歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

太平洋戦争の開戦日に、どういうわけかNHKは戦艦大和の特番

きょうは、12月8日は太平洋戦争の開戦日。いわゆる真珠湾攻撃の日です。

Pearl Harbor - 無料写真検索fotoq
photo by The U.S. Army


NHKでは、なぜか戦艦大和の最後について特集番組を流していました。

よい番組でした。ただし、デジャブー感あり。再放送?


1/10 スケール大和, 大和ミュージアム, 呉 - 無料写真検索fotoq
photo by yuichi.sakuraba

いえいえ、
門田隆将さんの太平洋戦争3部作の最後の「太平洋戦争 最後の証言 第三部 大和沈没編」だったのです。

太平洋戦争 最後の証言 第三部 大和沈没編

太平洋戦争 最後の証言 第三部 大和沈没編


兄弟の話とか同じ人も出ていたように、基本的に同じ。

それより、びっくりしたのが、CGをガンガンつかって、制作費何億円(想像)のNHKの特番よりも、門田さんのペン一つの文字、文字、文字、文字……のほうが

ぐーんと、リアリティがあり、心の迫ってくるのです。


沈没した直後に、海にのみ込まれた兵士たちが「目の前に光」があふれるというシーンをNHKでも「再現」していましたが、本を読んでいたほうが、私の目の前にはっきりと(大和が爆発した)光が「見えました」。

ペンはテレビよりも強し!(ただし門田に限り)

この本でも時代を動かしましたからねぇ↓

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫 か 41-2)

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫 か 41-2)

同じ「ノンフィクション」の世界にいる人間として、恵美嘉樹も目標にしているおひとりです。

じつは大和の乗組員の話についての本はけっこうあるのです。

戦艦大和―生還者たちの証言から (岩波新書)

戦艦大和―生還者たちの証言から (岩波新書)

とか。(毎日新聞の記者さん)

でも、門田さんのこの本が、2000年以降に出た本と決定的に違うのは、最近インタビューしようとすると、どうしても今生きている人が90歳くらいですから、一般の兵士、いてもせいぜい下士官クラスなのです。

大和の上から下まで知るには、上層部の話も必要なのですが、当然、今は老衰で亡くなっています。

ところが、門田さんは書き下ろしとしてはちょっと反則かな?って方法で、それを成し遂げているんですよねぇ。本の冒頭なので、ぜひ立ち読みしてください笑



大和の話はそこらへんにして

太平洋戦争の開戦のニュースは、以下のようなものがありました。


開戦日についての日記や手紙を集めた人のお話です。おもしろいので、リンク先で全文もぜひどうぞ。
毎日新聞2012年12月08日 東京朝刊

(略)
 「女性の日記から学ぶ会」代表の島利栄子さん(68)=千葉県八千代市=が集めた日記や手紙類は、男女や年齢を問わず明治時代から現代まで約4500点に上る。日記の中の「12月8日」を見た。【吉永磨美】

 当時50歳だった元教師の吉田得子さんは、岡山県瀬戸内市で夫とともにラジオ販売業を営んでいた。日記には、開戦前日(7日)までは戦争の記述は目立たず、開戦を境に急に増えだした。ラジオで聞いた開戦のニュースを店先に張り出すなど、注目していた様子が記されている。

(略)

 翌日にはニュースを聞くために大勢の人がラジオを求めて列を作り、売り切れの大繁盛になったらしい。日記には岡山市にラジオを仕入れに行ったことや修理のためにラジオを持った客が次々と店に来る様子がつづられ、地方でも緊張した庶民の様子がうかがえる。

(略)

 35歳の男性は、ラジオで開戦を知った。この日は、実家のある栃木県内で農作業をしていた。病気のために軍隊には行かなかった。ラジオ商の女性と同様、男性の日記も前日までは戦争についての記述はほとんどなかったが、戦争に関する記述が増えていく。

 翌9日には「昼の戦況ニュースを楽しみに待ちしが、ラヂオは遂(つい)に音を立てず、空(むな)しく隠居に向かふ」と日本軍の戦いぶりを伝えるニュースを楽しみにしていたようだ。10日には、フィリピンに上陸した日本軍が大勝したニュースを聞き、上機嫌で仕事に励んだことがつづられている。

 「此の上もなく、心強さを覚えつつ、且(かつ)第一線に粉骨活躍の勇士に満腔(まんこう)の感謝を捧(ささ)げつつ縄仕事に従事せり。皇国の民として生れたる幸福と栄光とてかくも心強く方(まさ)に覚えたることなし」

(略)

 島さんによると、当時の世界情勢もあり、日本が戦争に突入した状況を積極的に支持する気持ちをつづった日記は多く見られるという。開戦日については、著名人も含め多くの日記に書かれており、日本軍の勝利に沸く心情などが目立つという。

  • 海軍飛行隊の航空記録が見つかる


 徳島新聞こんなニュース

 ハワイの真珠湾だけでなく、アメリカ領だったフィリピンにも同時に攻撃していたんですね。言われてみれば当たり前だけど、へぇでした。

 日中戦争から太平洋戦争にかけて、旧日本海軍航空隊所属の爆撃機搭乗員の飛行実態を詳細に記した「航空記録」が徳島市下町本丁の田中淳一さん(65)宅で見つかった。田中さんの父勝さん=1993年、79歳で死去=が従軍中に所持していたとみられる。現存する航空記録は全国でも極めて少なく、田中さんは「戦争を語り継ぐ貴重な史料として役立ててほしい」と県立文書館に保存を依頼した。

(略)

 41年12月8日の太平洋戦争開戦日は「7・00 イバ飛行場攻撃」と記載。当時、勝さんの部隊が駐留していた台湾からフィリピンのイバ飛行場へ7時間飛行したことを示し、開戦と同時にフィリピンの米軍航空基地を攻撃したことがうかがえる。その後も「ニコルス飛行場攻撃」「マニラ湾艦船攻撃」など、連日5時間から9時間にわたって飛行し、フィリピンを反復攻撃していた。

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