歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

きょうの歴史ニュース、邪馬台国から安土城まで

  • 遺跡の現場で復元画像と合わせ見ることができるようになるんですね。前から飛鳥や平城京跡でやっていましたが、スマホができたことで、どこでもできる可能性がふくらんできましたね。

画面に浮かぶ 安土城の天主 情報端末上にCGで“再現” 滋賀 - MSN産経ニュースソースURL: http://sankei.jp.msn.com/region/news/121031/shg12103102160000-n1.htm
画面に浮かぶ 安土城の天主 情報端末上にCGで“再現” 滋賀
2012.10.31 02:15
 ■近江八幡市が開発
 安土桃山時代に焼失した安土城近江八幡市)の跡地で、「iPad」などの情報端末を城があった場所にかざすと、コンピューターグラフィックス(CG)で再現された天主や当時の町並みが、画面に映し出されるシステムを、近江八幡市が開発している。昨年から技術的な改良を重ね、30日には開発に携わった関係者らが安土城跡周辺で、最新の画像のうつりを試した。市は来年度以降の実用化を目指しており、「さらに精度を上げ、観光客誘致に役立てたい」としている。
 安土城は、織田信長が築いたが、「本能寺の変」後の天正10(1582)年に焼失したとされる。市は、観光客増加に向けて、花園大学京都府)や大阪大学などと協力し、天守や町並みのCGを制作してきた。
 現在このシステムを活用して、CGを鑑賞できるポイントは、安土城考古学博物館前など市内の6カ所。情報端末を向ける方角をかえると、その動きに合わせて、画面内の風景も一緒に動く仕組みだ。
 開発に携わった大阪大学大学院の福田知弘准教授ら10人が各ポイントを巡り、情報端末をかざして画像がうつるかをチェック。安土城が映し出されると、参加者から「よく見えている」などの声があがった。ただ、「画面に光が反射してよく見えない時がある」など改良点も指摘された。
 福田准教授は「実際に現地を訪れて、風を感じながら安土城のCGを眺めることで、当時を思い起こすことができる」としており、市は今後、このシステムを個人の情報端末にもダウンロードできる仕組みをつくり、来年度以降、観光客らの利用を目指す。

  • 邪馬台国によって日本は平和になるわけです。その前の倭国大乱の時期に、近畿VS出雲VS吉備VS筑紫あたりがバトルロワイヤル的な様相を見せます。その際、近畿から日本海に抜けるには、琵琶湖を通らないといけないので、近江の勢力がどちらにつくかで、キャスティングボードを握っていたのです。

邪馬台国と伊勢遺跡の関係解説 守山で4日、講演会 (京都新聞
Yahoo!ニュースソースURL: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121030-00000009-kyt-l25

邪馬台国と伊勢遺跡の関係解説 守山で4日、講演会
京都新聞 10月30日(火)11時29分配信
 元名古屋女子大教授の丸山竜平さん(考古学)の講演会「卑弥呼の出生を近江に探る−邪馬台国前夜の伊勢遺跡」(滋賀県守山市教委主催)が11月4日午後2時から、守山市服部町の埋蔵文化財センターで開かれる。
 丸山さんは、大学教授になる前、県教委文化財保護課の技師で、県内の遺跡に詳しい。国史跡の伊勢遺跡(同市伊勢町)で重要な発見が相次いだことから、邪馬台国と近江との関係について言及する研究者も出てきたが、丸山さんは同遺跡が発見される以前に、初めて邪馬台国と近江の関係について触れた。
 講演は、野洲川流域の遺跡群の変遷と伊勢遺跡の関連などについて解説する。無料。申し込み不要。問い合わせは同市教委文化財保護課TEL077(582)1156。

  • 中世の正倉院とも呼ばれる琵琶湖に浮かぶ島、竹生島。島の古文書が対岸の長浜で見られるそうです。

竹生島文書を展示 長浜城歴史博物館 滋賀 -
MSN産経ニュースソースURL: http://sankei.jp.msn.com/region/news/121031/shg12103102160003-n1.htm

竹生島文書を展示 長浜城歴史博物館 滋賀
2012.10.31 02:16
 長浜市長浜城歴史博物館で、9月に重要文化財指定された竹生島(ちくぶしま)文書の記念展「竹生島文書〜室町幕府竹生島」が開かれている。竹生島にある宝厳寺(ほうごんじ)の古文書のうち、室町幕府との強い結びつきを裏付ける「足利義教御判御教書(あしかがよしのりごはんのみぎょうしょ)」など16点が紹介されている。11月21日まで。
 文書は室町幕府6代将軍、義教が竹生島を将軍家の祈願所に定めた内容で、格式の高さを証明。永享(えいきょう)8年(1436)の年号がある。
 大人400円、小中生200円。問い合わせは同館((電)0749・63・4611)。

  • 一部とはいえ沖縄戦をこえた建物があるとは珍しいですね。保存されるのを願っています。

沖縄タイムス | “歴史の証人”保存へ 泊小学校旧校舎の一部
ソースURL: http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-30_40854
“歴史の証人”保存へ 泊小学校旧校舎の一部
2012年10月30日 10時10分

那覇市立泊小学校で29日、築82年を誇る旧校舎の一部保存に向けた移設工事が始まった。沖縄戦の戦禍もくぐり抜けた“歴史の証し”は、解体の危機を乗り越え、今後も子どもたちを見守り続けることになり、保存活用を求めてきた地域住民らは胸をなで下ろしている。(山城響)
 新築工事で更地となった体育館跡地にポツンとたたずむ旧校舎。1930(昭和5)年に完成し、いまは1階の正面玄関と、かつて職員が鐘を鳴らして授業の開始を告げたという2階のバルコニーだけが残る。那覇市教育委員会によると、建設当時、鉄筋コンクリート2階建て校舎としては市内初だったという。
 市教委などによると、80年に現在の校舎へ建て替えた際、地域の要望に応え旧校舎の一部を体育館のそばに残した。だが、その後、耐震性の弱さが指摘され、体育館の工事を機に解体案が浮上した。
 保存を強く望む地域住民からは反対の声が上がり、昨年2月に始まった協議はことしの7月まで続いた。市教委は「文化財的な財産に児童が触れ、歴史や平和の学習にもつなげたい」と保存を決定。旧校舎の2階部分のみを、現校舎と向かい合うように運動場の端に配置する方針だ。
 卒業生で泊先覚顕彰会理事長の仲本将成さん(83)は「歴史が詰まった貴重な校舎」と保存に安堵(あんど)。地域住民でシュガーローフの会代表の具志堅青鳥さん(72)も「市内には戦跡も少ない。校舎が物言わぬ語り部として平和の尊さも発信してくれるはず」と喜んだ。
 松田哲哉校長は、「児童に歴史と伝統ある母校を知ってもらい、今後も地域や卒業生にとってのシンボルとしてほしい」と、期待した。

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