読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

【マンガ版】きょうも何の日?毛利元就、3本の矢に遺言残せず死す

 きのうにつづいて。今日だけなんの日〜光秀と蘇我蝦夷の死。そして信と政が生き残った日【キングダム記念日】 - 歴史ニュースウォーカー
 1571年(元亀2年)6月14日、毛利元就がお亡くなりになりました。
 死の床で、3人の息子に「三本の矢を束ねると折れないよ」の遺言は実はありませんでした。
 そもそも1人(長男)は先に死んでいたし。

 お友達の富永商太さんのマンガで紹介。

 3本の矢(息子)のうち、枕元にいたのは、小早川隆景ひとりだけでした。あともう一人いたんですが、それは孫(長男の息子の)毛利輝元です。

 3本の息子たちは
 毛利本家
 小早川家
 吉川家
 にわかれたのですが、ご存じのように、毛利輝元が西軍大将(大坂城在中)とした関ヶ原の合戦では、3本のうち小早川と吉川が東軍に寝返ってしまいました。

吉川隊の場合


 吉川隊は、家康の背後を襲える南宮山に布陣していた毛利本隊をなんやかんやといって参戦させませんでした。吉川は黒田如水の息子の間で密約があったのです。

小早川隊の場合


 小早川隊は「裏切りものの名をうけて」いますが、そもそも関ヶ原開戦前から、少なくとも西軍からは脱走していて、西軍から「追われていた」立場でした。
最初から東軍、ぎりぎり中立でした。


 くしくも、「矢は束ねるのではなく、バラバラに放たれるもの」という新たな教訓を生み出したのでした。




1日2クリックよろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログへ