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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

歴史を学ぶのがアンチエージングの切り札

 中日新聞文化面(10月2日夕刊)に面白いインタビューが載っていました。

 現存する日本最古の医学書「医心方」全三十巻を現代語訳した『医心方全訳精解』(筑摩書房)=全三十三冊=が完結した。全訳を成し遂げた古典医史学研究家、槇佐知子さん(79)に対し、学問と社会をつなぐ業績をたたえる本年度のパピルス賞(科学技術振興記念財団)の授賞が決まった。四十年かけて難解な漢文と格闘した横さんに聞いた。(森村陽子)

医心方〈巻4〉美容篇

医心方〈巻4〉美容篇

 「医心方」は、「いしんぽう」と読みます。
 平安時代医官丹波康頼(たんばのやすより)が、日本に伝わっていた中国の医書などから医学に関する部分をまとめたもの。引用されているのは、隋唐の医学書100点以上だとか。引用したこともさることながら、当時の日本に100種の中国の専門書があったということに驚きです。もちろん、この100冊の現物なり写本が、当の中国にほとんど残っていないため、世界史的にも貴重な作品です。

 丹波康頼は、982年(天元5)にまとめあげて、清書した上で984年に天皇に奏上しましたが、ずっと長らく宮中でもその存在を秘密にされてきました。いわば禁書。

 この本が歴史に再登場するのが、なんと500年以上たった16世紀になってから。時の正親町(おおぎまち)天皇典薬頭の半井瑞策に渡したのです。

 正親町天皇? なんか聞いたことありますよね。そうです、織田信長豊臣秀吉の話になると出てくる天皇です。この天皇は、信長と秀吉の金銭的なバックアップを受けて、すっかり衰退していた皇室や公家の伝統を復活させようと尽力した人物なのです。いわば、皇室の中興の祖。医書を下賜したのも、彼の「皇室ルネサンス」の一環なわけです。

 ところが、どうも半井家はもらったものを皇族・貴族のアピールに積極的に使わなかったようで、これまた秘蔵。次ぎに出てくるのは、幕末の安政元年(1854)です。

 これまた時代の要請で、西洋化を進める幕府が基礎資料として求めたのでしょう。半井出雲守に対して、「医心方」全三十巻を提出させました。受け取った幕府の医学館が、1860年(万延元年)に刊行し、ようやく日の目を浴びました。中日新聞の記事では、「安政期に復刻本が出た」とありますが、それは厳密には誤りで正確には上記の通りです)
 現存の最古の写本は、鎌倉時代に写された「仁和寺本」で国宝です。半井家が持っていた「延慶本」はもうちょっと古い鎌倉後期(1309年写)でしたが、安政の大震災で焼失してしまいました。

以下、一部引用

 槇さんは、作家瀧井孝作に師事して小説を書いていた一九七三年、『医心方』に出合った。知人の医師が所蔵する安政本を見せてもらうと偶然、自分が患う症状が記述されていた。中国や日本の古典に原文で親しんできた経験が生き、読み解くことができた。夢中で訳し始めた。「幼いころままごとで使った植物がみんな薬だと分かり、どきどきわくわくした。最初の二十年は、訳しているうちに夜が明ける毎日。ベッドで寝た日の方が少なかった

 医学書は、心ない人に乱用されないため、漢字を崩すなど、わざと表記を難解にしてある。槇さんは字の変形の法則を見いだすためへ出てくる漢字を片っ端から書き出し、部首ごとに分類。中国の医書も取り寄せた。

 槇さんは大仕事を終え、「古代の医学は経験学の宝庫。誰も知らない秘法を解き、老子陶淵明など歴史の
巨星に随所で巡り合う時空の旅は楽しかった」と充実感を漂わせる。

 「医心方の視座から見ると、源氏物語の夕顔の病気も、紫の上が亡くなる直前に病床を移した理由も分かる。古典の新たな見方を提案したい」

 いやーすごいですね。

 なにがすごいって、79歳の槇さんの写真が載っているのですが、これがまためちゃめちゃ若いのです。50代でも別に違和感ありません。健康を追求すること、すなわち仙人=不老不死の道なのでしゅうか。

50歳を超えても30代に見える生き方 「人生100年計画」の行程表 (講談社+α新書)

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 恵美嘉樹は、東日本大震災以来、歴史は生命財産を守ることにつながると確信しています。地震の履歴は言うまでもなく、健康についても学ぶことが多そうですね。
 地元の図書館に槇さんの大著が入荷することを切に願っています。



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