天災に「愛された」平安時代の清和天皇
「清和源氏」なんて言葉を聞いたことがあると思います。源頼朝や武田信玄など武士のトップの名門中の名門です。
清和のもとは、清和天皇という人にたどりつきます、という意味です。
大辞泉を引用すると
清和天皇の子孫で源姓を賜った氏。天皇の皇子の孫、経基王の一流が栄えて諸国に分かれ、地方に土着して武士団の棟梁となり、勢力をのばした。頼義・義家のとき関東武士と結んで地盤を築き、頼朝は鎌倉幕府を開いた。武田氏・足利(あしかが)氏・新田氏もこの系統。
となると、この清和天皇というのは、マッチョなんだろうなと思います。
が、実際はわずか9歳で天皇に即位した「子供天皇」だったのです。
子供なので政治はできませんから、いわゆる「摂関政治」がはじまります。
大人になってからは親政を目指しますが、そこに試練が。。。。
そう天災の嵐。
富士山や阿蘇山、鳥海山は噴火するわ、京都で群発地震、関東では大震災。そして「1000年に一度」の東北での貞観地震津波。
わずか31歳で亡くなるその人生において、これほど日本列島中の災難が集中した天皇もいないのではないでしょうか。
そんな話をハザードラボの連載で書きました。どうぞ見てやってください。