【図説】コザネヨロイってなんぞ?群馬に甲冑マニアと古墳マニアが集結【説明会の動画】
きのう(2012年12月12日)、群馬県渋川市の金井東浦遺跡の現地説明会には、平日にもかかわらず2635人もの見学があったそうです。
飛鳥などではいざしらず、関東では珍しい大盛況でしたね。
お目当ては「日本初!よろいを着たままの古墳時代の男性」。つまるところ「遺体」なわけですが。。。
現地説明会の動画がユーチューブで流れています。
下は3部作
次ぎは1本
このヨロイですが、最初の報道では「小札甲(こざねよろい)」と紹介されています。
まあ、用語の問題なので、別にいいのですが、小札甲というのは専門用語では、室町時代以降の甲冑のことを普通は言います。
よく神社で宝物クラスになっているものです。
小札というのは、細い鉄や皮(鎌倉以降は皮が普通)で、それを何百枚と重ね並べて、軽量化と動きやすさと強度のいずれも実現できるというすぐれた防具です。
古墳時代のよろいには、大きく二つの種類があって、
鉄のプレートを張り付けたヨーロッパの騎士風のものを
短甲(たんこう)といいます。こっちが古い。
=写真は風俗博物館HP「短甲をつけた武将」より
そして、今回のような細い鉄板を合わせた新しいタイプを
挂甲(けいこう)と言います。
=写真は風俗博物館HP挂甲をつけた武将より
まったく作り方が違うのです。カセットウォークマンとiphoneくらい違う。
なぜ、これほどの技術革新が起きたかというと、
5世紀に、日本が海をわたって朝鮮半島へ出兵したことが理由です。
日本が主体的に「侵略」したのか、それとも戦乱の半島から呼ばれて「救援」しにいったのか、は諸説ありますが、それは置いておいて。
日本は、東アジア最強の軍事国家「高句麗」(好太王とかです)と戦ったことで、当時の最新の技術を吸収したわけです。
この挂甲がそのまま戦国時代の鉄砲が主流になるまで、防具の基本装備でありつづけたのですから、とてもすぐれた技術でした。
まあ、自然の猛威(火砕流)にはとても太刀打ちできないのは言うまでもありませんが。
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