邪馬台国の敵国候補地か?
ちょうど、ブログで邪馬台国と東海のことを書いたばかりでしたが、きょう10月3日の読売新聞の文化面に、関連のお話が出ていました。
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高尾山古墳は全長62Mの前方後「方」墳。四角の1辺に四角いブロックがついた形です。
埋葬施設が残っていて、鉄剣や多数のやじり、鏡などが出ています。
高尾山古墳、築造年代巡り議論二分
古代の駿河を治めた有力者の墓とみられる静岡県沼津市の高尾山古墳が注目を集めている。発掘調査の結果、最古級の前方後方墳と判明。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もある奈良・ 箸墓古墳より古い230年代という見方も出ている。(文化部 早川保夫)
もし築造年代が230年代だとすると、大和に箸墓のような巨大前方後円墳が登場する以前から駿河で古墳が造られていたことになり、古墳の成立をめぐる議論に一石を投じることになる。
魏志倭人伝に邪馬台国と敵対したと記される「 狗奴(くな)国」が、伊勢湾沿岸にあったと考える赤塚次郎・愛知県埋蔵文化財センター副センター長は、230年代説を主張。「被葬者は西暦200年前後のこの地域の英雄で、狗奴国の仲間の一人だったのでは」と推測する。
東海地方に多い前方後方墳は「東海系文化が根づいた地域に築かれた」というのが赤塚さんの説だ。実際、高尾山古墳の墳丘や周溝で出土する土器には東海西部系のものが多数含まれ、中でも脚付きの土器・ 高坏 ( たかつき ) は230年ごろの製作と考えられるという。東日本ではほかにも、長野・弘法山古墳や栃木・那須八幡塚古墳といった前方後方墳が見つかっており、高尾山古墳はそれらとともに、東海系文化の広がりを示す「最古級の前方後方墳」と語る。
前方後円墳=古墳時代というのは、奈良の三輪山のふもとにある纒向古墳群の100メートルクラスの3つの前方後円墳が最初(230年頃)であり、その次ぎに巨大な箸墓古墳(250年頃)ができ、そこから全国に広がる。そして前方後方墳は前方後円墳よりも位が低い――というのが定説です。
ところが、この静岡に最初の前方後円墳と同じ時期の230年頃に、格下のはずの方墳が造られていたとしたら、もともとは円>方ではなく、円(邪馬台国連合)=方(狗奴告連合)であった。それが、結果的に「円」が勝ったという図式が考えられるようになります。
記事には、
「邪馬台国と敵対したと記される「 狗奴国」が、伊勢湾沿岸にあったと考える赤塚次郎・愛知県埋蔵文化財センター副センター長」
とありますが、
先日来、紹介している
『邪馬台国時代の東海と近畿』
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で、狗奴国は伊勢湾からぐーっと東へずれて、静岡県より東から関東にかけての範囲を想定しているみたいです。
静岡県沼津市にある高尾山古墳は、その想定下では、狗奴王もしくは大幹部ということになるでしょう。
狗奴王となるには、同じ時期(230年)には邪馬台国候補地の奈良で100メートル近い前方後円墳をつくっているので、やはり100メートル級の方墳がほしいところです。
今後の邪馬台国の所在地論争に重要な古墳です。道路予定地のようですが、保存されることを願っています。
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