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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

『看護婦の歴史』書評を寄稿しました

書評

bushoojapan.com

新刊の『看護婦の歴史』の書評を武将ジャパンに寄稿しました。

 

看護婦の歴史: 寄り添う専門職の誕生

看護婦の歴史: 寄り添う専門職の誕生

 

 

古事記はなぜ出雲神話を隠蔽したのか?【オオクニヌシ 最強の日本の神様エントリーNo4】

神話 神社

オオクニヌシ 臥薪嘗胆で地上初の支配者となった苦労人 

最強の日本の神様のエントリーNo4です。

応援コメントは

コメントいただいた分はこれで一応終了ですが、ゆっくりほかの神様の分も続けていきます。

古事記を読むと、オオクニヌシのスター性に衝撃を受けるよね。イザナギとかってジョジョでいうジョナサンで、オオクニヌシでついに承太郎出てきた感がある。

我が故郷の氷川神社は出雲の流れをくむのでやはりオオクニヌシは贔屓してしまうな

の、お二人さまがあげてくれたオオクニヌシ(大国主)です。

 

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いくつもの名前を持つ男


 天の世界でアマテラス(天照)とスサノオ(須佐之男)の姉弟が争い、やぶれたスサノオが出雲に降臨してから長い時間がたち、ようやく地上に「王」が誕生します。

 最初に地上世界を支配したのは、アマテラスの子孫ではなく、スサノオから数えて6代目のオオクニヌシでした。
 オオクニヌシは出雲大社にまつられる偉大な神で、日本神話の中でも特に知名度が高いでしょう。兄たちのいじめなど数々の困難を乗り越えて成り上がっていく物語には、読む人を奮い立たせる力があるとともに、たくさんの古代史の謎を解き明かす鍵がちりばめられているのです。

 オオクニヌシには、オオナムヂ、ヤチホコ、アシハラシコノオなどたくさんの別名があります。成り上がるたびに名前が増えていくのですが、名前をたくさんもっている神ということは、それだけ力が強いことも意味します。

 日本人が子供の頃の名前を後生大事に使い続けるようになったのは明治の文明開化からと比較的新しいのです。室町時代や江戸時代から続く能、狂言、落語など古典芸能で頻繁に行われる襲名の原点は、オオクニヌシら神話の時代にまでさかのぼれるといえます。

 さて、出雲神話の舞台は日本海側の山陰地方であることはいうまでもありません。では、いつの時代の歴史が反映されているのでしょうか。

 歴史研究家は本来、神話と歴史的事実を結びつけることに極めて慎重です。しかし、出雲については、これまでの定説を覆すような弥生時代の遺跡の発見が相次いでおり、そのため、出雲神話には弥生時代や古墳時代などの史実が反映されていると考える意見が専門家からも多いのです。

 

日本書紀はなぜ出雲神話を「隠した」?

 出雲最大の謎は、オオクニヌシの天下統一までのプロセスについて、『古事記』では詳述されているのに、ヤマト公認の歴史書である『日本書紀』は一切触れられていないことです。

 ヤマト王権の支配の正統性を主張することが『日本書紀』の目的だったから、ヤマトよりも先に日本を統一した英雄が地方にいたことを、公式の歴史として盛り込みたくなかったためと考えられています。

 『日本書紀』が必死に隠蔽工作を行った一方で、記紀以上に地元の「言い分」が盛り込まれている歴史書も残っています。
 712年にできた『古事記』から約20年後の733年に完成した『出雲国風土記』です。この中でオオクニヌシは「天(あめ)の下つくりましし大神オホナモチ」と、天下統一をした神との称号を与えられています。
 日本初の天下人(神)だったオオクニヌシの道のりは、後世の天下人である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らと同様、苦難の道でした。

オオクニヌシの兄弟たちはライバルの小国家?


 オオクニヌシにはたくさんの兄弟神がいた。その数、八十柱と『古事記』は伝える。
 「八十」は実数ではなく「非常に多い」ことを意味する場合が多いですが、弥生時代の日本の姿も近い数字のクニがあったようです。
 この兄弟神はオオクニヌシが戦わねばならなかったクニたちを現しています。中国の歴史書『漢書地理志』では、邪馬台国より前の日本(倭)について「倭人の国は百余国あった」と明記しています。考古学からも現代の市や県規模の領域をもつクニが多数あったことがわかっています。

試験官・白ウサギの難問を突破

 オオクニヌシと兄弟神は、因幡(出雲の国の東、鳥取県東部)の美女ヤガミ姫に求婚するために旅立ちます。このとき、オオクニヌシだけが兄弟の間で差別されており、荷物持ちにさせられていました。この後もオオクニヌシVS.そのほかの兄弟という構図が続くのですが、彼の実力を妬んだのか大勢で「いじめ」ていたのです。

 手ぶらで先を行く兄弟神は、海辺の岬で皮をはがされ赤い肌がむき出しになって倒れているウサギを見つけました。神々は「海で塩水につかってから、風の当たる場所で休むといいぞ」と嘘の忠告を与えました。少しでも苦しみを軽くしようとウサギはこの妄言を真に受けてしまうのです。

 当然ながら、乾燥した塩分はむき出しの肌をさらに傷めてしまいます。悶絶しそうなウサギを、あとから大きな荷物を背負ってやってきたオオクニヌシが見つけると、真水で体を洗い、薬草を塗るよう正しく指示します。するとウサギは回復し、もとの白い毛が生えてきました。

 ウサギはお礼に「先にいった神々はヤガミ姫を手に入れることはできないでしょう。選ばれるのはあなたです」と予言をしました。

 実際には予言ではなく、結論でした。このウサギも実は神であり、だれが姫の夫にふさわしいかを試す試験官の役割をもっていたというわけです。

 かくしてヤガミ姫は兄弟神に対して「私はあなたたちとは結婚しません。私にふさわしいのはオオクニヌシ様です」と一蹴。屈辱を受けた兄弟神はあわてて引き返し、遅れてやってきたオオクニヌシをヤガミ姫に会わせないように山へと拉致しました。

 そして、「この山には真っ赤な猪がいる。俺たちが山の上からイノシシを追うから、お前は下で受け止めるんだぞ」と命じるのです。

 兄弟神は猪に似た巨石を用意すると、それをカンカンに熱して灼熱で真っ赤にすると、オオクニヌシめがけて突き落としました。焼けた石はオオクニヌシを直撃、その命を奪いました。

木の国(吉備)へ脱出


 しかし、オオクニヌシは母の祈りで蘇生します。しかし、兄弟神はすかさず生き返ったオオクニヌシを木の間にはさみ殺してしまいます。そしてまた母の祈りで、再び命を取り戻すということを繰り返しました。

 あまりに兄弟神の嫉妬が激しいため、オオクニヌシは木の国へと脱出します。木の国は、古墳時代まで「キ(木)の国」と呼ばれていた近畿地方の紀伊国(和歌山県)との説が有力です。しかし、この神話がなんらかの史実を反映しているという前提で考えれば、出雲と紀伊ではあまりに離れすぎています。

 出雲の近辺で「木の国」の候補をあげれば、音の近い瀬戸内海側の吉備(岡山県)があげられます。

 中国山地は標高が低いので、南北の往来は比較的楽です。さらに弥生時代後期、出雲と吉備の一部で土器の様式などが共通していたことも考古学の成果で最近になってわかってきました。
 山陰と山陽で人の行き来があったことはまちがいなく、同盟関係が結ばれていた可能性も十分にあるでしょう。

 神話に話を戻します。
 木の国の神、オオヤヒコにかくまわれたオオクニヌシを、兄弟神はさらに追いかけてきました。オオヤヒコはオオクニヌシを巨木の洞に隠しました。

ご先祖、スサノオとの出会い

 実はこの洞は、黄泉の国と並ぶ異界「根(ね)の堅洲(かたす)の国(根の国)」につながるトンネルでした。根の国は時空を超えた異界です。なにしろ、ここを支配しているのが、6代前の先祖であるスサノオだったのですから。

 6代も前となると、お互いに先祖、子孫という感覚もなかったのでしょう。オオクニヌシはスサノオの娘、スセリ姫と結ばれることになります。

 しかし、舅(しゅうと)となったスサノオは婿と認めず、蛇の部屋に押し込めたり、草原に置いて周りから火を付けたりと、かつてアマテラスを難儀させたことを思い出させる暴れぶりで、何度もオオクニヌシを窮地に追い込みました。

三種の神宝で天下統一


 スセリ姫の助けで危機をなんとか乗り越えたオオクニヌシは、寝ているスサノオの髪を建物の柱に縛り付けました。そして、スサノオの三種の神宝、太刀と弓と琴を奪うと、妻を背負い根の国を脱出しました。

 スサノオは追うのをあきらめ、「その太刀と弓で兄弟たちを倒し、葦原中津国(あしはらなかつくに)(地上世界)を統治せよ」と、ようやく婿にエールをおくったのでした。

 地上世界に戻ったオオクニヌシはスサノオの武器で次々と兄弟を倒しました。こうして、地上世界は初めてひとりの神によって統一されたのです。

 考古学的には、3~4世紀のヤマト王権よりも前に列島を統一した勢力があった証拠はありません。弥生時代の各地の有力な勢力はせいぜい今の県か市レベルの支配域しかもっていませんでした。

 しかし出雲だけは例外で、ヤマトよりもはるかに早い1~2世紀頃、富山県を東端とする日本海沿岸のかなり広範囲に、ヒトデのような形をした「四隅突出型墳丘墓(しすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)」という出雲文化を広げていたことが考古学からわかっています。

 実際、オオクニヌシが結婚した女性の出身地を見ると、西は玄界灘の孤島・沖ノ島の宗像大社沖津宮(おきつみや)にまつられるタギツ姫(福岡県)、東は新潟県のヌナカワ姫までと、考古学上で確認される出雲の勢力圏とかなり重なっています。

 「日本海側だけでは到底、天下を統一したとはいえない」と、弥生時代の出雲を軽く見る人もいるかもしれません。しかし、ヤマト以前の日本で、これほど広範囲に独自の墓文化を広めたケースはほかになかったことも事実。

 ヤマト王権は、前方後円墳という共通の形をした墓を広めることで全国支配を行ったことから「前方後円墳国家」と呼ぶ研究者もいるくらいです。
 その先駆者である出雲、つまりオオクニヌシが『古事記』で「はじめて国を作った神」と紹介されたのは、こうした偉業があったからといえます。

 オオクニヌシはまさしく日本初の「天下人」なのでした。

オオクニヌシをまつる主な神社

出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東 電話:0853・53・3100

弥生時代までは大社や斐伊川がある西部が出雲の中心でしたが、実は古墳時代においては東部(松江市周辺)のほうに国府が置かれ発展していました。オオクニヌシら神話の神々は一体どちらを拠点としていたのでしょうか。

 

 

日本の神様と神社 神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

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出雲と大和――古代国家の原像をたずねて (岩波新書)

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ツキノワグマの子殺しと仮面イクメン

1月15日(日)夜のNHKスペシャル | 森の王者 ツキノワグマ~母と子の知られざる物語~を見ました。

なんとなく見てたのですが、途中で残酷な自然の「性」を目の当たりにして、希望そして絶望を味わいました。

 

オスの“子殺し”という研究者さえ知らなかった驚きの生態まで記録されている。

というエピソードです。

 

 クマの雄はメスと交尾したいがために、メスが育てている幼いコグマをころすのです。

 もうビックリしました。

 必死に止めようとして自分より大きなカラダの雄に立ち向かうメスの次郎(なぜか名前が次郎)

 しかし、そのかいなく、無残にも雄に命をたたれる2匹のコグマ。

 そのあと、オスは次郎と交尾するのです。

 次郎は母としての悲しさでもちろんうなだれるのですが、ここからが切ない。生物として生殖、繁殖という定められたスイッチに従って子がなくなることで、この我が子をころしたオスと交尾するためにその性のはけ口を受け入れるのです。生き物としての悲しさ、やるせなさったらありません。

 しかし、そんな悲しみをのりこえて、翌年の春、次郎は2匹のコグマとともに春を迎えるのです。いやー感動しました。直後に落石があたって子グマが転落したけど、無事だったときには涙出そうになりました。

 しかししかし、そんな希望と感動も一瞬で奪い去られます。

 なんということでしょうか、次郎は2年続けて、別のオスに我が子を2匹ともまたも奪われるのです。

 うなだれた次郎。そこにオスが近づいてきます。交尾を求める仕草をするオス。マタギじゃなくても、火縄銃もって今から群馬にいってうちころしたいという思いに駆り立てられましたよ。

 次郎はまた立ち上がります。オスの求めに応じて森の中へと入っていくのです。カラダがもうクマというよりもたぬきくらい小さくなったようになりながら。。。

 この精神的なショックで次郎は死んでしまうのではないか、クマを追い続けてきた動物カメラマンさんは心配します。カメラマンと視聴者の願い虚しく、2016年の冬眠まで次郎の行方は結局わからなくないまま冬をむかえました。

 人間ならみずから命をたつのではないかと思ってしまうほど、悲惨な結末で番組は終わりましたが、2017年春に、それでもしぶとく生命の強さを次郎が見せてくれるのか、わずかな希望を抱くことしかわたしはできませんでした。

映画「セブン」なみの後味の悪さ。ノンフィクションだからなおさらです。

セブン [DVD]

 

 

 たまたま、その後、読んだブログが下の記事でした。

www.stellacafe7.com

 

 よくある(と言ったら失礼ですね、すみません)育児と父親のダメンズぶりを紹介する内容なのですが、ふつうなら「あるある」と笑ってすませるところですが、

 あの番組をみたあとだったので、ブログに書かれていた以下のような「江戸しぐさ」ならぬ「父親しぐさ」。

第9位子どもみたいに構って欲しがる

第7位 「子供泣いてるよ?」「部屋が汚いね」など他人事なセリフ

第1位 子どもの世話よりもスマホゲームに夢中

 こういったことが多くの父親というものにつきまとうのか、かねてから疑問だったのですが、「もしかしてDNA的な、クマ的な、もうどうしようもないくらい原始的な性(さが)なの?」と思ってしまいました。

 根拠はないですよ。感じただけです。

 ただ、いろいろ思い浮かぶのです。

 何年か前に、自衛隊で単身赴任中の父親が、家に帰ったら家族がいまいち相手にしてくれなくて、なんと家を放火。家族全員をしなせるという事件がありましたよね。

 帰るときに妻が見送りをしなかったから、が理由と報じられました。

杵築市放火殺人事件 - Enpedia

 そして、最近では某カリスママンガ編集者容疑者のお話。本人が容疑を否定しているそうなので容疑についてはわかりませんが、

www.zakzak.co.jp

 

 3人目の子供の誕生をきっかけに育児休暇を取った。2012年7月の朝日新聞のコラムでその頃を振り返り、こう記している。

 「その感想は、『主婦ってこんなに大変なの!?』の一言。やってもやっても仕事が途切れない(中略)それでいて誰にも評価されない、誰からも褒められない。子どもたちに始終、囲まれているはずなのに孤独感が心を覆う。会社に行く方が、ずっと楽だと思いました」

 

 と、育休をとったとしながら、

実は

 

 「周囲はみな、(朴容疑者を)良い父親だと思っているが、そんなことない。育休を取っても子育てに参加してくれない」

 捜査関係者によると、妻の佳菜子さんは事件前、文京区の子ども家庭支援センターに「夫に子育てをめぐって暴力を振るわれている」と相談していたという。佳菜子さんはさらに「育児と仕事を両立できないなら、仕事を辞めろといわれた」「夫は『女は家庭にいるのが幸せ』だと思っている」などと漏らしていたという。

 

 

 という仮面「育休」だったという報道もありました。

www.sankei.com

 考えてもみなかったことですが、こうやって育休を取りながら、家ではゴロゴロして、奥さんに家事を任せっぱなしという自称「イクメン」が日本にはそれなりの数が存在するのではないかと、思いぞっとしたのです。

 「わたし、妻や子のために育休とりました。本当に母親って大変ですね。やって初めて大変さがわかりました」キラーン

 という人当たりのいいパパの中に、ツキノワグマなオス性が顔をもたげていたらホラーだなぁと思った次第です。

 世の父親さまにおかれましては、自分の中に野生があることを認識つつ、人間としての知性と理性で、真のイクメンとなり、日本を子どもたちにとってもよい社会にしていこうではありませんか。

【追記】そして今朝にはこんなニュースも。この男の顔がツキノワグマにしかみえません。

 

日本の元号の仕組みを網羅して解説している「専門書」が文庫しかないという件

書評 買った本

敬意を持ってあえて「専門書」と呼ばせていただきますが、この本です。

 

日本の元号 (新人物往来社文庫)

日本の元号 (新人物往来社文庫)

 

 平成30年で、平成が終わって、平成31年(仮)1月1日から新しい元号になるそうです。

武将ジャパンさんから「元号についての記事を書いて」と言われまして

「歴史に携わるものなら誰でも知っている元号なのだから当然、色々な概説や研究の本があるだろう」

と安易に考えていましたが、これが意外と、というかほとんどないのです。

そこで、冒頭の文庫になります。

歴史と元号研究会なんて、よく文庫書き下ろしで編集プロダクションが企画を受けて、その本用の筆者として架空を研究会を立ち上げる、という現象は、みなさんもよく見ていると思います。

わたしもそんな思いで、たいした期待もせずに、

「うしろの参考文献だけでも参考にできればいいかな」

と舐めていましたが、

これ良本です!

文庫書き下ろし(Byなんとか研究会)を「よい本」とか言うのは、なんだかバカにされそうで怖いのですし、まだ冒頭の25ページしか読んでないのですが、

おもしろいんだもん!

例えば、元号が法的に定まったのっていつだと思います?

明治憲法?

戦前のなんちゃら法?

 

答えは、元号法。

びっくりなのがその成立された年。

なんと、昭和54年(1979年)6月12日の公布、即日施行!

わりと最近じゃないですか!

 

それ以前は旧皇室典範にもとづいていて、これは現在の皇室典範と違って法律ではなく、天皇家の家憲。極端な話、親父が決めちゃう我が家ルールだったんですね。

戦後になって、1946年(昭和21年)1月には、憲政の父とよばれる尾崎行雄が衆院議長に対して「もう元号やめましょう」と提案する意見書を出します。

それはありえるでしょう、戦後すぐですから。

では、それに変わる「元号的ななにか」へのアイデアがスゴい。

西暦一本とかでなく

「戦後」

ですよ。

よく新聞ででる戦後75年とかが、元号的に永久に使われることを求めたんだそうです。1946年が「戦後元年」だそうです。

おいおい、って今ならおもっちゃいますけどね。

元号とは言わずもがなですが、中国がオリジンです。

中国がやっていたものを日本をはじめ取り入れたのですが、今世界中で元号を使っているのは、日本とどこだと思いますか?

答えは、日本だけ

今回の「平成終了」で、もう次の元号はやめて西暦だけでいいんじゃないのという意見が散見されますが、それって、「ひらながやめてローマ字にしよう」と同じような文化と伝統の破壊になると思います。

 

ですので、わたしも、読んだ人が「元号のある日本っていいなぁ」と思ってもらえるような記事を書きたいと決意した次第です。

平成30年までには書き上げますので、首を長くしてお待ちください。

待てない人は、この本を買って読んでください。

 

日本の元号 (新人物往来社文庫)

日本の元号 (新人物往来社文庫)

 

 なお、この編プロさんは「ザ・ライトスタッフオフィス」で、主宰するのは河野浩一さんという方だそうです。

the-rightstuff.com

下にいくつか貼り付けましたが、ビジネスからスポーツまで様々なノンフィクションを手がけているようです。優秀な方なのでしょう。

歴史の専門でないからこそ、と思ったのは、

昭和の元号が決まるときに、毎日新聞(当時は東京日日新聞)が次の元号は「光文」と誤報するのですが、この本では、その逸話と合わせて、

なお毎日新聞は、1989年の昭和から平成への改元のおり、同年1月7日の夕刊3版で、他紙に先駆けて「平成」という新元号を掲載、雪辱を果たしている。(25ページ)

なんていう下りは、歴史研究家ではでない、ノンフィクションライターならではの発想だと感動しました。

このエントリーの冒頭の「なんで専門書がないのか」という疑問については、同じように理由がわかりました。古代から中世、近世、近代、現代まで網羅できる歴史家なんて存在しないからです。

末尾の参考資料は以下の通りでした。

『歴史読本』2008年1月号[特集 日本の年号](新人物往来社)

『国史大辞典』(吉川弘文館)

『日本国語大辞典』(小学館)

『大辞泉』(小学館)

『山川 日本史総合図録』(山川出版社)

『もういちど読む山川日本史』(山川出版社)

『詳説 日本史図録』(山川出版社)

 

これだけ! うーん、これらしか参考にしてないとすると、近現代編以降の歴史時代の話はあんまりおもしろくないのかもしれないですね。(この本は平成から大化へとさかのぼっていきます)

 

エンジン屋たちのDNA―ゴーン改革を支える日産・技師長大城義孝と技術者たちの挑戦

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起業の「勝ち組」―30代ふたりで証券会社をつくった (小学館文庫)

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不屈のゴールハンター 城彰二

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日本初の神様「天御中主大神」(アメノミナカヌシ)は地球創生の物語?【日本最強神様選手権エントリーNo3】

人類以前 神社 神話

日本最強の神は誰か?
つづきましては、

id:hesocha さん「現れるなり隠れる超絶照れ屋「天御中主神」は名前だけは強そう」

とのコメントにお答えしたところですが、コメントにあるように天御中主神(アメノミナカヌシ)はほとんどエピソードなし。

しかし、古事記ではもっとも早く登場する神様なのです。

三浦佑之さんの「口語訳古事記」から引用させていただきますと

天と地がはじめて姿を見せた。その時にの、高天の原に成り出た神の御名(みな)は、アメノミナカヌシじゃ。次にタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出たのじゃ。この三柱のお方はみな独り神での、いつのまにやら、その身を隠してしまわれた。

漢字にするとこのようになります。

天御中主神(1)

高御産巣日神(2)

神産巣日神(3)

独り神というのは、このあとのイザナギ・イザナミのように男女にわかれる前の状態の神様です。結婚相手がいないので、うまれてもただ消えていくのみです。

その後も名前だけの神様がわいてでます。「湧いて」というのは失礼ですが、そうした登場と消滅を繰り返すのです。

泥から生まれたウマシアシカビヒコヂ(4)

天で生まれたアメニトコタチ(5)

ここまでの5柱を「別天つ神(ことあまつがみ)」と古事記は呼びます。

続いて、

クニノトコタチ(6)、トヨクモノ(7)

ここまでが独り神です。

そしてとうとう男女の神が登場します。

ウヒヂニ・スヒヂニ(8)は、兄と妹です。

ツノグヒ・イクグヒ(9)、これも兄と妹(以下同文)

オホトノヂ・オホトノベ(10)

オモダル・アヤカシコネ(11)

そしてそしてついに生まれますのが我らがカップル!

イザナギ・イザナミ(12)です。

兄と妹をひとまとめにするのか!と、シスコンサイドからはおしかりを受けそうですが、古事記がそうカウントしているのでお許しください。

古事記では、さきの5柱を「別天つ神」そして、クニノトコタチ(6)からイザナギ・イザナミ(12)までを、カップルは一つとして数えて「神世七代」(かみよななよ)と呼んでいるのです。

古事記の世界観のすごさは、人間的な物語がはじまる以前のこの部分かもしれません。

ビッグバン前を思わせるようななにもない世界からビッグバン、太陽系、地球が生まれる様子を表現する、別天つ神。

地球が冷えて海や地面が生まれていく様子を表現するクニノトコタチ(国之常立神)や豊雲野神。

そして性別のない単細胞生物がうまれ、性別のある恐竜(ウヒヂニ兄妹あたり?)や哺乳類(オホトノヂ兄妹あたり?)へと進化していき、イザナギ・イザナミという人間(もしかしたら類人猿くらいの年代?)が登場するという、科学的な生物の進化を表現している(ようにもみえる)のです。

 

 

 

口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫)

口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫)

 

 

日本の神様と神社-神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

日本の神様と神社-神話と歴史の謎を解く (講談社+α文庫)

 

 

 

坂本龍馬が「新国家」と言ったという新出史料は怪しいと思う

幕末 歴史ニュースアラカルト

坂本龍馬の新しい書状が見つかったそうです。

この手の来歴のわからないものについては、とりあえず「怪しい」と思うのが、歴史にたずさわるものの流儀だと思うので言っておきます。(というか、偽物の話が大好き)

大政奉還から150年という年に合わせて、見つかるというタイミングもさることながら、

高知県がなぜ龍馬についての資料の悉皆調査を研究者でなく、企画会社に頼むのか。

そして企画会社はなぜ見つけた資料を自分が購入してしまうのか。

意味がわかりません。

過去の人の文字に似せて毛筆で書くことは、ある程度の技量の持ち主ならば可能です。

それを見破るのは、歴史家ではなく、本来は書道家です。

歴史家は書の専門家ではないので、過去のその人の真筆といわれるものとを見比べて大きな矛盾がなければ「真」とするしかないと思います。

でも、書の世界では違います。

書の世界は、先人の筆跡を真似して書くのがスタンダードな技術だから、似ていて当たり前、似ているから真筆とはしません。

「国家(こっか)」って幕末にもう流通していたの?

ここから先は全くのフィクションです。

下のニュースを見て、もしもこの書状を最近書いちゃった人がいたとしたら

「あちゃー」と思っているかもしれません。

「新国家」って単語はもしかして幕末にはない「オーパーツだった?」とドキドキ。

「国家」という単語は、幕末においては「日本国」とか「アメリカ国」とかいう意味ではなく「くにけ」と読んで「地方から江戸に出てきた武家。国衆。国武士」(日本国語大辞典より)という使い方をしていたんだと思うんですよね。

もっとも、未来が見えるスーパー維新の戦士坂本龍馬さまですから、福沢諭吉がどんどん英語の概念を日本語化するより早く、考えついていたってことも当然ありますね、うん。いやむしろ英語を独学で学んだ福沢諭吉は坂本龍馬さまから英語を教えてもらった可能性だってありますわね(棒読み)

3年前に見つかった書状の続編です!って映画かっ!

また、なによりひっかかるのが、今回の書状では、3年前にNHKのバラエティ番組で偶然みつかった新出の龍馬の書状に出てくる登場人物が「主役級」となっているからです。

それまで、龍馬と福井藩士の三岡八郎の関係はあまり脚光を浴びていなかったのが、今回は突如、クローズアップされていて、前回見つかった書状の「続編」とでもいうべき内容です。

この3年間に見つかった2通の手紙が、1通目の続きである、と。

そんな都合のよい展開を、歴史に関わっている人間は容易には認めないというだけのことです。

なんたるへそ曲がりでしょう。

 

「◯◯の変は△△の陰謀だった」とかの本でベストセラーを書きたいんです、本当は!(笑)

紙が新しいって?地中に埋めてなかったからだYo?

 

 ふつうは著名人の手紙は遺族が持っているとでもない限り、封書の中に入ったままなんてことはないです。

 では、今回の書状がなぜ不自然にも封書に入っているかというと、理由は簡単です。紙がピカピカで新しいからです。

 贋作作りのプロは、何年も地中になにも書いていない和紙を埋めてタイムマシーン状態にして「ふるっぽい」紙をたくさん用意しておくものです。

 「新国家」というナウでヤングな響きの言葉の使い方やきれいな真っ白な紙に書いていることなど、わたしのようなものにでも突っ込まれるのは、本当のプロフェッショナルの仕事ではないかもしれません。

 つまり本物ということですね、うん!(←日和ってみた)

西郷隆盛についての書状は来年発見されます

 

ただですね、古書店では、都合のよいタイミングで売り出されることはよくあります。それは、古書店がワインのように寝かせているからです。

来年の大河ドラマは西郷ドンですか。そうですか。

 

えっ?あれも偽物なのかも?
って驚きたい人はこちらの本がオススメです。

 

金印偽造事件?「漢委奴國王」のまぼろし

金印偽造事件?「漢委奴國王」のまぼろし

 

 内容については過去記事をご参照ください。

emiyosiki.hatenablog.com

 

www3.nhk.or.jp

この書状は、高知県から調査を依頼された企画会社が明治維新関連の資料について精査をする中で、コレクターから購入したということです。

大政奉還からことしで150年になることなどに合わせて、高知県内では3月から「志国高知 幕末維新博」が開かれる予定で、県は会場に展示する新資料を探していました。

コレクタ-が書状を入手したいきさつについて、企画会社は「個人情報や入手経路を一切言わないという条件で購入した」として明らかにしていません。

(略)

書状は折り畳まれ、封紙に包まれた状態で残されていました。封紙には、龍馬の変名である才谷楳太郎という名前が書かれているほか、「坂本先生の遭難直前の書状で、他見をはばかる」という内容の朱書きのある付箋がついていたということです。

 

【日本最強神様選手権エントリーNo2】存在を否定された日本女性史上最強のオトコ神功皇后オキナガタラシ姫

神話 神社

ヤマトタケルにつづいては、

id:kangiren さんオススメ2人目の神功皇后です。

男の娘なヤマトタケルか戦闘美熟女神功皇后の2トップだと思う。

 

影の薄い夫の天皇から主役を奪った皇后

 ヤマトタケルは日本列島のかなりの部分を従わせましたが、遣り残した仕事は次の世代に託されました。それはヤマトの威光を海外にまで広げることでした。
 天皇になれずに客死したヤマトタケルだが、遺児は即位して第14代の仲哀天皇となります。しかし、この仲哀天皇時代の事実上の主人公は、妻の神功皇后(オキナガタラシ姫)です。西暦400年頃の人物とされています。

 父のヤマトタケルによって一度は服従させた南九州のクマソ(熊襲)が再び反乱したため、仲哀天皇は自ら赴き、陣頭に立ちました。遠征中に、妻の神功皇后が神懸かり、「西方にある新羅国(朝鮮半島東部)を征討せよ」という神のお告げを受けました。しかし、仲哀はこの神託を無視しました。


 朝鮮半島との間では、人や文化が絶えず往来していましたが、神話でも歴史上でも日本から半島へと軍勢で攻め入った例はそれ以前にはありません。仲哀が「荒唐無稽(むけい)」と判断したのも理解できます。


 だが、仲哀には神罰が下りました。真っ暗の部屋で仲哀が響かせていた琴の音が突然すっとやむという異変に、あわてて明かりがつけられましたが、仲哀はすでに息絶えていました。父のヤマトタケルがそうだったように、子の仲哀もまた神の怒りを買ってしまった、ということです。

 表舞台からあっけなく退場した仲哀の後を引き継いだのは、神功皇后です。神のお告げに従い、おなかに子を宿しながらも朝鮮半島にわたるという過激な行動にうつします。

政教分離だった古代の日本の「まつりごと」


 古代の政治は男女ペアが基本でした。倭国の女王・卑弥呼と男弟、ヤマトトトヒモモソ姫と崇神天皇など。祭祀を女性が、政治は男性といった分権体制だったとみられます。
 今でも日本語で「まつりごと」は、「祀り」でもあり、「政(まつりごと)」でもあるように、両者は表裏一体。神功皇后は即位こそしませんでしたが、裏方で祭祀を支えた経験ある皇后が、夫の亡き後に天皇となったケースは、飛鳥時代から奈良時代にかけて頻発しています。

住吉神社は朝鮮進出の足跡

 神功皇后の朝鮮出兵の様子を物語るのが『日本書紀』にも登場する住吉の神です。
 神功皇后は、朝鮮へ向かう途中の関門海峡の中国地方側(山口県)で、「住吉の神の魂が御身と船を守るだろう」というお告げを受けました。そのとおりに、海上を平穏に渡ることができたお礼の気持ちを込めて、「この場所に住友の神の荒魂(あらたま)をまつりなさい」と長門国一の宮の住吉神社を建てたと伝わります。

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By ChiefHira - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

 

 神は平和をもたらす和魂と、勇猛果敢に活動する荒魂の二つの魂(性質)をもつと考えられていました。長門の住吉神社に、荒魂が鎮められたのは、普段の航海の神としてではなく、戦争にかかわる御利益を期待した結果からでしょう。

 1370年に建てられた現在の社殿(国宝)は、一般的な神社同様に南を向いているにもかかわらず、かつては入り江が西から入り込んでいた地形から古代には西に面していたのではないか、という説があります。

 西は出兵先の朝鮮半島があります。まさしく神功皇后が見据えた方向というわけです。
 境内には「船楠(ふねくす)」という巨樹があります。古代の船の材料はクスノキ(楠)や杉でしたから、神功皇后の水軍がこの地の木材で船を造ったと想像したくなります。

 住吉の神とは海を守るウワツツノオ(表)、ナカツツノオ(中)、ソコツツノオ(底)の三柱の兄弟神です。「ツツノオ」という名の由来は、諸説あるが、「津ツ之男」つまり津(港)を守る男という説が魅力的です。

現れた神功皇后の侵攻ルート

 この住吉三神や神功皇后をまつる住吉信仰の神社は全国に2000社あるといわれ、海辺に鎮座することが多いのです。
 数ある住吉神社のなかから、平安時代の法律書『延喜式(えんぎしき)』に載る住吉神社の所在地を手がかりに、神功皇后の通り道を復元してみましょう。

 『延喜式』には「神名帳」という神社名簿がある。いわば「神社ランキング表」で、このランクに応じて国家からの手当が配当されます。

 神名帳に載る住吉神社六社(大阪府、兵庫県、山口県、福岡県、長崎県・壱岐、同県・対馬)を地図上に点でおとし、それを線で結んでみるとどうなるでしょうか。

 ヤマトの主要港だった大阪の住吉から瀬戸内海、壱岐、対馬を経由して朝鮮半島に向かう神功皇后のたどった「海の道」が現れるのです。兵庫県の一社をのぞいて、すべてが最高ランクの「名神大社」に指定されているのも、神功皇后の足跡がいかに重要とされてきたのかがわかります。

存在を否定された神功皇后

 ところが、実は歴史学においては、神功皇后は実在せず、日本による朝鮮出兵(三韓征伐)は歴史的事実ではないとする考えが、むしろ定説に近いのです。
 これは戦後に定着した説で、明治時代以降の日本が朝鮮半島を植民地にした反省から生まれています。
 「近代日本が朝鮮を支配したのは悪いこと」と、「古代の日本が朝鮮へ出兵した」ことは無関係なはずですが、この「神功皇后はなかった」説を覆すのは学問的にはなかなか難しいのです。「ない」ことを証明することは不可能だからです。

 しかし、日本側の資料ではなく、朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)に残る石碑「好太王碑文」では、はっきりと391年にヤマトが半島へ進出して高句麗と戦ったと記しています。

 当時の日本人は行ったと言い、朝鮮の人たちも来たと言っている。神功皇后の伝承は、歴史的な事実が背景にあったと考えるのが自然でしょう。

神功皇后を祀る主な神社

住吉神社 住所:山口県下関市一の宮住吉 電話:083・256・2656

海の神といえば住吉三兄弟と宗像三姉妹。平安末期の源平合戦では、海の神も参戦したようです。平清盛が厳島神社(祭神は宗像神)を造営したのに対して、源氏には住吉系神社がついたらしく、山口の住吉神社にほど近い壇ノ浦で決着がつきました。

 

 

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