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東アジアの古代文化 137号(最終号) (137) 特集 東アジアの古代文化成果とゆくえ
- 作者: 古代学研究所
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2009/01
- メディア: 単行本
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そんな最後をかざる137号は、500ページちかい質量ともにボリューム満点な内容となっています。
内容の一部をご紹介します。
■上田正昭「白鳳文化の再検討」
先日、恵美氏と、「藤原京のある時代は何時代なの?」という話題になりました。
「奈良時代は平城京遷都以降だよね?じゃあ藤原時代?文化史で白鳳時代とかなかったっけ?」
こうした疑問は私たちだけではなかったのですね。この上田さんの文章に凝縮されています。
この呼び名は、歴史学ではあまり使われず、むしろ美術史での区分として使われることがおおいようです。
そもそも「白鳳」とは年号に由来するといわれているが、実在した証拠がまったくありません。そのため区分に「白鳳」を使うことは不適切だと指摘します。
また「白鳳時代」「白鳳文化」という用語のさす時期の範囲が、使う人によってまちまちなのもの問題だとします。
ましてや推古朝を中心とする前後の百年を飛鳥時代、その文化を飛鳥文化と位置づけながら、他方では六四五年から六七二年の時期を飛鳥時代のなかに含んで叙述するというような曖昧さや、六六三年から七一〇年までを白鳳文化あるいは白鳳時代としながら、奈良時代あるいは天平文化に含めて概説するというような矛盾を見逃すわけにはいかない。
天武・持統朝は天皇号が成立し、律令の萌芽がみられ、高松塚古墳、キトラ古墳壁画など、特徴的な文化が花開いており、より適切な時代区分が必要ではないかと結びます。
じゃあ、どんな名称がいいのでしょうか。残念ながら、上田さんは具体的な名称の提案までにはいたっていません。
そこで、嘉樹は考えました。
【案】飛鳥時代は推古天皇から藤原京までとし、平城京遷都以後を奈良時代とする
あえて白鳳時代という枠組みを設けなくってもいいんじゃゃないかなあ。そんな気がしました。
「大化の改新はなかった」−こんなセンセーショナルな学説が飛び交っていますが、そうした学説史のなかで、仁藤さんは「藤原鎌足」が奈良時代にどのように評価されていたのかに注目します。
仁藤さんによれば、「奈良時代には確固たる評価として定まっていたとおもわれがち」な鎌足であるが、実はそうではなかった。といいます。
具体的には、奈良時代の正史である続日本紀に出てくる中臣鎌足がどのように評価されているのか、そのことを分析します。
後世、鎌足の子である不比等や、仲麻呂らによって、鎌足は著しく顕彰されています。その評価がどのようになされているのか、その変遷に注目したわけです。
検討の結果、次のように述べています。
中臣鎌足の事績のうち、1、孝徳朝での難波朝廷への奉仕と2、天智朝の近江令編纂がまずは重視され、3、皇極朝における乙巳の変の重視へと移行したという人物史的評価における流動性が確認できる。必ずしも中臣鎌足に対する国家的な功績の評価が、奈良時代後半まで固定的でなかったことはいわゆる「大化改新」への評価として重要な問題を提起する。
大化の改新があったのか、なかったのか。これまでは日本書紀の中でのみ語られていましたが、奈良時代の続日本紀からもその評価が。確認できる。このことは重要です。そうした観点から、仁藤さんは「「大化改新」の評価は通説よりも相対化しうる」と結んでいます。
慎重なものの言い方ではありますが、ようするに鎌足が「大化の改新」にどれほどの功績があったのかどうか、そのことを通して、大化の改新がどの程度行われたのか、その検討素材となりうるといっているのでしょう。
結論が学者然とした慎重なものの言い方で、ちょっと物足りなさを感じましたが、なかなか注目すべき見解と思います。こうした研究手法は、ほかにも適用が可能かもしれません。
■倉本一宏「「漢委奴国王」について」
やってくれました。現在ばしばしと本を出しており油の乗っている倉本さん。やはり切れ味がちがいますね。
倉本さんの結論は、「「漢委奴国王」は通説では「漢の倭の奴国王」だが、「漢の倭国王」ではないか」とします。
問題となるのは、「委(倭)奴」の解釈です。大漢和辞典には「倭奴」が「中国人が日本国人を賎しめていった語」とあるそうです。こうした用例は後世にもみえるそうです。
たしかに、後漢書にもみえる「倭奴国」、魏志倭人伝にはさまざまな国名が出てきますが、なんで「奴国」だけが取り上げられているのでしょうか。これまであまり疑問に思いませんでしたが、倉本さんの指摘をふまえれば、「奴国」ではなく「倭国」なのだから、この疑問も氷解します。
成立する可能性があるかもしれませんね。これはすごい!目からうろこでした。
ほかにもまだまだすばらしい内容の論文が満載です。
返す返すも雑誌の終刊は残念です。
『東アジアの古代文化』がいずれの日にか復刊する日を、心待ちにしております!