歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

昭和〜平成の維新の歴史全部見せます。横浜市民から「横浜で出馬しろ!落としてやる!」と絶賛の中田宏氏が意外にも筋の通った維新の志士であると判明

維新の会ですか? いや〜恥ずかしながら、わたしも熱くなった頃がありました。


なんて言う人も増えている感じがします。


恵美もカミングアウトすると、「橋下さん、国政に出て、日本を救ってくれ」なんて思っちゃたことありました。いまでは「巣くってくれ」に変換されます。



その頃、恵美は橋下さんのことを織田信長だと思っていました。
キャラ的に信長というのではなく、天下統一を結局できない人という意味です。



なので、本当に注目していたのは、今はひっそりと橋下さんの草履取りをしている通称「禿げネズミ」(俗に言うサル)がいて、その人が橋下玉砕のあとに天下を取るのではないかということでした。。。



が、いまは、なんだか橋下=信長という前提条件が自分の中で崩れてしまって、、、とにかく言うこと変わりすぎでしょ!




というわけで、「維新」という言葉はなんぞやの続きです。

前編「邪馬台国時代の「維新の会」構成メンバーは意外なメンツだった-恵美と嘉樹の歴史ニュース&本ウォーキング」



維新というのは、意外なことに、戦前と戦後にも右翼たちによって使われました。あれっ?意外でない?

戦前で有名なのは、二・二六事件という軍事クーデターを引き起こす青年将校の心の師匠となる北一輝さんという右翼思想家です。



どんな維新かというと、議会制というのはリーダーシップが発揮できないからダメな仕組み。力強いリーダーが必要だ。
ここまでは今の維新と同じ。



ところが、戦前はリーダーがいたのです。そう天皇です。


ただ、右翼なので陛下を引きずりおろすなんて気は毛頭ないので、そこで作られたキャッチフレーズが有名な

「君側の奸直人

です。

天皇が悪いのではなく、そのまわりがカスである、と主張したわけです。

でも、クーデターは失敗しました。

  • みんなの「維新」

はい、続いて戦後の維新です。


二・二六事件の影響もあり、「維新」というのは、武闘派右翼という印象を帯びるようになりました。
さらに戦後は、改革という意味の言葉は、共産主義ブームで「革命」や「革新」という言葉が一般的になります。



1960年代の安保闘争のとき、「革命」とか「革新」とか言っていた学生たちに、ドン・キホーテのごとく突っ込んでいた右翼団体が「維新行動隊」と名乗っていたように、よりマニアックな感じの言葉になっていました。



しかし、1968年に、明治100年を迎えることになり、俄然、「維新の志士」たちの物語が注目されるようになります。
明治百年は、なんか面白げなお祭りですから、国民も維新萌えをしだします。


なんと言っても、この年にNHK大河で「竜馬がゆく」を放送したのが決定的でした。(ただ、平均視聴率は14・5%と当時としては低かったのです。あくまで維新の火付け役だったってところでしょうね)



ベ平連をつくったバリバリ左翼の小田実さんまでも

私は、維新を「革命」としてとらえる。ブルジョア革命であったかどうか、そんなことは、私にとってどうでもいいことである。こまかな定義をもうけてそんなふうに論じることは、私にはさしずめ興味がない。


「ふん、こんなのくだらないね。でもこのコピーはいいかもね」なんて、素知らぬ顔でいながら学園祭にワクワクしているツンデレ優等生みたいなことを言っています。

こうして、ほとんどカルトな言葉だった維新がまた国民的なキーワードに復活していったのです。

  • 平成の「維新」くん

逆に、東西冷戦が終わって、共産主義が敗北したことで、「革命」「革新」はイタイ言葉になって、「改革」そして「維新」が浮上するのです。


平成になると、大前研一さんが「平成維新」を1989年に出版しています。



1998年には、新進党が解党したあと、松下政経塾の卒業生たちが「志士の会」という「維新」っぽい新党をつくる動きがでてきますが、そのメンツがなかなかスルメのように味わい深い。


野田佳彦
山田宏
中田宏
河村たかし



このときに結成のための「血判状」を押して、みんなで船中八策という銘柄の日本酒を飲んだのだそうです。
彼らの構想は
・首相公選制
道州制
憲法九条改正
など


野田首相! あなたも維新でいいじゃなくて?


山田宏さん(元杉並区長)、中田宏さん(元横浜市長)のことを日和見的な「また国会議員やりたいから維新に入った」みたいに思っていましたが、じつは彼らのほうが筋が通っていたりするという。。。


ただ、山田さんのことは知りませんが、横浜の友人たちはみな「中田だけは許せん。神奈川で出馬しろ!」と恨み骨髄ですがね。


中田さんどこの地域から出馬するんでしょうね。
神奈川1区から出て壮絶な志士のいき様を見せてほしいんものですね。



以上、参考文献は、平井一臣さん「維新」と「ポピュリズム」『歴史評論』2012年11月号でした。



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