歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

東大寺の大仏の足元から見つかった刀の明治時代のイラストが奇麗な剣について

 奈良の東大寺がきのう(2013年4月9日)、大仏の足元から見つかったツイン剣が 明治時代に発見されたときの模写絵が発見されたと、発表しました。
なんだかややこしいですが。

 明治40〜41年に 大仏の須弥壇から、古い剣6本を含む色々なもの(鎮壇具)が発見されました。奈良時代に大仏が作られたころに埋められたと思われますがよく分かりませんでした。

 時代は経過して平成に

 平成22年に、上野の東京国立博物館で「東大寺展」が開かれるというので、この剣をX線で見てみたら、刀身に
「陽剣」「陰剣」と書かれていたではありませんか!
とニュースになりました。

 なんで「陽剣」「陰剣」と書かれていると、大ニュースなのかというと、正倉院に残る宝物のリスト「国家珍宝帳」に、光明皇后(大仏つくった聖武天皇の奥さん)が聖武天皇愛蔵の「陽剣」「陰剣」を持ち出しましたよテヘと書かれていたからです。(おおざっぱに言うと)

 つまり、この刀は聖武天皇がたしかにもっていたものだった!ヒャッハー!と大騒ぎになったわけです。

 で、平成25年……

 お寺の図書室をさがしていたら明治に見つかったときに、その刀2本を書き写したトレース図が見つかったそうです。

それを今度は、この国宝となっている鎮壇具を、最近できた東大寺ミュージアムで、「国宝・東大寺金堂鎮壇具のすべて」が3月から9月まで行われておりまして、そこに展示しますよ、ということだそうです。(この絵の展示は5月14日〜6月9日だそうですby朝日新聞


 で、今回のニュースの重要な点は「ああ、なんか見つかってよかったね」ではなく、明治時代の出土時には、明瞭に模様が見えていたのが、今はさびだらけで肉眼で模様を確認することはできないということです。

 これは高松塚やキトラ古墳の彩色壁画の問題と同じで、いちど空気に触れると急速に劣化してしまうということなのです。
 酸化という冷酷な事実から目を背けてはいけないのです。

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北海道新聞


東大寺奈良市)は9日、明治時代に大仏足元から出土した鎮壇具20件(国宝は15件)の一部で、豪華な装飾大刀として名高い金鈿荘大刀など大刀3本の発見時の姿を描いた模写図が、同寺図書館で見つかったと発表した。

 模写図は金鈿荘大刀2本のほか、光明皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」に記された宝剣「陽宝剣」と判明した「金銀荘大刀」。

それぞれ裏表両面が色つきで描かれており、現在はさびなどで傷みのある大刀の出土時の姿を知る貴重な資料となりそうだ。

 鎮壇具は、大仏殿の修理に伴う仮設の足場建設で、須弥壇を掘った際に出土した。

朝日新聞


 奈良・東大寺の大仏の足元から出土した「東大寺金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)」(国宝)のうち、大刀(たち)3振りの原寸大の模写図が、東大寺図書館で見つかった。寺が9日発表した。明治期の発掘当時に描かれたとみられ、現在は不鮮明になっている刀の模様を確認できる貴重な資料という。

(略)
 いずれも、柄の凹凸まで色づけして描かれた写実的な日本画で、正倉院から持ち出された後、2010年に約1250年ぶりに存在が確認されるまで行方不明だった「陽寳劔(ようほうけん)」の図もあった。
 中でも、実物は模様の一部が消えてしまっている「金鈿(きんでん)荘大刀」は、金で表現されたさやの唐草文様が鮮明に描かれ、出土時の状態が分かる。東大寺総合文化センターの森本公誠総長は「模写図は保存状態がとてもよく、現物と発掘時の状態の違いを知るうえで貴重だ」と話した。

(略)
朝日新聞