歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

薬師寺東塔は奈良時代の新築か?それとも藤原京からの移築か

http://www.nara-yakushiji.com/img/top_photo_toto.jpg

国宝の薬師寺東塔の修理中に、心柱と天井板2枚の木材を調べたところ、伐採年として710年の平城京遷都を遡ることはなく、奈良時代の730年頃に建てられたという報道が12月19日に各紙でありました。

 

 

www.asahi.com

 

 

 「凍れる音楽」と称される奈良・薬師寺の東塔(国宝、高さ約34メートル)が、奈良時代の730年ごろに建てられたことが分かった。寺と奈良文化財研究所(奈文研)が19日、年輪年代測定の中間結果を発表した。東塔をめぐっては、飛鳥時代藤原京(694~710年)からの「移築説」と平城京遷都後の現在地での「新築説」があったが、新築説が確定的となる。

 東塔では、2009年から約110年ぶりの解体修理が進行中。奈文研は取り外された初層(1階)の天井板2点に対し年輪年代測定を実施し、伐採年が729年と730年と判明。塔中央の心柱についても測定し、最も外側の年輪が719年を示し、720年代に伐採された可能性が高まった。伐採年が710年の平城遷都前の飛鳥時代までさかのぼる結果は、確認されていない。

 

薬師寺そのものは、女帝の持統天皇(当時は天武天皇の后)がもっとも南にある藤原京奈良県橿原市)に創建したもので、いまは「本薬師寺」となっています。

藤原京平城京の西の現・薬師寺はそんなに離れていないので、移築説と新築説が論争となってきましたが、この調査の結果、新築説が優勢になったというわけです。

ただ、彦根城はじめ、薬師寺などに比べれば「新しい」お城を見てもわかるように、木材を建築当初のものをすべてそのまま使っているということはほとんどないわけです。

もしかしたら、心柱は中心なので新しい建材を使おう、でもまわりはもとの柱を使おうってこともあるかもしれませんね。

とにかく昔は、そして今だって巨木は貴重品です。

ましてかんなもない時代ですから材木の加工は大変な作業です。平城京という大きな工事に伴い、材木不足になっていたことは言うまでもありません。

元・薬師寺にあった建材が、そのまま新・薬師寺に移築されたかはわかりませんが、その建材はほとんど平城京周辺のどこかにはリサイクルされたことでしょう。

 

奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site