納得です。

 山尾氏を切った刀で、大山氏が切るのは、英雄天武天皇の実像です。

 これはなかなか面白いです。要注目です。

 端的にいうと天武天皇はたいしたことのない人物だったという内容です。
 「天武に偉大な簒奪者としての面影がないことは指摘しておきたい」P92
 (治世初期の天武)「五年には、新しい都を作ろうとしてもできず、土地は荒れたという」P92
 「ところが、天武朝の丁度中間にあたる天武八年(六七九)に、天皇、皇后(持統)と草壁・大津・高市ら六人の皇子たちが吉野へ行き、そこで結束を誓うといういわゆる吉野の盟約が行われた。これ以後、政治は大きく変質する」P92、
 「律令国家形成過程の中で、天武を過大に評価することは慎まなければならないのである」P93

 これは思いがけない視点でかなりしびれます。英雄を落とす、ことにかけての大山氏のアイデアは秀逸です。(イヤミでなく本当にそう思います)
 
 ただ、大山氏は、聖徳太子はなかった説であまりに杜撰で矛盾した論理展開が繰り広げられた前歴がありますので、きちんとした論文で確認したいところです。
 「吉野の誓いと天武の王権」中部大学『人文学部研究論集』第17号
 に詳述されているそうですが、果たして手に入ることがあるのやら。

恵美嘉樹の結論は?

なお、この問題についてのまとめと恵美嘉樹なりの結論を、2008年10月に出版した図説 最新日本古代史にて記載しています。ぜひご一読ください。

図説 最新日本古代史

図説 最新日本古代史

第4章 飛翔するアスカの「女帝の誕生と聖徳太子」で、聖徳太子はいなかったのかどうかその業績をチェック。
そして、第5章 そして日本への「大化の改新の真実」では、大化の改新の隠された黒幕を、さらに「古代最後の内乱、壬申の乱」では、天武天皇の虚像とベールをはがし、ある万葉集の有名な歌の新解釈も提示しました。