歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

学会発表はおもろいで

本日は、歴史も権威もたっぷりな東京大学の史学会という学会に行ってまいりました。

 史学会とはなんぞや?と思う方はこちら→http://wwwsoc.nii.ac.jp/hsj/

若手研究者からベテランまで、まさに学問の「旬」がわかるのが学会発表。
発表後の質疑応答もなかなかスリリングです。

「論理はわかるが、全体の構成がどうだろう?」「そもそも、前提がちがうのでは」などと、ほぼ全否定とも取れるコメントもかわされ、聞いてるほうもはらはらです。

そんななか、「親近感」というなか、「現代でもイメージできそうな」興味深い発表がありました。
藤本強さんという方の「日本古代の「堂」と法会」という発表です。なんだかマニアックそうですが、これがなかなか。


藤本さんの発表では、平安時代の村落で行われた法会の様子を復元しています。

平安時代のはじめにできた「東大寺諷誦文稿」という資料に注目します。この資料は、法会で実際に語られた様子がわかるようです。この資料解釈にそって、いまから1100年前の庶民レベルの法会の様子、特に壇越(だんおつ)が法会でどのようにかかわったのかをご紹介することといたします。

壇越(だんおつ)とは、お寺を建てて、その寺を維持し経営している人のこと。その土地の有力者が多かったようです。イメージとしては町内会長のような感じでしょうか。

この研究発表で明らかにされた点は以下になります。
①壇越は男ばかりではなく、男女ペアの場合もあったこと
②壇越は孤独者、障害者を扶養していたこと
③「堂」とよばれる高い建物で法会がおこなわれ、壇越はその土地の支配者としてたたえられたこと
④壇越が「神」によって加護されることを期待していたこと

①について。古代の社会は、男の天皇、男の政治家が基本だったことから、さも男性主導というか、女性の活躍の場が少ないイメージがあるのではないでしょうか。
たしかに、貴族だったり、天皇についてはまちがいなく男性主導といえます。
しかし意外にも、「女性の社会進出は古代にもあった」という研究があります。その動向にそって考えると、「男女ペアの壇越」は、庶民レベルでは以外に「女性は強かった」ことを考えるのに面白い素材といえるかもしれません。

②について。
孤独者とは身寄りのない人をいいます。「壇越は孤独者、障害者を扶養していた」といいますと、「いいやつじゃん」となってしまいそうですが、必ずしもそんな単純ではなさそうです。古代ではこうした「弱者」は「強者」の人徳にすがり、それにこたえるという「政治理念」があったようです。だから必ずしも実態を表しているとはいいにくいのです。

③について。
これも②にかかわる指摘ですね。要するに、「壇越様はすごいだろう」と自画自賛というか、高みの見物をしているわけですね。なんか、壇越がだんだんとやなやつに思えてきました。

④について。
アカデミックに考えれば、この点から神仏習合の様子がわかるとも指摘しています。
しかし言っていることは「私は神によって守られるべきものだ」。ここまでくると、壇越さん、いい加減にせい!という感じでしょうか。

この史料に書かれているのは法会で語られている内容。のはずでしたが、ふたを開けてみれば、土地の有力者の壇越にとって都合のよいことばかり。

結局、有力者は、自分のことしか考えていないんですね。
でも、なんとなく、古代の生活の一側面を垣間見た、そんな発表でした。

いったい、壇越ではないもっと下っ端の一般庶民は、どんな気持ちで法会に望んでいたのでしょうかね。そうした人の気持ちや具体的な様子は、古代の史料ではなかなか語られません。


この発表では、質疑応答では「ちゃちゃ」を入れられることはありませんでした。それだけ内容が多くの研究者に認められたのでしょう。


学会発表は口頭が基本。うっかり発言もあり、おもしろいですね。リアルです。ライブですね。