歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

昔は大みそかにまいていた

2月3日は節分ですね。

節分と言えば、「鬼は外」といって豆をまくわけですが、これが意外に古いような新しいような、な風習です。

豆まきの原点は、続日本紀にあります。
706年(飛鳥時代というか藤原宮なので藤原時代?)のことです。
文武天皇の治世3年目であります。この文武天皇もほとんど知られていないですが、当時は麻生太郎安倍晋三くらいの血筋の良さで期待を集めていたお坊ちゃまです。
なにせ、天武天皇持統天皇のご子息ですから。

でも、この年は疫病がはやり、多数の人が死んだ年となっていましました。そこで初めて、追儺(ついな)という儀式を行いました。これが鬼を追い払うという儀式で、なぜか土の牛を作っています。まだ豆はでてきません。

しかも、この儀式は2月にするものではなく、12月の大みそかにするものでした。
(厳密には「十二月晦日」です。旧暦では閏月というまるまる1か月差し込む(13か月)ことがあったので、時には閏12月と12月の両方があったわけです。そんなときは12番目の月末にやったのか、13番目の月末にやったのか。どちらでしょうね)

時が流れて、室町時代室町時代飛鳥時代以来の中国ブームの世の中でした。このときの中国は明。絶頂を極めた3代将軍、足利義満が絶頂の極みの先に求めたのが、明の皇帝からありがたく頂戴する「日本国王」だったわけですから、このブームの強さがうかがい知れます。

現在に続く伝統的な豆まきとは、
年男が「福はうち。鬼は外」と唱えながら煎った大豆をまきます。
これは明の習俗だったわけです。

今の中国では、この風習は残っているのでしょうか?

ところで、「鬼は外」と呼ばない地域が日本では色々あるようです。

日本最古の神社、奈良県大神神社(おおみわじんじゃ)は、ご神体が三輪山です。そのため、「福は山」とだけ唱えるそうです。

当神社では福の神とされる御祭神の大物主神三輪山に鎮まることから、豆撒き式は、「福は山」「福は山」と唱え、鬼はでてきません。

三輪山ニュースレーダー2月号」より

また、東北はどういうわけか、「鬼は外」と素直に?いわないところが多いみたいです。

掛け声などの言い伝えは、いろいろとある。
平安時代茨木童子(いばらぎどうじ)という悪い鬼がいた。それを渡辺綱(わたなべのつな)という人が、鬼の腕を切り落として退治したと言われている。
茨木童子渡辺綱の泊母の姿を変えやってきて、騙して切り落とされた腕を取り戻し逃げた。
その言い伝えが残る宮城県の村田町あたりでは、これ以上鬼が逃げないように「鬼は内」と言って豆をまく。
また福島県二本松市では藩主が丹羽(にわ)氏であることから、「鬼は外(=お丹羽外)」ではなく『は』を抜いて「鬼外」と言って豆をまく。

花春酒造HPより
http://www.hanaharu.co.jp/k-album/2007/02.html

東北は、蝦夷が朝廷から鬼とされたから、みたいな言い伝えがありそうですね。

こうくると気になるのが、桃太郎伝説の地、岡山の備中一の宮吉備津神社ではどうなっているのでしょうか?
岡山の方、あした行って教えてください。

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