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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

井伊直虎は世界に一つだけの花なのか否か

おんな城主直虎は、子役の活躍がすばらしく

「リフティング勝負(蹴鞠)している直虎子見て泣いた」と、知り合いのおじさんが話していました。

とはいえ、脚本・演技よければフィクションなのだからなんでもよし!

とならないのが、われらが大河ドラマの大河ドラマたるゆえんです

自治体も億単位の税金を投入するなど、リアルでも影響が大きいですからね。

その直虎を巡っては、その実像がほとんどわからないだけに、いろいろと周辺がにぎやかです。

最近では「直虎」の登録商法を巡り、静岡の井伊直虎にさきんじて、隣の長野県でも幕末の藩主堀直虎さんが登録に成功したとかで、もめています。

 

www.sankei.com

堀直虎って誰よ?ということで

bushoojapan.com本郷和人東大史料編纂所教授が解説しています。

 

本郷「♪あいはぶあぺん、あいはぶあんあぽー」
姫「はあ。何をのんきそうに歌ってるの?きもいわね」
本郷「いや、今大流行のppapをさ」
姫「おそっ。いまさら?そんなことより直虎の話を進めなさいよ」
本郷「おやすみ」
姫「へ?」
本郷「いや、だから、一週だけおやすみ。直虎の話はものすごく気を遣うので、リフレッシュ休暇をいただいたんだ。それでご機嫌でね。♪ppap」

 このノリwww

イントロはこんな感じですが、相変わらずずばりとわかりやすいです。

 

そして、もっと大問題となっているのが「井伊直虎=男説」。

世間に火を付けたのが

京都の井伊美術館の館長さんでした。

井伊家の末裔を自称しているので、世間の注目も集まったのですが、

www.nikkei.com

この御方、「井伊家末裔」になったのは最近。ということは、業界では知られておりまして。。。

週刊新潮(2017年2月2日号)にて

4)井伊美術館の怪しい館長が唱えている「井伊直虎は男説」

として取り上げています。

1)井伊館長は最近になって井伊家の分家の末裔の養子になって井伊を名乗るようになった(*それまではたしか中村さんでなかったですっけ?)

2)商売が甲冑を売る骨董屋さん

3)どんどん甲冑をデコレートしてしまうというので有名

4)家康の兜というのも金箔を貼りまくり、嵐の二宮さんにかぶせて有名に

と、館長個人の「怪しさ」を全面に出しています。

名前を変えるというのは古より、「権威」付けのために有効な方策でして、ちょうど信長がそれを利用したという記事もありました。

前半生が謎の明智光秀は、京都の幕府の家臣の進士藤延という人物だったのですが、三好三人衆によるクーデターで失脚して、信長に拾われました。信長はその頃、美濃国(岐阜)を強奪したばかりだったので、美濃の名族の「明智」の姓を光秀に名乗らせたというものです。光秀のお母さんが美濃出身なんだとか。

www.yomiuri.co.jp

週刊新潮に話を戻しまして、記事のなかで、例の直虎=男説については「100年後の聞き書き」をもとに男説を主張していると、やんわりと男説も批判的ですが、この「100年後」がアウトなら、そもそも直虎=女説は、150年後のゆかりあるお坊さんの聞き書きですのでね。

いずれにしても、女説も男説も微妙なわけです。

これについては、歴史家の探求がはじまっていますので、どう転ぶのか、注目しています。

1月11日には、浜松の大学にいらした磯田道史・国際日本文化研究センター准教授が読売新聞の連載「古今をちこち」にて、以下のように説明しています。

長いですが、核となる部分を引用します。

 

 新聞各紙は「大河の主人公に男説」といったタイトルを打ったが、正確には「大河の主人公直虎を名乗らなかった?」とすべきであった。大河ドラマの主人公になった井伊谷(浜松市北区)の女性領主「次郎法師」は確かに実在した。数々の古文書や一次史料をあわせてみれば歴史的に明らかで動かない。しかし尼の彼女が「次郎直虎」と名乗り、男のように花押(サイン)までしたか。新史料発見でその点に疑義が生じたのが事の真相だ。

(略)

「次郎直虎」と署名された史料は1点しか残されてない。そのため戦国井伊家の歴史の細部は江戸期の伝承による所が大きい。

 「女領主」の物語は井伊家菩提(ぼだい)寺の龍潭寺(りょうたんじ)で1730年に記された『井伊家伝記』による。86歳まで長生きした僧・松岩などの記憶をもとに伝承を住職がまとめたもので創作物ではないが変な記述もある。今回見つかった史料も似ている。次郎法師の母方いとこの女性が96歳まで生きた。当時としては奇跡的長寿。死の3年前、1640年に実家の井伊家への功績を語った。これを甥(おい)の井伊家家老・木俣守安が書記し、1735年に子孫がまとめたのが今回の新史料『守安公書記・雑秘説写記』である。そこに問題の記述があった。
 「一、井の谷ハ面々持ちにてしつまりかね候ニ付て、其後関口越後守子を井の次郎に被成、井の谷を被下也。然れ共、井の次郎若年…」。井伊谷は銘々が領有して鎮まらない。そこで関口越後守の子を井の次郎(井伊家当主の呼称)にし、これに井伊谷を与えたが、若年で、という意味だ。その頃、井伊家は駿河の大名今川氏真の家臣。今川家が「若年」の男子を連れてきて井伊家を継がせたとの記述だ。本当なら井伊家に未知の当主がいたことになる。ただ、これが、いつのことかは書かれておらず、新当主が「直虎」と名乗ったとも記されていない。
 1568年旧暦9月14日の時点では、次郎法師が井伊谷の支配者。今川家=氏真もその認識であった(「瀬戸方久宛今川氏真判物」)。ところが、この時、氏真は滅亡寸前。東から武田信玄が侵攻。西からは徳川家康が遠江の豪族たちに廻(かい)覧(らん)状を回し、今川からの離反内通を公然と誘っていた(同年8月3日付家康書状)。そんななか、同年11月9日付関口越後守との連名書状に突如「次郎直虎」が登場する(「蜂前(はちさき)神社文書」)。
 ひょっとすると、井伊家当主「直虎」は約1ヶ月だけ存在したかもしれない。滅亡寸前、追い込まれた氏真が、家康との戦闘準備のため、国境地帯の井伊谷に、少年の傀儡(かいらい)当主を立てようとした可能性がある。しかし翌12月に家康軍が井伊谷に侵攻し併呑(へいどん)。13日には信玄の攻撃で駿府の氏真政権は崩壊。直虎少年はいたとしても井伊谷を追い出されたに違いない。それで直虎は幻の当主になったのではないか。(略)

そして本郷教授もこのことについて考察を続けており、

bushoojapan.com

 

「ええと、井伊直盛には28歳の時に誕生した子どもがいた。その子は幼名が『次郎法師』。それで、直盛と直親が亡くなった後、次郎法師は井伊家の当主としての仕事をしている、というところね」

 

 

どういうことなのか。

どうやら、男の井伊直虎という井伊家の当主となった幻の人物がいたらしい。

ということになりそうです。

意見がわかれるのは、この男「井伊直虎」のほかにも、おんな城主がいたのか、それともいなかったのか。

すっきりする答えと証明は難しそうですが、歴史の探求という点ではこれほど面白い題材はないかもしれません。

 

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)