9世紀(平安時代)の岩手県で、はじめて馬をかいた土器が見つかる!【画像あり】
北上市の八幡遺跡という村落跡から岩手県でははじめて馬を描いた土器がみつかった、このニュースはちょっと前からネットで流れていて、なんどかツイートもしているのですが、ずっと画像がありませんでした。それがようやく出ました。
奈良〜平安時代に東北を舞台にした「三十八年戦争」というのがあります。阿弖流為や坂上田村麻呂が活躍する戦いです。
東北の現地勢力の「蝦夷」は、イメージとして馬に乗っているわけです。
平泉も馬を献上するし、伊達政宗も東北の馬をいばる・・・東北といえば、馬の名産地。
でも、三内丸山遺跡の縄文人は馬に乗っていないです。
馬はもともと日本列島にはおらず、朝鮮半島から5世紀頃に渡来したと言われているので、九州から延々と人が放牧地を求めて移動してきて、「適地だ」となったのです。
古代の近畿で牧場があったのは淀川沿いで、渡来系の集落が多い場所。
関東で牧場があったのは群馬県で、渡来系の移住地。
となると、東北にも馬にともなって渡来人がだいぶ移住しているはずです。今回、馬絵土器が見つかった北上市には、江釣子古墳群(下の写真岩手県北上市 きたかみ魅力辞典 - 江釣子古墳群 (国指定史跡))という7〜8世紀の古墳があって、ここから馬具が出ています。
バリバリの蝦夷(つまるところ縄文人的であり、アイヌ的な人たち)が眠っていると思われています。
↓こんな感じ(今年放映されたNHKドラマ「アテルイ伝」。【画像】大沢たかお、古代の衣裳に身を包み「コスプレと間違われそう(笑)」 (2/5)| cinemacafe.net)
しかし、石を積む古墳のスタイルも、そして馬具も、渡来人的なんですよね。
ネトウヨ的には不満でしょうが、当時は渡来人(帰化人)のほうが、きゃりーぱみゅぱみゅくらいのオシャレ。最先端でした。
で、先日(2013年6月22日)、八幡遺跡の現地説明会が開かれました、と朝日新聞のWEBで出ていました。ようやく画像がありました。馬というより龍みたい。ぱっと見は洗礼されたというよりは、ぐいぐいとした力強さを感じさせます。うーん、縄文的。(←おいおい)
北上市のHPを見ると、平成20年以降の現地説明会の資料はPDFでアップされているとあります!
ただ、2009年でストップされていました(涙)
そこで、電凸しました。
すると、調査担当者の方がでてきてくださり、近日中にアップします!とのことでした。ありがとうございます、楽しみにしています。
【追記】
↓
更新されていました。ありがとうございます。
http://www.city.kitakami.iwate.jp/_data_p/files/p_0001290/1372724582005.PDF
で、エントリーを書きました。
【追記以上】
ついでにちょっと質問をしました。
上の朝日新聞の記事にも出ていないのですが、知りたいのはどんなところから出たか、です。
Q) 多賀城の人面絵のように川から出てきたのか?
A) 今回は住居のかまどの隣にありました。多賀城の場合は、馬の形をした土人形を水に流すこともあり、儀式に使われたものです。
しかし、今回は家の中ですので、飾っていたのか、使っていたのか分かりませんが、儀式のためではなさそうです。
とのことでした。
芸術家肌の平安時代の馬養いが、突発的に描いた「作品」だったのかなあと想像したりしてみました。
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