最強の古代天皇を決めようず!聖武天皇VS桓武天皇
きょうは旧暦で聖武天皇が亡くなった日です。聖武天皇は、奈良の大仏を作った人として有名です。あと正倉院の宝物の多くが彼が使っていたものやゆかりの品です。あと、鑑真招いたり。
どれも日本古代史を語るうえで欠かせません。
「聖なる武の天皇」という名前も、歴代天皇のなかでもメチャメチャかっこいい。
ところが、歴史をちょっとかじると、「おいおい、こいつ大丈夫?」という逸話がてんこ盛り。
内乱が起きると逃げ出したり。しかも、一人で逃げればいいのに、都もひっぱっていく(遷都)迷惑ぶり。それも何か所も何か所も。
でも、さらに深く調べていくと、もしかして「この人は単に弱気ではなく、実は深い意味をもって行動した大物だったのでは」と思っていくようにもなる、不思議な人です。
さてさて、偉大な帝王説と泣き虫な王様説どちらが正しいのでしょうか。少なくとも、東京都国分寺市民は、彼がいなければ国分寺がなかったのですから、西に足を向いて寝てはいけません。
もう一人の偉大な皇帝「プーチン桓武天皇」
聖武天皇は、偉大な帝王だったか微妙ですが、誰もが「皇帝」っぽさを感じるのが、平安京への遷都を決行した桓武天皇。
東北で戦争やるは、一人で2回も遷都するは、粛清ばんばんするは。
彼のお母さんは、半島系の渡来人です。
天皇陛下が「私は半島の血をひいている」という趣旨のことをおっしゃるのは、このことです。どうも、頭があちらへいっちゃっている人は「韓国から来た騎馬民族が日本列島を支配したんだと天皇も認めた」と思いこんでいる節がありますが笑
もちろん当時も、外国人の血が入った天皇は異例中の異例。
なんで、そんなことが起きたのかというと、奈良時代の皇族たちが殺し合いまくったからです。
で、「天皇になるはずないし」と渡来人のお嫁さんもらってのんびりしていたら生き残ってしまったのが、桓武天皇のお父さん。
もちろん、最初から桓武が天皇になる予定ではなく、お父さんも正妻には皇族をもらって、息子もいました。(桓武にとっての「養母」、異母兄弟)
ところが、この正妻が強烈な女性で、なにを思ったのか夫が天皇になったとたんに呪いをかけたるのです。で、ばれてしまい、正妻も息子もアボーン。
気付いたら、桓武一人荒野に立っていた、と。
こういうコンプレックスを持つ人が偉くなると、まあ色々と強権を発動するわけです。あっ、プーチンさまがコンプレックスの固まりだなんて一言も申しておりません!暗殺は勘弁
というわけで、現在連載中の「ハザードラボ」さんで、桓武天皇の遷都と災害の関係について書きました。聖武天皇の回と合わせてぜひお読みください。
これが桓武天皇
第九巻 怨霊と災害から偶然生まれた千年の都・京都 | 地震予測検証 / 防災情報 Hazard Lab【ハザードラボ】
こちらが聖武天皇
第七巻 大仏様、助けて! 悲劇の為政者・聖武天皇 | 地震予測検証 / 防災情報 Hazard Lab【ハザードラボ】
お二人のもろもろの話については拙著にたくさん書いていますのでぜひ読んでくださいませ。
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【聖武天皇エントリー】
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