震災時に岩手県が文化庁の「文化財レスキュー」のことを市町村に伝えていなかったとの報道
東日本大震災での文化財を救出する国の「文化財レスキュー事業」のことを、岩手県が、各市町村へ伝えていなかったと、きょう(2013年2月18日)の読売新聞が報じています。
県の対応の「不備」によって、津波で劣化した文化財を破棄するなどの自治体があったとしています。
ネットでは記事が流れていないようなので、記事の概略を。。。
文化庁が2011年3月30日に、「要請があればレスキュー隊を派遣する」との通知を、各県に送った。
宮城県は要請をうけて現地を本部を設置した。
岩手県は「自分でできるから」と、各市町村の要望の有無も確認せずに放置した。
ということになります。
記事では触れていませんが、福島県はあのころ、それどころではなかったので、まったく文化財レスキュー事業は動いていませんでした。つまり、大きく被災2県の対応が焦点となるわけです。
国から見ると、こうなるのでしょう。
ただ、国がどう思おうが、現地が「船頭を多くして、現地をしらない東京の人間にかきまわされるよりも、県立博物館がリーダーシップをとる」という明確な選択があったら、それはそれでありでしょう。
結果的に、失敗例として
・大船渡市で、浸水した民俗資料保管庫が数か月処理できなかった
・山田町でヘドロで汚れた古い行政文書や民俗資料が大量に破棄された
といったケースが記事には書かれてます。
4月中頃まで現地に入ることすら難しかった沿岸部で、はたして文化庁のレスキュー隊事業を、市町村に伝えていれば、そして岩手県主導ではなくて文化庁主導だったら、救えたのかどうかということを冷静に分析する必要があると思います。
(まずは、国と一緒にやった宮城県では「すべて」の文化財を救えたのか、問題はなかったのかを調べればいい。きっと色々問題はあったことでしょう)
だんだん時間がたつと、「ああすればよかったのに、なんでしなかったんだ」と言うことは簡単にできます。
今後必ず起こる南海トラフ地震に備えて、「国が悪い」「県が悪い」「市町村が悪い」いや「わたし以外みんな悪い」ではなく、教訓をいかした仕組み作りを進めてほしいものです。
コメント集です。
ある自治体職員は「助けてほしかったが、知り合いから要請方法を聞いたのが被災後半年過ぎてからだった」と憤る。
(岩手)県教委の佐々木一成・文化財課長は「当時の担当の話では、市町村に伝える旨の記載がなく、通知しなかった」と釈明する。
文化庁美術学芸課の江崎典宏課長は「被災地は混乱しており、どう現場に伝えるかは県教委に任せていた。周知してほしかった思いはある」としている。
この記事を読むと勘違いしがちですが、岩手県がすべて自前のレスキュー事業をすると言ったわけではないです。ちゃんとこの仕組みは使っているのです。
県でレスキュー事業を担当した岩手県立博物館が震災のあった6月に下のような報告(岩手県立博物館だより2011年6月号)をしています。
文化庁では、1995年に起きた阪神大震災での経験から、震災により被災した文化財(略)を救済することを目的として
「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)」を4月から実施することになりました。
これを受け岩手県教育委員会では、特に被害の甚大であった沿岸市町村の文化財救済を急務と捉え、具体の事業実施にあたっては岩手県立博物館に事業を委託し文化財の救済を行うことにしました。
当館では、陸前高田市からの依頼で「海と貝のミュージアム」、陸前高田市立図書館に所蔵されていた県指定文化財を含む古文書及び関連資料の救済を行うとともに、国指定有形文化財が展示されていた市立博物館等の救済を進めています。
つまるところ、数ある沿岸市町村で、陸前高田市は「助かった」。そのほかの市町村は「来てくれなかった」(県からすると)「要望が来なかった」というような、すれ違いも背景にあるのかなあと。
この本を読んで、それぞれがおかれた環境を知ると、ベターを積み重ねていたとは思いますが。。。