室町時代の骨壺にわざわざ弥生時代の土器を使う理由とは
きのうのエントリーで
「出土品タイプでは、石川県小松市で、室町のお墓で、弥生時代の土器を骨つぼにしていたケースなんかあります。」と書きましたが、
なにそれ?そんなのあるのと聞かれました。
小松市の八里向山遺跡群です。
今、小松市埋蔵文化財センターの秋季特別展「遺跡で語る源平争乱から武士の世へ」で展示されていますね。
室町時代にどこからか掘り出して再利用したのでしょうけど、「誰かの骨が入っていたかも」とかあまり気にしなかったんですかね。
江戸時代以前、庶民は墓に入らず、街道で野ざらしやどこかの外れに遺体を放り投げられたりというのが普通だったので、室町時代に骨つぼに納められること自体、それなりに裕福な人だったことを意味します。
そうした人が、金をケチって弥生の土器を探してきたなんてことはありません。本人が無類の骨董好きだったのか、逆に遺族にとっては、古い得体の知れない骨つぼを使うことで、故人への怨みをはらしたり、封印しようとした――なんてこともあるかもしれませんね。
中日新聞「時代語る遺物の声 平安から室町時代の特別展」2012年10月10日
平安−室町時代の当時の文化や生活の様子を小松市内の遺物を通して紹介する秋季特別展「遺跡で語る源平争乱から武士の世へ」が、小松市原町の市埋蔵文化財センターで開かれている。(井上真典)
鎌倉、室町時代に祭事で使われていた素焼きの皿や日宋貿易で安宅の港から輸入品として流入した青磁器など遺物約二百点が並ぶ。
そのうち、同市上八里町付近の八里向山遺跡群から出土した弥生土器が展示され、注目を集めている。室町時代に同町周辺を治めていた豪族一族の墓地とみられる遺跡で、蔵骨器として遺骨を納めていた弥生土器が見つかった。市の専門職員川畑謙二さん(39)は、「室町と弥生時代では、約千年以上の隔たりがある。室町時代の人が、なぜ弥生土器を使っていたのか興味深い」と話す。
観覧料は百円で、高校生以下は無料。十二月二日まで。