最北の古代ヤマト3点セットの波動砲(鏡)の生産地は中国だった【新潟・城の山古墳】
昨年(2012年)9月に、新潟県の北部にある古墳時代前期(4世紀前半)の古墳「城の山古墳」(じょうのやま、胎内市)で、銅鏡、勾玉など、当時のヤマトの中心地と同じような副葬品がセットで発見された、という考古学ニュースが話題になりました。
それまではこうしたヤマトセットは、能登半島が北限だったので、ヤマトの範囲が約250キロも北へ延びた!と誤解(笑)されました。
そもそも副葬品の組み合わせよりも、より「ヤマト」的な要素は言うまでもなく、前方後円墳という墓そのもののスタイルです。
で、新潟には、日本海側最北の「前方後円墳」(城の山古墳は円墳)がすでにあります。
ですから、古墳時代前期は新潟まで「ヤマトの影響下」であったことはすでにわかっていました。
じゃあ、なにがすごいのかというと、城の山古墳は、前方後円墳より格下の円墳なのに、すばらしい副葬品が出た、すごいね、というのが本質といえます。
誤解のないように、今回の発見じたいはすばらしいことは間違いありませんよ。
そして、胎内市がきょう(2013年1月15日)、この続報を発表しました。(読売新聞より)
重要なのは2点
1)例の鏡は、中国製(舶来もの=高級品)「盤龍鏡」でした。1〜3世紀につくられたものです。
「最古の弓飾り」と報道ではされていますが、うーん。縄文時代にも漆塗りの弓飾りなどあると思いますが、どうなんでしょう。
鉄製かつ古墳時代で最古ってことかな?
3月3日に市内でシンポジウムを開くそうです。