仏教寺院も律令制も百済経由?
朝日新聞の文化面で12月3日と4日、「百済から見えた日本の古代」上下という記事が載っていました。
筆者は渡辺延志記者。
「上」では、今年4月に百済(遷都後の第2次百済=熊津百済)の都、扶余で出土した618年とされる木簡に、日本の律令制にあった公的高利貸し「出挙(すいこ)」の記録があったとことを紹介しています。
出挙は中国の律令にはなく、618年は日本ではまだ飛鳥時代で律令制でないので、日本の律令制は百済からきた、としています。
「下」は、11月に日本で開かれた百済の王興寺の発掘についてのシンポジウムの記事です。
高句麗式と言われていた日本初の寺院「飛鳥寺」が、高句麗ではなく、百済式ではないかというものでした。
二つの記事を合わせて、寺院も律令制も百済経由という趣旨です。
特に「下」のお寺の話については、聖徳太子と高句麗の関係の深さから、飛鳥寺=高句麗とされていた面もあったと思うので、へぇでした。
百済と日本の関係の濃さはこれまでも言われていたので、全体としては十分ありうると思います。
気になるのは、「上」の、律令制のなかでも日本独自と見られていた出挙が百済がオリジンだったという話です。
もちろん、それもありだと思います。
しかし、記事の中で散見される「そうでなくてはならない」的な感じが、「下」のシンポジウムの話と比べてかなり危ない感じがしました。
というのも、渡辺記者は、かつて、たしか週刊新潮でいわゆる朝日的記者として叩かれていて、どうも思いこみが激しい人のようです。
季刊「邪馬台国」89号(2005年10月号)
季刊邪馬台国 ■巻頭言 日本古代史探究のための「言語」 >>
■総力特集第一弾 日本語の起源の探求
■特集『先代旧事本紀』成立の謎
■誤報につぐ誤報を、くり返している『朝日新聞』
とくに、署名記事の記者・渡辺延志氏の回答を求める
以下略
折しも、発売されたばかりの「季刊邪馬台国」の100号記念で、またまたその思いこみの強さを名指しで批判されていました。
新聞記事に戻りますが、気になったのは、冒頭の
(前略)扶余で4月に出土した長さ約30センチの木簡を、国立歴史民俗博物館の平川南館長らは、さほどかからず出挙の記録と判断した。
です。
この「さほどかからず」という表現です。
客観的な日数をかかないことは、それを書いてしまうと「全然さほどじゃないでないか」という実態があるにもかかわらず、「これは明々白々ですよ」という誘導するための修飾語のように私は読んだのです。
そこが最初に引っかかって、その先も面白い話のはずなのにまゆつばで読んでしまいました。
韓国での木簡研究はまだ日が浅い。
(略)
扶余ではどのぐらいの調査が終わっているのだろう。朴室長に尋ねると、答えは「0・01%でしょう」。
ということですから、あせらず今後の成果に期待したいですね。