歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

古事記序文の偽造率が大幅アップ?

東アジアの古代文化 137号(最終号) (137) 特集 東アジアの古代文化成果とゆくえ

東アジアの古代文化 137号(最終号) (137) 特集 東アジアの古代文化成果とゆくえ

「東アジアの古代文化」の最終号を雑誌のように(雑誌ですが)パラパラと読んでいます。
最終号なので、反論されることがないということか、各執筆者の罵詈雑言が並んでいるのも見物なのですが、それ以上に研究者たちの文章には珍しく、あまり検証しないで思いつきで本音を書いているところが、また刺激的です。(そういう書き手のスタンスが罵詈雑言を生んでいることも事実なのですが)

その中で、京都産業大名誉教授の金井清一さんの「正史が記さぬ二つのこと」をとりあげます。

600年の第1回遣隋使と、古事記の編纂がそれぞれ日本書紀続日本紀に載っていない理由を、当時の世界的(東アジア)にみると、それぞれ恥ずかしいことで、編者は思い返すも恥ずかしいので知っていたけど載せなかったということを言っています。

第1回遣隋使はそれでいいと思いますが、古事記が世界的に恥ずかしい内容というのはちょっと無理があるんではないかなあと率直に思います。まあそれはそれで。

この話の伏線には、ベストセラー
口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫)
の著者、千葉大教授・三浦佑之さんが2007年に出版した『古事記のひみつ―歴史書の成立』(吉川弘文館)の中で、古事記の序文が偽物(後世に序文だけ創作された)であるというショッキングな新説を展開したことにあります。

古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)

古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)

歴史研究者でなく、文学研究者から出された歴史的な一撃を、マスコミはこぞって取り上げましたが、研究者はだんまりを決め込んでいるなぁと思っていましたが、東アジアの古代文化の最終巻では、三浦氏の名こそあげないもの、ところどころでこの説にさりげなく触れている論文が見られ、「ああ、やっぱり気にはなっているんだな」と感じました。

その一つが、金井さんの論文です。
どんな反論がなされるのかワクワクして読み始めました。

が、

下の一文を読んでびっくり。

漢文で記された序文の偽書性は未だ云々されるが、序文の思想と本文の思想は矛盾していない、古事記はそのように構想され、出来上がっていると私は考える。

えーー、これ説明になってないでしょう。
序文を捏造した人物は、当然、本文を読んでから、それに合うように序文を書いたのだから、序文の思想と本文の思想が矛盾するはずはないでしょう。

続けましょう。

ただし律令政府に否定された古事記は決して時代に逆行する後ろ向きの史書であったのではない。そのことは古事記の編纂発起者が当代の国際的近代国家建設を強力に押し進めた天武天皇であるという一事を以てしても明らかだろう。古事記古事記なりの構想で天命思想も五行思想も受容しようとしている部分があると私は考えている。序文と矛盾しないと述べたのはそのことである。

3頁しかない論文ですが、主張が矛盾しまくってますw。
部分的でも天命思想も五行思想も受容しようとしているならば、あえて続日本紀から隠蔽する必要はないわけです。
続日本紀は恥ずかしいことも結構載せていますしね。

三浦説に対する反論が上のようなレベルのものだと、相対的に三浦説の信憑性が高まったように恵美は感じましたw