歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

3月15日の福島第一原発 吉田所長の退避指示を巡る朝日新聞と門田隆将本の大きな違い

 本日(20日)、朝日新聞が以下のようなスクープ記事を出しました。


 私の記憶が正しければ、吉田所長の単独インタビューを、NHKも朝日新聞も大手メディアはどこもとれていないはずです。
 それで、非公開の政府調査委員会が聴取したものを入手したのでしょう。
 世間ではあまり知られていないのでしょうけど、唯一ジャーナリズムで単独彼にインタビューした人がいます。ノンフィクション作家の門田隆将氏です。本『死の淵を見た男』(2012年、PHP)になっています。

 とはいえ、書籍なのでいくら売れてもたいして一般には知られていないはず。
 とはいえ×2、吉田所長が亡くなったときにはNHKニュースに「会ったことがある人」としてゲストコメンテーターに呼ばれていたので、メディアの間では有名なのでしょう。

 で、3月15日の、第一原発の作業員のほとんどが第二原発に退避したという話は、残った人が50人ほどしかいなかったということですでに「フクシマ・フィフティーン」として知られています。(実際は69人)

本当に吉田所長の命令に違反していたのか?

 ところが、朝日新聞によれば、吉田所長は「退避ではなく待機命令」を出したのに、みんな逃げてしまい、彼らは期せずして”50人”になってしまったということになります。

 一方の門田本では、吉田所長が退避命令を出しています。

 これは、今も原発で作業にあたったであろう東電や関係会社の社員たちの名誉にかかわる話です。

 朝日新聞ではこうしています。長い引用になりますが、その内容の正否について比較が重要となるので引用させていただきます。

 吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。

 とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。

 午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」

 待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と調書には記録されている。安全を確認次第、現場に戻って事故対応を続けると決断したのだ。

 東電が12年に開示したテレビ会議の録画には、緊急時対策室で吉田氏の命令を聞く大勢の所員が映り、幹部社員の姿もあった。しかし、東電はこの場面を「録音していなかった」としており、吉田氏の命令内容はこれまで知ることができなかった。

 吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「第二原発に行け」と指示し、午前7時ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。

 その中には事故対応を指揮するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員もいた。過酷事故発生時に原子炉の運転や制御を支援するGMらの役割を定めた東電の内規に違反する可能性がある。

 吉田氏は政府事故調の聴取でこう語っている。

 「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、連絡をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」

 第一原発にとどまったのは吉田氏ら69人。第二原発から所員が戻り始めたのは同日昼ごろだ。この間、第一原発では2号機で白い湯気状のものが噴出し、4号機で火災が発生。放射線量は正門付近で最高値を記録した。(木村英昭)

一方、門田本では248頁からこのシーンが出てきます。

吉田所長は15日午前4〜5時頃に、協力会社の社員たちに対して

「皆さん、今やっている作業に直接、かかわらいのない方は、いったんお帰りいただいて結構です。本当に今までありがとうございまっした」緊対室の廊下に出た吉田は大声でそう叫んだ。(略)最期が近づいていることを誰もが肝に銘じた。免震重要棟から一歩外へ出るということは、放射能汚染の中に「出ていく」ということである。しかし、その危険を冒してでも、今は、ここから「離れる」ことのほうが重要だったのである」(249、50P)

と指示している。

そして、吉田所長は門田氏に対して以下のように話し、少数を残して撤退しようとしたことを明らかにしている。(一部)

「私はあの時、自分と一緒に”死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていたんです」
「何人を残して、どうしようかというのを、その時に考えましたよね。ひとりひとりの顔を思い浮かべてね。(略)」
「(略)極論すれば、私自身はもう、どんな状態になっても、ここを離れられないと思ってますからね。その私と一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべたわけです。これは、発電班の連中よりも、特に復旧班なんですよ、水を入れたりする復旧班とか、消火班とかですね」(252頁)

問題の午前6時台。
再掲になりますが、朝日では、6時42分に吉田所長は

「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」 待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と調書には記録されている。

としています。

一方の門田本

吉田所長の「指示」が飛んだ。
「各班は、最少人数を残して退避!」
(略)
「(残るべき)必要な人間は班長が指名すること」
(略)
(*以下は吉田の部下の伊沢氏の話として)
「この時点で技術系の人間ではない人たちも含めて免震重要棟には大勢の人(注=六百人以上)が残っていました。吉田さんは、技術系以外の人は早く退避させたかったと思います。しかし、外の汚染が進んでいましたから免震重要棟から外に出すことができなくなっていたんです。でもこの時、もうそんなことを言っていられない状況が生まれたわけですから、最小限の人間を除いて、二F(福島第二原発)への退避を吉田さんが命じたんです。退避を命じることができたことで、吉田さんがある意味、ほっとしただろうと思ったのは、私自身が当直長として部下たちと一緒に中操に籠もっていて、同じような立場にいたからだと思います」
(268頁)

 
 退避のシーン朝日新聞では、

 吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「第二原発に行け」と指示し、午前7時ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。

 と、吉田所長の意に反して誰かが第二に逃げるように指示したように読めます。

 門田本ではこのシーンはこうです。
 

 退避する人たちが全員マスクをつけていくと、残って作業をする人間のマスクがなくなってしまう。そうなれば、「現場に近づくこと」ができなくなる。
 残る人間のために一部のマスクは隠された。絶対数が足りなくなるため、多くの人が奪い合いとなった。
 マスクを確保できない人間は、ハンカチを口にあててバスに飛び乗ったり、駐車場に置いてある通勤用の自家用車に分乗していった。(273頁)

「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ」の真意

 このように、朝日新聞と門田本ではだいぶずれがありますよね。

1) 門田本では、吉田所長は1エフからの退避を明快に指示しています。少なくとも、指示を受けた人たち(残った人たちも含めて)はみんな、2エフ以外に、南相馬市だとか、双葉町だとか、現状がどうなっているか全く分からない場所に退避しろという指示とは考えていません。1エフからの退避=2エフしか選択肢がなかったの現実でしょう。

2)免震棟の外に行くこと自体が危険だった。わざわざ放射能的には安全の免震棟を出て、どこに放射能値が低いところがあるかなんて分からない状態で、南でも北でもいいからとにかく敷地内にいろ、という命令を出したなんてありうるのか。

3)外が汚染されている状態で600人がマスクやタイベックを使って一時的に外にでて、またすぐに戻ってきたら、足りないマスクなどがさらに足りなくなって、その後の作業ができなくなる。

 「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、連絡をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」

 この吉田所長の言葉も、「 と言ったつもりなんですが、」に、朝日記事の文脈では、逃げた人たちへの批難めいたニュアンスがありますが、門田本の文脈から読むと、単に事実を淡々と伝えているだけです。

 たとえば「と言ったつもりなんですが(みんな私の気持ちを分かってくれていて、すぐに連絡がつくようにバラバラにならずに2Fに全員が移動してくれた。それで事態が落ちついたので)2Fに着いた後、…」とすると、全然逆の話、吉田所長がみんなを信頼して、その行動に応えてくれた600人をたたえる言葉になります。


 ちなみに、朝日新聞の記事からは、この判断ミスが致命的だったような印象を持たせますが、記事にもあるように、一度、2Fに退避した人たちのほとんどが翌日には1Fには戻ってきて、また復旧作業をしています。朝日新聞では彼らが残っていれば止められたような書き方ですが、その後も血の出る(文字通り血尿を出しながら)復旧作業によって、とりあえず今のところ、「日本が三分割」という最悪の事態が避けられたことを、彼らの名誉のためにも記したいと思います。


 とはいえ(*3回目)、政府がこの調書を公開しないのはよくないことだと私も思います。なんで出さないんでしょう?

 なんで「とはいえ」を何回も使ったかというと、なにかへ誘導したいときに「とはいえ」というのを使いたがるんですよね、物書きって。

【追記】

はてぶでコメントくださったみなさんありがとうございます。それぞれとても示唆にとんだコメントで、私も色々気付かされました。

とくに id:nacamulaさんのコメントに、「あー、自分のモヤモヤはここだったんだ」と思いました。

「福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが」を、所内に留まれ、と解釈するのは勇み足かもね。福島第二も近辺だとも言えるし。

「所内にかかわらず」は、ここだけ抜き出すと、「ムリして所内にとどまるな」という意味ですし、朝日新聞では「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」としていて、この「構内の」の部分だけが、2Fでなく1F内にとどまれという根拠になっているんです。
が、かぎカッコ内ではありますが、書き方として、吉田所長がいった言葉(調書で明記されているもの)なのか、東電が隠しているというTV会議の内容を取材したものなのか、がはっきりしないんですよね。

吉田所長が本社向けにする話と、現場での指示が違ったことはすでに明らかになっていますので(本社が海水注入ストップを指示して吉田所長は了解したが、実は続行しつづけていた=命令違反ではあるがこの決断が日本を救った)。

なので、吉田所長が本社向けに(というか菅直人向けに)「退避はしますが1F内です」というウソをテレビ会議で言い、現場では最初人数を残して1Fからの退避を命じたということもありそうだなぁと。

とはいえ(4回目)、政府が公開しないからこういう疑義がでるので、ぜひ公開してほしいものです。同じように朝日新聞が全文を公開してくれたら話が早いので、バンと!公開していただきたいものです。

【追記2】 吉田調書は隠蔽されていたものではなく、吉田氏本人が誤解があるからそのままでは公開しないでほしいと言っていたようですね。
【追記3】 門田氏が反論を6月1日に公開しています。
http://blogos.com/article/87529/

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

【追記4(6月27日)】 週刊誌で疑問が指摘されるようになり、その報道に対して朝日新聞が疑義を晴らす説明ではなくていきなり名誉毀損の法的措置をちらつかせている事態になっています。
なかでもサンデー毎日は当時の職員の人たちに取材をしたところ、みな「吉田所長の指示どおりに2Fにいった」と証言しているのだそうです。
ネット掲載分の朝日新聞(紙面にのっていたら教えてください)をみるかぎりでは当時の職員たちへの取材はしていないようです。
当初、朝日のスクープを褒めていたジャーナリストも疑義をなげかけるようになっています。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39685

上記の記事でわかったのは、サンデー毎日が職員を再取材したこと。あとすでに指摘したことの疑念がさらに高まったのは、「1Fに退避」といった言葉がすでに職員の退避後の時間帯に東電本社に対して行った「ウソの報告」である可能性が高いという点でした。

どうも、吉田調書と柏崎メモという二つの書面が合致したことだけで「やったースクープだ」と思いこんで、本来は必須の当時いた人で現存する人への確認を怠ったのではないでしょうか?

【追記5(8月21日)】

どうやら朝日新聞が誤報だった可能性がぐんと高まりました。
ご存じのように8月18日に、産経新聞が同じく吉田調書400頁を入手して報道したのです。

この間、共同通信が調書ではなく、当時いた人たちへの取材で、朝日が誤報であることをすでに浮かび上がらせたそうですが、今回のは致命的です。

そして衝撃的なのは、朝日新聞「吉田誤報」ですよね。こっちの吉田は、例の従軍慰安婦です。この1か月の間に、朝日を代表する吉田スクープ2本ともが誤報である、しかも(意識していたかはともかく)いずれも日本の信頼を国際的に毀損する誤報です。(まだ吉田調書については朝日は誤報と認めていないようですが)

で、朝日がいかに吉田調書で間違ったかについては産経新聞が今回も(苦笑)鬼の首を取ったように書いていますので、ご参照いただければ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140818/plc14081805000001-n1.htm

朝日新聞は、吉田調書を基に5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」「福島第1 所員の9割」と書き、23年3月15日朝に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していたと指摘している。

 ところが実際に調書を読むと、吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない。

 また、「退避」は指示しているものの「待機」を命じてはいない。反対に質問者が「すぐに何かをしなければいけないという人以外はとりあえず一旦」と尋ねると、吉田氏が「2F(第2原発)とか、そういうところに退避していただく」と答える場面は出てくる。


で、問題の「命令に違反して2Fに逃げた」ですが、朝日lでは

そんな懸念が持ち上がる状況のもとに飛び込んできた圧力ゼロと爆発音という二つの重大報告。これらが、2号機の格納容器が破壊されたのではないかという話に結びつけられるのは当然の成りゆきだった。
 格納容器が破れると、目と鼻の先にいる福島第一原発の所員720人の大量被曝はさけられない。「2F」すなわち福島第二原発へ行こうという話が飛び出した
 午前6時21分、まず各号機の中央制御室につめている運転員に、免震重要棟に避難するようにとの命令が出た。少しでも被曝の量を減らすためだ。
 22分には所員全員に活性炭入りのチャコールマスクの着用が命じられた。空気中に漂う放射性物質を口や鼻から吸い込まないようにするためだ。
 27分、退避の際の手続きの説明がスピーカーで始まった。
 ここで、現場から2号機の格納容器の破壊を否定するデータがもたらされた。吉田がいる免震重要棟の緊急時対策室内の放射線量が、毎時15〜20マイクロシーベルトとあまり上昇していないことだった。
*注ここまで地の文
吉田「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」
――― そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。
吉田「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」
――― 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。
吉田「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」

となっています。地の文(そこでも2Fに退避って書いてあるんですけどね苦笑)が続いて、吉田氏の言葉で「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ」「南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんです」があり、この言葉が朝日新聞では、2Fではなく1Fの敷地内だと主張しているわけです。

それで今回の産経では、朝日では明らかにされていなかった、この言葉の前のQAが初めて明らかにされました。

−−テレビ会議の向こうでやっているうちに

 吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです

 −−細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)

 吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけども、関係ない人間はさせますからといっただけです」

 −−15日午前に2Fに退避した人たちが帰ってくる

 吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。車を用意しておけという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第2に行けという指示をしたんです。私は福島第1の近辺で線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fにいってしまったというんでしようがないなと。2Fに着いたあと、まずGM(グループマネジャー)クラスは帰ってきてということになったわけです」

同じ調書を使いながら微妙な違いが大きく差をわけたわけです。
産経新聞が引用した調書では、「2Fに行けとは言っていない」の前に「2Fまで退避させようとバスを手配させたんです」と明示されています。

これは以前に書いたように、「俺の部下はみなまでいわなくても、ちゃんと正しい判断を極限下でもしてくれたんやで、ドヤ」という発言だったというのが補強されたと、私は思っています。

これに対して、朝日新聞ができることは、吉田調書の当該部分の開示、そして調書だけを見て書いたなんていうジャーナリスト宣言から外れている報道という疑念を晴らすためにも、当日いた作業員から取材したかどうかをはっきりと公表すべきだと思います。

ところが、なんと朝日がやったことは、反論ではなく、http://www.asahi.com/articles/ASG8L5S9DG8LUUPI006.html

 朝日新聞社は18日、同日付産経新聞朝刊に掲載されたジャーナリスト門田隆将氏による記事「朝日は事実曲げてまで日本人おとしめたいのか」(東京本社版)について、朝日新聞社の名誉と信用を傷つけたとして、産経新聞の小林毅・東京編集局長と門田氏に抗議書を送った。

本気ですか?