スサノオを祀ると水害に合わない?それとも水害にあったからスサノオを祀って移動した?
池上彰さんと、桑子敏雄・東工大リベラルアーツセンター長の日経ビジネスオンラインでの対談が興味深いです。
桑子さんは、『社会的合意形成』という授業を持っているリベラルアーツセンター長の桑子敏雄先生です。
桑子先生は、東工大で『社会的合意形成』という授業を持っていて、日本の各地で住民参加型の社会つくりを実践されています。実践型の哲学者といったところでしょうか。
池上さんとの対談の「第4回 困ったら神社を探せ」に神社それもスサノオ系の神社がある場所は、水害に合わないという話がありました。桑子:震災の後、私は、研究室の学生と東北に行き、被災地の神社を巡りました。そして、祭神、祀られている神様によって被災状況はどう違うかを調べ、論文にまとめました。これは仮説として考えていたことですが、実際調べてみるとするとびっくりする事実が判明しました。スサノオを祭った社は、どこも津波の被害を受けてないんですよ。
池上:不思議ですねえ。なぜですか。
桑子:それは、スサノオを祀るというのがどういうことなのかを考えるとわかります。スサノオは、ヤマタノオロチ伝説で有名ですが、わたしは、これを斐伊川の治水の象徴と考えています。
神社の祭神というのは、わりと頻繁に代わるものなので、現在「スサノオ系」神社というのが、すべて創建時(とくにこの文脈でイメージされるとしたら、平安時代の貞観地震津波ですよね)にまでさかのぼれるかは、簡単には言えません。
しかも、同じように神社の場所もそれ以上に頻繁にかわるので、水害後に移した場所で「二度と水害にあいませんように」という意味をこめて、祭神にスサノオを据えたということがあるんじゃないかなあ(つまり前後関係が逆では)などと想像しながら、興味深く読みました。
こうした神社と災害が話題になるのも、震災後に東北沿岸で神社の津波被害を調べたところ、平安時代から続く式内社の多くが、津波被害にあっていなかったという話があるからです。
式内社とは、延喜式という法令集に掲載された「公営」の神社のことです。
ただ「式内社の神社は津波のこないところに建てられた」と勘違いされがちですが、時系列で見るとわかるとおり、むしろ被災したから被災していない場所に移ったと考えるほうが自然です。
神社と防災のからみは、東日本大震災までほとんど無視されてきた視点です。なので、これからも文系、理系をとわず、こうした議論が盛り上がり、先人が残した知恵と努力が、われわれや子孫の命を守ることにつながって欲しいものです。