歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

福井県敦賀市で妙な堀り方をする古墳時代末期(飛鳥時代)横穴墓が見つかる。北へ進出するヤマトの先兵か

前のエントリーにも書きましたが、ちょうど北陸地方の横穴墓に眠る男たち(まあ女もいたでしょうが)が東北や北海道へ向かって船を漕ぎ出した船乗りたちではないかという話を、ウェッジの「ひととき」12月号に書いています。

取材した富山の横穴墓も、今回の敦賀の横穴墓もみな海に面しているという点で共通なのも興味深いです。

ところで、7世紀の古墳時代終末期というのは、飛鳥周辺に都があった頃なので飛鳥時代とも呼ばれています。「とも」というより、古墳時代終末期とは、考古学者くらいしか使いません。

というのも7世紀になると、古墳はほとんどなくなるからです。

古墳というのは、基本的にその地域の「王様」クラスのものしかありません。
ところが末期の横穴墓というのは、崖に穴を掘った防空壕みたいなものですから、簡単に作れます。そもそも「墳」ですらありません。

ですので、埋葬されている人は「知事や市長クラス」から「村長や町内会長クラス」にまで間口が広がりました。(ちなみに一般ピープルは埋葬なんてされません。道端へポイです)

横穴墓とは、地域のリーダー(国造と呼ばれる)たちの権威がだんだんと、ヤマトの天皇蘇我氏安倍氏ら重臣たちに吸い上げられた結果。言い換えれば、地方では突出したリーダーがいなくなり、軍隊なら中小隊長クラスの人たちが中央からの委任をうけ、小さいながらもそれなりの力を持つようになった結果でもあります。飛鳥時代の横穴墓とは、中央集権化がうんだひとつの社会現象と言えるでしょう。

敦賀の横穴墓はわざわざ縦穴を掘ってから直角に折れて横穴になっていたとのこと。目隠しなのでしょうか、それとも死霊が外に出ないため?

↑幼稚園児みたいな絵ですが、こういうことです

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古代を考える終末期古墳と古代国家

古代を考える終末期古墳と古代国家

全国初「横穴墓」、 入り口は正方形の縦穴 敦賀 : 福井 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 敦賀市教委は22日、同市沓の丘陵地で、国内では類例が確認されていない形状の横穴(おうけつ)墓が約40基見つかったと発表した。
 
 古墳時代終末期(7世紀頃)に造られた可能性が高く、市教委は「北九州から各地に広まった横穴墓が敦賀に伝わったことを示す最古の例」としている。(藤戸健志)
 
 市教委によると、横穴墓は丘陵の傾斜面を真横に掘り、洞窟状の空間(玄室)に遺骸を納める場所で、各地で数十から数百基規模で見つかっている。被葬者は庶民の場合が多い。
 
 この日公開されたのは保存状態の良い「沓4号横穴」。縦穴(縦0・5メートル、横0・6メートル、深さ1・6メートル)は祭礼などを行う「前室」とみられ、続いて大人が4人ほど入れる大きさの玄室(幅1・9メートル、奥行き2・5メートル、高さ1・4メートル)がある。玄室と反対方向に延びる通路(幅0・6メートル、長さ1・8メートル)も見つかった。遺骸や副葬品は確認されなかった。

 北陸地方の横穴墓に詳しい石川考古学研究会の伊藤雅文氏は「古墳時代終末期は北陸が北日本への遠征基地として再編成された時期。敦賀地域がその中核を担ったことを示す資料だ」としている。

 市教委は26日午後7時から常宮集落改善センターで地元住民向けの説明会を、27日午前10時から現地説明会を開く。
(2012年10月23日 読売新聞)

福井新聞

同地区には、横穴が約40基存在することが確認されていたが、詳細な調査は行っていなかった。市道西浦1号線整備に伴い、ルート上にある同市常宮の薬研谷(やげんだに)1号、同市沓(くつ)の沓4号、同6号の3基について、今年8〜9月に3次元レーザー測量を行い詳細な構造データを記録した。

国内にある横穴は、横方向から掘削し、亡きがらを納める「玄室」を備えた横穴墓と、縦方向から掘削し、横方向に掘り広げる「地下式坑(ちかしきこう)」がある。横穴墓は5世紀後半から奈良時代までで、近くに群集している特徴がある。一方、地下式坑は15〜16世紀ごろに造られ、「玄室」はなく単独であることが多く、墓や貯蔵施設などに使われたとの説がある。

調査した3基は全て縦方向から掘削し、横方向に掘り進めた後、ドーム型の玄室が設けられており、横穴墓と地下式坑の特徴を両方備えていた。市教委は全国でも例がない構造とした上で▽国内の他の横穴墓のように横穴が近くに群集している▽玄室がある―ことや、専門家の意見などで横穴墓の可能性が高いと判断した。

中日新聞:古墳時代終末期の横穴墓か 「沓4号」を公開:福井
[http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20121023/CK2012102302000017.html:title=(CHUNICHI Web)
]2012年10月23日


 敦賀市教育委員会は二十二日、古墳時代終末期に築造された横穴墓(おうけつぼ)の可能性が高い同市沓の「沓4号横穴(おうけつ)」を報道陣に公開した。一般的に横穴墓は横方向から掘り始めるが、縦方向から掘った後に横穴を掘る極めて特殊な構造になっている。

 付近には、六世紀後半の有力者の沓丸山古墳もある。

 市教委は「敦賀地域の横穴墓を本格調査した最初の事例」としている。

 (増井のぞみ)

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