歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

中国5000年の歴史、日本2000年の歴史に、傷一つない、なんてことはもちろんないわけで

歴史書のことを鏡と呼びます。「大鏡」「今鏡」「水鏡」「増鏡」なんて有名です。鏡のように時代を映すという意味です。すてきな言葉です。


稲畑耕一郎・早稲田大文学学術院教授(中国古典学)が毎日新聞夕刊の文化面(10月22日)に特別展「中国王朝の至宝」に関連した寄稿「文明継続示す漢字の力」をしています。

これは面白い。タイトルとはある意味、真逆の内容ですが、かなり突き刺さります。

中華文明は一貫している、とはほとんど疑われていませんが、実際には当然ながら色々な断絶があったわけです。そのことをズバリと指摘します。

先の「文明(もしくは文化)」を滅ぼした、あとの王朝が「前の文化から穏便に継承した」とするのが中華文明の根幹をなす「革命思想」です。

ですから施政者が漢字を使っているかぎりは、誰が支配者であっても綿々と続く、一貫した「中華文明」である、ということが中華思想の揺るぎないお約束です。

では、その担い手(支配者)はというと、秦と漢以降の統一王朝である、隋、唐、元、清はいずれもいわゆる漢民族ではないのです。逆にいえば、アフター漢に存在した漢民族による漢民族のための漢民族の統一王朝は、明だけという現実。

ひるがえって日本史に当てはめても、同じようなことが考えられます。

天皇という血統が続いているかぎりは「日本文明」である。しかし、その実態をみていくと、摂関政治院政、平家、鎌倉幕府以降の武家政権・・・。はたしてそれは一貫しているといえるのか。

「言葉」「文字」の影響力はすさまじい。それを外してみたとき、新たな歴史の姿が見えているのです。

陳舜臣中国ライブラリー〈別巻〉中国五千年史地図年表

陳舜臣中国ライブラリー〈別巻〉中国五千年史地図年表

「文明継続示す漢字の力」
稲畑耕一郎
中国の古代文明は世界史的な観点から見ると、最も遅くに誕生したものであることはよく知られている。ただ、他の文明と異なって、発生して以来、一貫して断絶がなく、数千年来、連綿と継続してきたところに大きな特色がある。

夏・殷・周から現在まで、その間に、春秋戦国や南北朝のような長い動乱期があり、また元や清といった異民族王朝があっても、やがてそれらをもすべて包含して、今日まで連綿と継続されてきた、ということになっている。

 その継続性を誰も疑ったことはしないし、私自身もそれが間違いだと言うつもりはない。それでも、果たしてこの間に天地を覆すほどの本質的な大変革はなかったのかどうか。実態としては、他の古代文明圏におけるのと同じような大変動があったにもかかわらず、そのように見えないだけの何かが作用しているのではないか、と疑ってみる必要がありはしまいか。
 たとえば、殷と周の王朝の交代は「革命」(天命が革(あら)たまった)と古書に記されるほどの激しく大きな変革であった。発掘される数多くの墳墓の形態、埋葬法、副葬品から見ても、両者には明らかに大きな差異がある。
 当然、民族も、伝承される神話も、社会の制度も異なっていた。文明史的に見ると、両者の交代は一大転換であったといってもよいはずである。
 ところが、それはまるで単なる政権の転換であるかのように扱われ、文明の交代とは認められていない。果たして、そうであるのだろうか。
 周人は殷人と創世神話や宗教を共有していたわけでもなく、言語も異なっていたはずである。姫姓を中心とした周人と、それを助けてともに殷を伐(う)った他の多くの民族集団も同様で、言葉や宗教が同じであったとは思えない。それにもかかわらず、この殷周革命には断絶がなく、文明は継続されたと見なすのは、なぜか。

それは、この間のことを記す文字が同じであったことによるのではないか。

「文明を表記するものとしての文字」が継続したことが、殷周の変革が単なる政権の交代のように装わせ、本質的な文明の交代であることを発見しにくくしてしまったのではないか。殷で用いられた文字は、そのまま周に伝えられ、その後、各地において様々に生成変化したが、周と同じ土地から出た秦が全国を統一し、力ずくで文字を画一化したことによって決定的となった。3000年も後に出土した甲骨文字が容易に解読できたのも、そのためである。

しかし、後世「漢字」と呼ばれることになる文字が、各時代の領域を覆ったことが、時間の継続性ばかりではなく、空間における相違をも見えにくくした。漢字で表記された時空における万象は、いかに遠く隔たっていようが、同じ世界に属するものと見なされた。
元や清の時代のことはわかりやすいが、様々な民族が争った南北朝期においても事情は同じであった。ところが、その後に成立した隋や唐の文明が、漢とはほとんど異質の民族によって形成され、内実もそっくり入れ替わったといってもよいほどであるにもかかわら
ず、そのことを認識するのは容易でない。文明を表記する漢字の力である。

思うに、漢字の呪力が中国における文明の継続性を担保してきた大きな要素であった。

「初めに言葉ありき。言葉は神とともにあり」は『新約聖書』の一節であり、「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」が大和の地であるとすると、中国もまは「文字霊に覆われた大地」である。
中国が歴史的にも、空間的にも一つであると意識されるのは、「漢字」という文明の道具が強い紐帯(ちゅうたい)として作用しているからである。この地では文字こそが文明継続の根拠であった。

そんなことを言い始め、時間の継続性における漢字の文明史上の機能についてはかなり理解を得たように思う。しかし、空間的広がりにおけるそれはどうだろうか。すなわち、地域間の差異を覆うものとしての漢字の働きについてである。
今次の展覧が、そうした視点からの「中国」理解の深化にもつながるものであることを願っている。

以上、恵美嘉樹が文字起こしをしましたので誤字脱字あったらすみません。

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