奈良の平城宮の「復元」に異論相次ぐ、そのもっともな3つの理由
平城宮跡の観光用の開発をめぐって、「地下の正倉院」と言われる地下の遺構や文化財(主に木簡=木の板をジャポニカ学習帳やevernoteとして使ったもの)が破壊されると、事業者の国にたいして、反対運動が強まっています。
産経新聞
「市民との合意形成を」 平城宮跡整備説明会 奈良
2012.11.11 02:38
■参加者から反対意見 国土交通省が平城宮跡(奈良市)の第一次朝堂院跡(約4・5ヘクタール)で始めた整備工事に市民団体が反対している問題で、同省国営飛鳥歴史公園事務所は10日、市内で説明会を開き、埋蔵文化財に配慮した舗装材を採用するための実験を行うなどとして理解を求めたが、参加者から反対意見が続出する中で終了した。 説明会では、同事務所が盛り土工事を予定通り今月末に始める方針を伝え、舗装工事は、入札手続きの変更で来年以降に延期されることを説明。地下水の継続調査と、水が舗装材から地下にどれだけ浸透するか実験を行うとした。
一方、参加者からは「景観や自然が壊れる」「文化財への影響が否定できないなら無謀」などの意見が続出。市在住の作家、寮美千子さんら市民団体は約2万3500人分の反対署名を示し「市民と合意形成されるまでは工事を中止してほしい」と求めた。 整備工事を巡っては、現在立ち入れない雑草地を、イベントなどに活用可能な広場にするため国交省が実施。敷地に土を盛り、セメントを混ぜた土で舗装する。
これに対し寮さんらの市民団体は先月、舗装により地下水が減ることで埋蔵文化財が破壊されるなどとして、中止を求める緊急声明文を同省に提出。仲川げん市長も同省に市民への説明を要望していた。
奈良の平城宮跡では2010年、遷都1300年に合わせて、朝堂院(ちょうどういん、天皇の臣下たちが政務をする場所、後には即位などの儀式の場)内の中心建物「大極殿」の復元が行われ、うらさびしい草原といった風だった平城宮跡が、冨士ロックフェスティバルのような混雑になったのは記憶に新しいところです。
有名な遺跡で、建物を復元すれば観光客はがつんと来ます。
そこには重要な観光業の構造があります。
なにしろ、その多くを連れてくる旅行会社は、パンフが重要な営業アイテム。そこに「なにもない写真」では人を集められません。バンと、建物があれば、パンフに見栄えがして、営業マンも力を入れて集客する。それがさらにその遺跡の知名度をあげるという循環があるのです。
最大の成功例は、青森の三内丸山遺跡と佐賀の吉野ヶ里遺跡であることは言うまでもありません。
ただ、建物を復元するということは、江戸時代以前の写真や設計図のない時代のものは、「想像」になります。
それはあくまで比較的、「正しそう」というものであり、間違えている可能性がかなりあります。
実際に、平城宮のケースも2階建てですが、「あんなに高いはずはない。1階建てだろう」と、寺院の本堂のような平屋であると主張する人もいて、それも説得力があります。もっと昔の縄文時代の三内丸山と弥生時代の吉野ヶ里については、さらに意見の一致ができない状況なのです。
復元するというのは、危険性を伴うものです。
1つ目は、このように、実は「間違っている(かもしれない)」姿が、いつの間にか「本物」とされてしまうことです。
あとで実は違うという資料や証拠が出ても、何億、何十億円とかけたものを取り壊して、新たに作るなんてことは、民主だろうが、愛国者の安倍自民党であろうが、なんでも壊す維新でも不可能です。(維新は壊すだけはするかもしれませんけど)
2つ目は、今、問題となっている「ほかの大切な遺構や遺物が工事によって破壊される」ということです。
建築・土木工事をするには、必ず土を掘り返します。その程度によって、地下にある遺構は多少なりとも壊れるのです。それに平城宮の場合は、地下に大量の重要な木簡(=ほぼ日手帳)が眠っています。これは地下にあるから保全されていますが、ちょっとでも空気にふれると、その瞬間から腐っていく運命にあるのです。
そこで、地元の人たちを中心に「観光客が歩く道路のために、一番大切な宝である文化財を危険にさらすなんて本末転倒だ!」というごくごく当たり前の批判がでているのです。
3つ目は、反対している住民たちのカウンターパートナーが国土交通省であるということです。
ここで、この事業を説明している役所が、文化を守る文部科学省(文化庁)ではなく、国土交通省であることが重要なポイントです。彼らが日本の文化財、歴史をそれほど本気で理解しているとは残念ながら思えません。いえ、「ない」と言ったら失礼かもしれませんが、少なくとも文化庁に比べれば、守ろうなんて気持ちは1万分の1くらいでしょう。
どうしてそんな彼らが、大切な日本の宝である奈良時代の天皇の居場所を「工事」するというのでしょうか。そしてそもそも「管理」しているのでしょうか。
ちなみに、復元の内容が専門家からは悪評高い吉野ヶ里遺跡も、歴史公園は文化庁ではなく、国土交通省です。
日本の歴史を守ろうとする点で、どこに問題があるかはおのずと浮かんでくるはずです。
どうしてネトウヨたちは、こういう肝心なところに怒りをぶつけないで、外国のことばかり意識するのでしょうか。愛国者を自称するみなさんには、よーく足元を見直してほしいものです。
さすが産経新聞はちゃんと報道しています。
この平城宮跡の問題については
近畿の「現説公開サイト」を運営している湯川さんが、なぜ反対かということを分かりやすく説明しています。ぜひご参照ください。
「本当に木簡なんてすごい資料なの?」と思う人もいるかもしれません。
いいえ、やっぱりすごいんです。
奈良時代は国が編集して、都合の悪いことや実像を「修正」した続日本紀などの正史が基本的な資料です。そこに書かれなかった情報にこそ、真実が隠されている(もしくは単に書ききれなかった)というわけです。
奈良文化財研究所の渡辺晃宏さんが書いた『平城京一三〇〇年「全検証」奈良の都を木簡からよみ解く』(柏書房、2900円)は、まさにそれをバッチリ伝えてくれる本です。
例えば
木簡には年月が書かれていることが多いので、地層の年代が分かります。そこで分かったことは
驚くなかれ、七一〇年に大極殿は未完成だった
68p
大極殿は都の中心です。つまり「なんといっても平城遷都」の710年には、天皇のための「御所」ができていなかったというのです。果たして、それって遷都していたっていえるのという疑問がわきます。これも木簡のおかげ。
長屋王家木簡からはじめて明らかになった事実がある。それは、平城京に近い菜園から貴族たちの邸宅に日常的に野菜が届けられていたことだ。
独自の経済基盤から毎日のように新鮮な野菜が届けられているなどとは、さすがにだれも想像だにしていなかった。
88ー89p
長屋王は平城宮の南に隣接するえらい人。
奈良漬の元祖っぽいものも、木簡に記載されています。
五百文といえば、、、単純にいって三十万円ほどの価値ということになろうか。高いか安いかの判断は難しいが、下級官人たちにとって過重な負担だったことは間違いない。
152p
これはどういうことかというと、下級役人は「労働している」のに、その上、福利厚生のような費用として「30万円」を国に支払っていたのです。もらっていたではなく、働かせていただけるために上納していたのです。
朝廷とは、なんたるブラック企業・・・
だからこういう事件がおきちゃうわけです。「ねえさん!事件です」
参考記事
昔も今も国の役所はブラック企業なんですねぇ、というオチです。
きょうは、お鍋がふいてしまって機嫌の悪く、筆が過激になった恵美嘉樹でした。
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