アンコール朝の王宮が王都になった!奈良の平城宮と平城京の関係で考えると分かりやすそう
報道各社によると、筑波大の下田一太助教(36)(氏の写真は筑波大HPより)がきのう(2013年6月28日)、カンボジアのアンコール遺跡群の王都「アンコール・トム」(12世紀後半〜)が、これまでに考えられていた堀に囲まれた3キロ四方よりも、さらに外側、面積にするとこれまでより4倍にまで広がると発表しました。
日本などの国際研究チームが昨年4月に、ヘリコプターに積んだレーザー装置から、木々に隠された地形を測定したところ判明しました。これは樹木に覆われている日本の前方後円墳でも最近よく行われている方法ですね。
たとえば、平城「京」というのは、平城「宮」という中心部分とそれを囲む都市住民たちのエリア(南3条とかそういうやつ)を合わせて「京=王都」となります。
今でも平城「宮」という中心部は色々と門や大極殿など復元され、当時の雰囲気がつかめる場所です。しかし、そこから一歩でると、カンボジアの密林ならぬ、現代のオフィスビルや家などのジャングルで、奈良時代の雰囲気はまったくわかりません。それでもそこはたしかに「平城京」だったのです。
今回の場合にあてはめると、これまで知られていた3キロ四方のアンコール・トムは「平城宮」。新たに見つかったエリアと合わせて「平城京」と理解しておいて、よいのではないでしょうかね。
論文は米の科学アカデミー紀要に掲載されるそうなので、そこではっきりするのでしょう。楽しみですね。
下田助教は「石造りの寺院を中心に高床式の木造家屋が多数あったとみられ、人口密度が高かった。水路やため池の水利技術は高度で、稲作が盛んだったようだ」と説明。「都市構造はインドの影響が強かったと考えられ、今後地上の調査で地区ごとの役割を明らかにしたい」と話した。
8世紀の首都も見つかった?!
さらに、この国際チームは、アンコールから約30キロ離れた場所に、8〜9世紀の古代クメール王朝の幻の首都の遺跡も見つけたと発表しています。手法は同じ方法です。
研究チームは、802年ごろに建設されたとされるクメール帝国の首都マヘンドラパルバタの遺跡とみている。碑文などで存在するとされていたが、証拠となる構造物は見つかっていなかった。
ほかにも東京やNHKも。
- http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013062902000248.html
- http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130629/k10015676201000.html
どうも、こっちのニュース(未知の遺跡発見)のほうがNHKはじめ「主たるニュース」と判断しているようです。恵美嘉樹は、いまだ幻のままの謎の遺跡よりも、同じアジアでの王都の構造が分かるほうがニュースと思ってしまうのですが、マニアすぎるのかな〜。
なんにしろ、こうした世界的な発見に日本人の研究者いるのはうれしいですね〜
下田氏がコラムを書いている本↓
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