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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

今さらながら山田まりやが長男につけた「崇徳」はベリーベリー良い名前であることが判明【優しすぎる日本史入門】

 歴史というのは、武器になります。
 「やーい、こんなことも知らないのか」という学問の分野を問わずな攻撃のみならず、「あんた、こんなことすると歴史は繰り返すから不幸になるよ」という言霊的な攻撃が日本人には効果が高いようです。
 
 先週(2013年5月23日号)の週刊新潮で、歴史連載「戦国武将のROE(交戦規則)」を書いている東大史料編纂所教授の本郷和人さんがこう書いていました。

4月11日号で崇徳天皇について書きました。崇徳天皇は、恨みをのんで亡くなった。だが、「崇徳という名をつけること」自体は、悪いことではないのだ、と。今回はその続きです。

??なんのこっちゃ?

で、図書館で4月11日号を読みました。

 その4月11号のタイトルは「もとい「崇徳」はとびきり良い諡号

 なにが「もとい」かというと、さらに

 今回は番外編です。というのは、本紙3月21日号の記事に関して、もう少し丁寧に説明したいなあ、と思い立ったのです。

 じぇじぇじぇ?!3月号?

 というわけで、さらにさかのぼりますと、ありました。
「怨霊天皇「崇徳」の名を長男に付けた「山田まりや」の無知は罪か」
 という特集記事です。

 ああ、ありましたね、この話題ありました。
 タレントの山田まりやさんが自分の子供に「崇徳」と名前をつけたら、「それ、怨霊の名前、ぷぎゃー!」とインターネットを中心に、非難というより小ばかにした声がわき上がったのです。
 このときを思い返しますと、実は、私も「ぷぎゃー!無知だろ!」というエントリー書きそうになりました、はい。でも、雑紙「ひととき」で連載し ている古代史紀行「アキツシマの夢」で、色々な怨霊となった人たちの紀行を書いてきました。それで「ちょっとちゃかすのはやだな」と思ったのです。でも、「ぷぎゃー」と思ったのも事実です。

 もとへ。で、この本郷さんの週刊新潮の話を時系列的に戻してみます。

【3月21日号週刊新潮の記事】

 記事では、去年の大河ドラマ平清盛」でも出てきた平安時代に呪詛しながら死んだ崇徳天皇を、平将門菅原道真とならぶ日本3大怨霊として、そんな怨霊の 名前を長男につけた山田まりやはトンでもない母親であるという趣旨です。
 その中で、有識者のコメントとして本郷さんがでてきます。なんといっても大河ドラマ時代考証者です。

  • 崇徳天皇は歴史上、不遇のうちに一生を終えた人物ですから、あまり縁起のよい名前とは言えない。
  • 子供に天皇の名前を付けるのも異論がある。
  • 保元の乱でうどん県に流された崇徳天皇が写経した経文を都に送ったのに送り返された
  • それを知った崇徳天皇はその写経に”日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん”と呪詛を書き連ねたと言い伝えられている

 こうして抜き出すと、別に「山田まりやはアホである」とは言っていないのですが、文脈からはそう読めます。

続いて【4月11日号の「戦国武将のROE」】

 ぼくも登場していて、結果的に山田さんを批判することになってしまった。
 ここは一つ、気持ちを楽にしてあげたいな、と思った次第。

 で、この若き女性を守るために、ご自身のコメント「子供に天皇の名前を付けるのも異論がある」について、自分の連載コーナーで自己批判かまします。かっこいいぜ。

 和風諡号は現代の名前には、まず使わない(山田後白河くん、なんてヘンですもんね)。
 ですが漢風は使えます。たとえば「光孝くん」や「清和くん」など。
 知らないうちに使っている、ということもある。今回の「崇徳くん」はこれにあたるわけです。

 たしかに、孝徳とか淳和とか光仁あたりもいそうですね。

 では、「ただの天皇じゃない、はんぱない経歴の人間だったからダメ」という点はどうでしょうか。
 崇徳というのは、死んだあとに付けられた名前(諡号)です。

 ですから、「崇徳」という名前に、「こんな名前を子供につけると不幸になるぞ〜」という思いが込められているかがポイントになります。
 本郷さんは明確に否定します。

 崇徳と名づける行為自体は「良いこと」だ、ということです。
 上皇のお気持ちをなだめるために厳選された方法であり、とびきり「良いこと」と解釈すべきです。

 では「崇徳」諡号は、どのあたりがとびきりなのか。
 ぼくは「徳政令」についての研究をふまえ、「徳」の字の意味に注目したい。

 「徳」という字には、復活であり、もとに戻すことという意味が込められていると、「徳政令」の研究を参照しながら説明します。

徳の秘密【5月23日号「戦国武将のROE」】

 で、「納得できん。もとに戻るという意味の名前なんて退化やないか、やっぱり山田まりやはアホや」という声が届いたのか知りませんが、続編になったわけです。

 現代では、新しいことは「良いこと」です。
 ですが中世は正反対。古いことこそ良いことなのです。
 栄光や理想は常に過去にある。「いま」は末法の世、将来はさらにひどくなる。
悪い方へ還ろう「時」に抗う、効果的な手段になる。それが「徳政」です。

 で、面白いのが、別の「徳」の名前を持つ同時期の天皇が登場します。
そう壇ノ浦の海の中に沈んだ幼帝「安徳天皇」です。

朝廷は、讃岐で亡くなった帝に崇徳の名を贈る。
壇ノ浦で、佐渡で亡くなった帝に安徳、順徳の名を贈る。
身は鄙の地に喪われたけれど、御魂だけは、どうぞ京都にお戻り下さい。

 うーん、しびれますね。なんだか千の風に乗っているみたいです。

 さてさて、さらに時代は下りますと、この「徳」(もとに戻る)パワーを使わせないというトンでもないことをするやからもあらわれます。

 鎌倉時代承久の乱です。

 承久の乱といえば

こういうDQNは止めても無駄なんだよな
俺も遊泳禁止の場所で遊んでるDQNに向かって
危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱〜」
とか言って聞き入れなかったわ

のコピペでおなじみです。

 承久の乱の首謀者の後鳥羽上皇隠岐の島で死亡します。すんごく都に帰りたがったことを知っていたので、怨霊にならないようにでしょう、「顕徳」の諡号が贈られました。ところが・・・


 後鳥羽上皇に対立していた貴族がなんと「顕徳」という諡号の使用を禁止してしまったのです。
 おいおい、やばいよ、怨霊になるよ、と反対も多かったそうですが、後鳥羽再来をおそれた鎌倉幕府が支援して、この案が通ってしまったのだとか。

 ついに、顕徳の号を秘して用いぬこと、代わって後鳥羽の名を贈ることが定められたのです。つまり、後鳥羽上皇の御魂の、京都への帰還を許さなかったのです。
 こうしてみると、「○徳」と命名する行為は、やはりたいへんに良いこと、なのです。

なんということでしょう。歴史は武器だけでなく、ヒーリング魔法にもなるのです!

 なんて、優しい!なんたる優しさの日本史家なのだ!
 よし、さっそく本郷先生の近著を読んで癒やされよう!

 戦いの本ばかりではないですか!

【おわび】山田まりやさんを「まりあ」としていました。失礼しました。ご指摘ありがとうございます。