大航海時代は副王の時代!ベトナム副王が日本国王豊臣秀吉に送った親書
戦国時代の豊臣政権下の戦国時代末(1591年)、ベトナムの安南(あんなん)国が「日本国国王」宛てに送った親書が見つかり、きょう(2013年4月16日)から始まる九州国立博物館(福岡県太宰府市)での「大ベトナム展」で公開されます。
まだ、秀吉が生きていますから、秀吉宛てなのでしょうね。
ちょうど同じ年にインドのゴアを支配するポルトガルの副王あてに、キリスト教禁止令を通達していたりもします。世界は「副王」がブームだったんですね。
このときの日本の副王となると、家康ではなく、前田利家でしょうかね。
当時のベトナムは南北朝時代で、北部の鄭氏と中部の阮氏が内部抗争していました。
このお手紙は、中部で副都フエをおさえる阮さんが北部に先んじて日本と通交しようとした証拠でしょうかね。結局、江戸幕府は、北と中部いずれとも通交をすることになりますが。
ところで、安南というと、その後、江戸幕府との交易関係にあり、日本の朱印船が訪問したベトナム中部の港町には日本人街が出来ました。
その一つホイアンでは、今も昭和女子大の菊池誠一隊が調査しています。
http://gyouseki.swu.ac.jp/swuhp/KgApp?kyoinId=ymkeyoyiggy
photo by sachman75
おっ、面白そう。5000円か。じぇ、じぇ、こっちは1万円(タカっ)(略)
記録に残る徳川家康宛ての親書を10年さかのぼる最古の安南国書で、日本との通交を求めていたことを物語る貴重な史料だ。
九州国立博物館(福岡県太宰府市)が昨年、京都の古書店から購入したが、それまで存在は知られていなかった。16日に開幕する「大ベトナム展」で公開する。
文書は縦33・3センチ、横34・9センチ。全文漢文で墨書され、朱印と花押のような黒印がある。光興14年というベトナムの年号が記され、差出人の「安南国副都堂福義侯阮」は、ベトナム中部を支配していた阮(グェン)ホアンという人物の関係者とみられる。
内容は「昨年、陳梁山という使節に象牙などを託しました。今年来航した(使節の)隆巌(りゅうげん)は陳という人物を知らないというので、改めて珍しい品々を贈ります」とつづり、日本との「往来交信之義」(通交)を求めている。
当時天下人だった豊臣秀吉が安南国と通信した記録はなく、陳梁山や隆巌という人物も知られていない。当時は日本人商人が東南アジアで積極的に交易を展開しており、交易を円滑に進めるため将軍などの使節を詐称する事例があった。同館の藤田励夫れいお保存修復室長は「この書簡も、日本国王使節を装って来航した商人に、安南国側が託した可能性もある」と話している。
家康宛ての親書は1601年に届き、江戸幕府の外交史料集に親書原文と家康の返書が記録されている。
(2013年4月15日16時10分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130415-OYT1T00620.htm
こっちは翻訳もので400円台です(中古)